その昔、櫻さんが高校生だった頃。
新潟には「高校文芸」という、県内高校生を対象とした文芸賞のようなものがありまして。
「来年の全国高等学校総合文化祭の予選」状態で、「該当作品なし」をばっさりやっちゃうような、高校生向けにしてはシビアなイメージのあるものだったんですが。


ここの小説の部で言われたのが「ファンタジーはどれが面白いとかわからない」といったこと。


あくまで、受賞者を決めるのは選考委員の先生方であって、その先生方にとってファンタジー小説は「どういった作品が面白いものかがわからない」ものであり、差異が明らかにならない作品を上位にあげることは難しい、ということだったようです。
つまり、「高校文芸小説の部で受賞したくば、現代小説を書け」と。
んなもんだから、現代ファンタジー(?)とか書いて出してたわけですが。


これを経験してきたので、「賞が欲しくば、その賞に合わせた作品を出せ」という概念があります。
なかなかうまい例が浮かばなかったんだけど、例えば『姫ちゃんのリボン』全盛期の「りぼん」に『風の大地』投稿しても、「うちで掲載します」にはならんでしょ? てことかと。
これ、頭の片隅に「りぼん」と『こち亀』の共存を見たことがあるから、なんだよね。いい例浮かばないの。


んで、何が言いたいかというと。
芥川賞受賞を逃して、選考委員批判している人がいるらしいけど。
それ、「俺の作品を評価できないクズ委員」じゃないから。「芥川賞受賞に値する作品を書けなかった自分の技量」が問題なんだから。って思うのです。
この場合「どうしても賞が欲しいけど賞に合った作品を書けなかった自分が悔しい。次は賞に合った作品を書く」か、あるいは「そもそも自分の作品は芥川賞向きじゃないから、賞が取れなくたって当然。勝手にノミネートして勝手に落選させて評価落とすな」くらいの考えであるのが、プロ作家なんじゃないかと。好きに作品書いて、自分の作品を認めない人が悪い、ていうのは、同人作家の世界でしょう。
かつての受賞作品がどうあれ、貴方が出したのは「今回の賞」なんだから、というお話で。

これに関しては色々なこと考える人がいるだろうけど、櫻にとっては上記印象でありました。