芦屋の駅を降り立つと、吹く風の匂いが違っていた。
秋にもなるのに緑が緑々と生い茂り、足元にはからころと、黄色い落ち葉が音を立てた。
32歳ともなると、故郷がこうも懐かしく感じるのか。今まで何度も帰省してきた筈なのに、人が変わったかのように、感触が変わっていた。
まるで同じ景色に、沢山の積み重ねてきた時間軸がぼんやりと重なって視えるようで、薄く鳥肌が立つのを覚えながら、まだ夏の暖かさが残る緑の風の中を、吸い込まれるように歩いた。
この道を、この通りを、沢山の色んな姿をした母が通りすがるのが"視え”た。その側に私が居る時もあれば、母一人の時もあった。
テニスの恰好をして自転車を漕ぐ母、わたしを連れてコンクールの付き添いに行く母、何やらわたしを叱りつけながら歩く母、一人で買い物に行くのであろう母。
ぼおっと歩く母、くたびれた顔の母、何か物憂げな母、久々に帰省したわたしに口うるさく何かを言う母、父と二人でどこかへ向かう母、わたしに嫌がられながら離れて歩く母。買い物袋を持つ母とまだ子供のわたし。
こんな映像を、前までのわたしは視たことがなかった。32歳にもなると、故郷がこんな風に視えてくるものなのか。
改めて、人間の「歳」というものがもたらす作用に驚きながら、わたしは久方ぶりのトンボ帰りな帰省を束の間楽しんで帰路についた。
また会う日まで、父親が元気であるように、そんなみずくさいことを念じながら、いつもどこか心もとなくなる父との別れ際の背中を目に焼き付けて、帰路につくわたしであった。

