今日も主の山に備えがありましたか?

神さまは信じる者たちには、必ず、全ての必要を満たしてくださる良き神さまです。

 

台風10号は28日、中心気圧が935ヘクトパスカルまで急激に発達したが、台風10号は偏西風帯や太平洋高気圧から離れているため移動速度が非常に遅く、 “ジョギング並み”の速さで影響が長く続く可能性大なり・・今日も川西市は空は晴れています。

 

台風前なのに、28日の南あわじ市で、1時間におよそ110ミリの猛烈な雨が降りかなりの被害が出ています。気象庁は「記録的短時間大雨情報」を発表しました。いまだ何処の地方に行くかもわからない“お騒がせ、身勝手な迷走:迷惑台風”宇宙に衛星を飛ばしても、今度台風は何処に進路をとるのですか?「わかりません!台風に聞いてください」です。「いい加減に無責任な宇宙ゴミを作るな!」と言いたい。

 

そんな状況の中、スーパーの店頭にはコメがなくお米の値段も高騰しています

 

国は「在庫は十分」と説明しているが、流通に今、に何が起きていのるか?2年前から毎年10万トンずつコメの減反生産調整をし、前年に比べてコメの生産予定量が10万トン減っていた。それに加えて去年猛暑で米粒の真ん中に割れが生じ、卸売業者や小売業者は流通から排除する。毎年10万トンの減反、約20万トンが猛暑で減少、インバウンドで約10万トン需要が増えたことが重なりコメが足りない」

 

キヤノングローバル戦略研究所の報告では、複数の要因が重なり例年に比べ在庫が少ない状況で、卸業者の間には、放出して在庫がなくなることへの不安感や、値崩れへの懸念大。これを見ても流通期間が正常に作動してないことが分かります。さらに新米が流通し始めても、肥料や人件費高騰の影響からコメの値段は元通りにはならず、価格は上昇する事、確定です。

 

30日の会見で坂本農水相は「通常の価格で取引してもらいたい」と言っても厳しい農家の台所事情や問題解決の目処もない状態ですから、政府の認識と実態とのギャップは今後も続きそうです。

 

ここで聖書に戻ります。創世記1章1節に「初めに、神が天と地を創造された。」と書いてあります。人間が天と地を創造したのでも、自然界を創造したのではないことが明白です。神さまがこの世界を創造された創造主です。ですから、これから将来どのように世界が様変わりしていくのか?気になっている「あなた!一度、神さまに聞いてみたら如何ですか?」神さまは求める者には与えてくださる神さまです。でも信じて求める事が条件です。

 

神さまは、聖書の御言葉をもって、私たちの人生の歩むべき道をしめされ、必要の全てを満たしてくださいます。その恵みを受けるためには一つ条件がありますよ。それは、私たちの罪を身代わりにとなって、十字架の上で罪を精算してくださった「主イエス・キリストを信じる事です。」信じなければ、知ることも悟る事も出来ません。信じ者は救われると聖書に書いてあるから素直に信じ、求めて欲しいと山本は願っています。アーメン。

 

イスラエルのオムリ王朝は約40年続き、オムリの死後息子アハブが継ぎ、さらに孫アハジヤとヨラムが王位に即きます。当時、イスラエルの民は二派に分裂していました。オムリは外国人の傭兵隊長で、召集軍の司令官に任じられていました。イスラエルの民の半分はギナテの子テブニを王に任命し、後の半分はオムリに従いました。オムリには強力な精兵がいたからです。しかし、ティブナが死ぬとイスラエルはオムリを王としま、オムリはサマリアに都を移します。

 

オムリは王国の繁栄優先するために、イスラエル人とカナン人の同化政策に力を入れますが、この事によりオムリは更に神さまを怒らせる事になります。それは「神さまが異国の民に娘・息子を嫁がせてはならない。交わってはならない。」その教えに、神さまの命令に違反しているからです。それなのにオムリは、ヤウエの神を礼拝せず、外交と政策のために外国偶像礼拝を外交目的で喜んで取り入れたのです。

 

オムリは国内でカナン的祭儀が行なう事も容認・促進し、サマリアにカナンの神々を祭った聖所やヤハウエのための聖所も築きます。それがホセア5:6に書いてあります。自分で確認してね!ヤロブアム一世がベテルダンにしたように、牛の像も建てました。列王記上16:26―31。オムリは海岸部のフェニキア諸都市とも友好関係を維持するため息子のアハブの妃に、偶像を礼拝するフェニキアの王女、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを迎え入れます。

 

オムリの死後息子アハブが継ぐのですが、アハブはかってなかった罪をイスラエルに犯します。彼は妻イゼベルのためにツロの神メルカト「バアル」の祭儀のための聖所をサマリアに建てさせ、自らも進んでバアルに仕え、これにひれ伏し礼拝しました。

 

これに対してヤハウエの神以外に神はおられないと礼拝する忠実な人々の中から激しい抵抗と反発が巻き起こります。その代表者が預言者エリヤです。

 

バアルは、カナンにおける農耕を左右する雨の神として崇拝され、人々は酷い干ばつを経験すると、天地を万物の創造主である神に助けを求めず、ただの像にすぎないバアルに助けを求めという罪を犯します。

 

神の召しを受けたエリヤがアハブの前に現れ、17:1「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう。」告げ、バアルではなくヤハウエの神こそ、天地万物の創造者であられ、自然界を支配され、雨の送り主である事を証明します。

 

古代エジプトやメソポタミアでは、預言者は宮廷にあって王の運命を預言していましが、イスラエルはそうではありません。イスラエルの預言者の特徴は、民衆の苦難と叫びに答え、権力の横暴を批判し、民衆の救済を実現をモットとしていました。エリヤはまさにその様なエリート預言者でした。突如、登場したエリヤについては、彼がギレアドの住民でティシュベ人であったと言う事以外には何も記されてはいません。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

エリヤはアハブ王の前で「数年の間、露も降りず、雨も降らない」こんあ事を口にします。大干ばつを預言したのです。パレスチナでは、10月から3月にかけて冬の季節に雨が降りますが、4月から10月にかけての夏の期間には全く雨がありません。しかし地中海に近接している丘陵の多い地勢には、1年の大半非常に激しい朝露に見舞われます。これは植物に有益な湿気を与えていました。

 

このエリヤの預言に基づく干ばつは三年に渡った事が18:1にあります。

 

パレスチナではこのようなことは決して珍しい事ではありませんでしたが、長期に渡る干ばつは罪の重さによる刑罰として神が下されているからです。聖書を読むと罪がどのような結果を招くかが詳しく書いてありますよ!

 

エリヤがアハブ王の前で罪の有罪判決を宣告し、告知した後、神さまはエリヤに、ケリト川のほとりに身を隠し、その川の水を飲むよう命じられ、エリヤを烏によって養うと言われました。そこはアハブの支配が及ばない場所です。

 

神さまは烏に命じて朝と夕、エリヤに肉とパン運ばせてエリヤを養われ、エリヤは川の水が涸れるまでその水を飲み続けますが、実にこの光景は信じがたい光景で、非常にやばい光景です。「貪欲なカラスが”肉とパン”を運んでくる?」しかしエリヤは、神さまの命令に素直に、なんのためらいもなく従順し、神の恩恵に身をゆだねて従っています。

 

私だったら絶対にこう言っているでしょう。

「カラスは貪欲なのに、パンと肉を運んでくれる筈がない。せめて鳩にして」と神さまに願った事でしょう。私は今も時々、電線に止まっているに向かって「教会にパンと肉を運んで来い。パンと肉を運んで来い」そのように叫んでいます。すると烏が慌てて逃げていきます。それは、神さまが遣わされている烏ではないからです。私ってバカやっているでしょうでも私は真剣です~爆  笑

 

干ばつでケリト川の水が尽きたとき、主は再びエリヤに現れ、今度は、サレプタに行き、一人のやもめによって養うと言われます。今度は人だから大丈夫??

 

サレプタはアハブの支配外にあるフェニキアの村で、シドンの町から約11キロ南にありました。エリヤが身を寄せたやもめとは?何と夫を失い、補助してくれる親戚も家族もなく、貧しく、女で一人で息子を養っていた女性で、干ばつで、おまけに稼ぎ手がいないし、援助してくれる親戚もいない・・・それも何と、母親と息子は飢餓寸前の状態に置かれていたのです。

 

そんなその貧しいやもめによって又しても神さまは「あなたを養う。」と命じられたのですよ。空いた口が締まりません。

 

そんな窮困している母親に向かってエリヤは容赦なく「器に少々水を持って来て、わたしに飲ませてください」と頼み「パンも一切れ、手に持って来てください」と頼むのです。飢餓で苦しむ彼女には食べる物や飲水は命と同じぐらい貴重なものそれなのに「一杯の水とパン一切れください?」神さまいい加減にして!

 

彼女はこのエリヤの求めに「あなたの神、主は生きておられます。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」この求めにとても応じる事は出来ませんと答えています。

 

夫が死にやもめとなり、助けてくれる親戚もなく誰にも頼れない、女で一人で子どもを育てて、人々から食い物にされ生活は困窮しているそれに、3年の間雨も露も降らず、収穫物の小麦もない。そんな貧しい生活をしているやもめによって御前を養う??この事が主の命令で、エリヤの行動は、ただそれが最善と信じて主に聞き従ったのです。言葉と行いによって信仰は実践されたのです。神にはできない事がないからです。アーメン。

 

やもめはエリヤに向かって「あなたの神、主は生きておられます。」と答え、エリヤの神を信じ受け入れたのが分かります。

 

17:13-14「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。主が地の面に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない。」

 

と告げ、異邦人である彼女はヤウエの神を信じたのです。「イスラエルの神、主」への信仰と服従を決意した時、やもめは神さまの約束の祝福を受け取ることなります。15「やもめは、エリヤの言葉どおりにした」彼女には既に「イスラエル神、主」への信仰を行動で示したのです。信仰とは言葉だけではなく、実践することだからね!

 

すごいです。今、正に「一握りの粉とほんの少しの油」で小さな菓子を焼いて食べ、後は死ぬのを待つだけだと言う状況の中でこんな信仰何処から出てきたのか?兄弟姉妹習うべきですね。「そこのあなた!ちょっと問題が来たら直ぐにつぶやき、不平や不満を神さまにぶっつけるのは間違ですよ」信仰を実践しない私たちが悪いのだから・・・見習うべきです。

 

このやもめは、信仰によって行動に移したのです。「彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠くことがないように必要を満たし続けられた。」 主がエリヤによって語られた御言葉のとおり「壺の粉は尽きることなく、瓶の油」もなくならなかったのです。

 

このやもめのように、信仰によって「主の御言葉は真実です。」と告白し、実践される兄弟姉妹となられますように、主の御名により祝福致します。アーメン。