心はいつも散歩人

心はいつも散歩人

歩けば気分は爽快だ! 歩くことを楽しみたい。
歩ける今に感謝です。

風格の山門と石仏,古木聳える境内 ムクロジの青い実見つけた

 

【寺院】曹洞宗清隆山福泉寺(横浜市旭区) 

【月日】2024年8月18(日曜日)【天候】晴時々曇34℃

 

この日も蒸し暑い1日だった。久しぶりに、車の充電走行も兼ねて旭区の福泉寺を訪ねた。

福泉寺は曹洞宗のお寺で、風格ある山門とたくさんの石仏が迎えてくれる。広い境内には巨木が何本も聳え、禅寺らしい凛とした雰囲気が漂う。好きなお寺だ。この日も大変な蒸し暑さだったが、境内を吹き抜ける風には爽やかさを感じた。本堂に参拝後、境内をブラブラ歩いていると、地面の彼方此方に青い実が落ちている。どこかで見た様な実だが…と思いつつ帰宅、ネットで検索するとムクロジのようだ。次回はきっちりと実と木を見てこようと思う。

 

↑曹洞宗清隆山福泉寺にやって来ました。入口です

 

↑右側に背の高いお地蔵様、左側には六地蔵、そして趣のある立派な山門が迎えてくれます

 

↑風格ある山門です

 

↑山門には仁王像が立っています

 

↑山門の仁王像、向かって右側の阿形像です

 

↑こちらは向かって左側の吽形像です

 

↑山門の裏側(本堂側)では風神と

 

↑雷神が守っています

 

↑山門を通って本堂に向います。参道左側にはタカサゴユリが咲いていました

 

↑参拝しました。写真は本堂の扁額です

 

↑参拝後、本堂から入り口方向を見ます。すっきりした配置の境内、好きな眺めです

 

↑大きな聖観音、そして鐘楼です

 

↑境内に聳える巨木、手前はカヤ奥はムクの木です。共に横浜市指定の名木古木です

 

↑境内カヤノキの横で佇む石仏です

 

↑境内をブラブラ歩いていると地面に青い実が落ちていました。ムクロジの実のようです

 

↑ムクロジの木です。ムクロジは無患子とも書き種子は数珠や羽根突きの玉に利用されているとのこと。「子が患わ無い」と書くことから厄よけや縁起物としても植えられているようです

(横浜市旭区の福泉寺、久しぶりの参詣メモでした。お付き合いありがとうございました)

 

<参考:福泉寺の紹介(旭ガイドボランティアの会HP「旭区の社寺」より)>

本尊 釈迦牟尼仏 永禄元年(1558)僧脱山宗随により開創。伝的和尚が開基となり、長津田町大林寺三世顕堂長察大和尚を開山とした伝統ある寺であったが明治24年5月15日全宇を焼失、残ったのは元禄14年(1701)鋳造した梵鐘だけだった。それも先の大戦に供出し残されたものは皆無となった。以後懸命な努力の末、大正8年客殿昭和24年庫裡、昭和31年梵鐘、昭和44年本堂が完成し、完備された今日の境内には、六地蔵、立像の立派なお地蔵様、そして名木古木の宝庫となっている。特にイチョウの木は乳だし銀杏伝説を伝える見事な名木です。江戸時代には徳川家より朱印地10石の朱印状が授けられ、明治5年には境内に川井学舎が開設されました。

谷戸田の土手には狐の剃刀,アケビの実を見つけた朝散歩

 

【月日】2024年8月17日(土曜日)【天候】晴れ35.5℃

【写真】富士山,丹沢の山,狐の剃刀,アケビの実【場所】新治市民の森(横浜市緑区)

 

台風7号が去って台風一過の朝だったが、この日も蒸し暑かった。いつもの朝散歩、富士山の展望スポットでは夏の青い富士山が見えた。昨日の台風、雨風は激しかったが新治の森の谷戸田は稲も案山子も変わりはなく、被害はなかったようだ。

谷戸田の土手では、彼方此方にキツネノカミソリ(狐の剃刀)が咲いている。キツネノカミソリはヒガンバナ科の多年生で、茎の先端にいくつかのオレンジ色の花を咲かせる。花弁は6枚、雄しべも6本のようだ。キツネノカミソリは葉が全くない。栄養分はどうやって得ているかと思うのだが、春先ニラに似た葉を茂らせ球根に栄養を蓄えるようだ。キツネノカミソリを見かけると、例年「夏もそろそろ終盤、秋の入口」と思うのだが、今年はまだまだ暑そうだ。

 

↑富士山の展望スポットからの眺め、丹沢の山々と富士山です

 

↑青い夏の富士山、ズームアップしました

 

↑奥多摩の山々です。大岳山や御前山が見えます

 

↑森の散歩道、雨上がりに陽が射しこんで、暑いですが気持ち良い道です

 

↑新治の森の谷戸田です

 

↑稲穂も案山子も台風の被害は無いようです

 

↑土手の草むらのキツネノカミソリです。彼方此方で咲いています

 

↑ヒガンバナ科の多年草、オレンジ色で花弁が6枚です

 

↑花の時期には葉が全くありません。春先に葉を茂らせ球根に栄養を蓄えるとのこと

 

↑森の散歩道、ミツバアケビの青い実がなっていました

(台風一過の朝の散歩、富士山展望とキツネノカミソリなどのメモでした。お付き合いありがとうございました)

新治の森の谷戸田は穂揃い期,案山子が見守っています

 

【月日】2024年8月13日(火曜日)【天候】晴れ35℃

【写真】穂揃い期の稲田,吊花の青い実【場所】新治市民の森(横浜市緑区)

 

連日蒸し暑い日が続いている。以前の朝散歩は、夏の盛りでも森の爽やかさを感じたものだ。ところが、最近の夏は朝から蒸し暑く、散歩というよりは修行の道である。特に今年は大変だ。1時間半ほどの散歩を終えると汗だくとなる。そんな夏の朝散歩のささやかな楽しみは、沢沿いの小道の涼しさだ。水辺の緑陰の小道は驚くほど涼しく、気持ちが良いのだ。ただその涼しい小道はとても短い。

谷戸の稲田では稲穂が出揃っている。この時期を「穂揃い期」と言うようだ。しばらく前、穂が出始めたなと気付いたのだが、稲が育つのは早い。もう「穂揃い期」の状態だ。稲田では幾つかの案山子が立って、稲穂を見守っている。

散歩道では、吊花(ツリバナ)の青い実が筋を付けている。しばらくすると実の色は赤く変化し、筋のところが裂けて種が出る。

 

↑谷戸の稲田、いつもの朝散歩の通り道です

 

↑稲穂が出揃ってきたようです

 

↑稲穂です。縄文時代の終わり頃日本にやって来たお米。偉大な作物です

 

↑葉の光合成でブドウ糖を生み出し、穂に送り込んで米が出来るわけです

 

↑稲田には案山子が立っています

 

↑稲穂を案山子が見守っています

 

↑散歩道の吊花の実です

 

↑青い筋が付いています。秋には咲けて種が出てきます

 

↑今年5月3日の吊花の花です

 

↑3ヶ月余りで今の青い実になりました

(新治の森の朝散歩、穂揃い期の稲田と吊花の青い実のメモでした。お付き合いありがとうございました)

1600冊もの作品を創作した『森村氏の老い』読んでみました

 

【本名】老いる意味-うつ、勇気、夢【著者】森村誠一

【出版】中公新書(2021/2/6 \840+税)

 

ミステリーや歴史小説、ノンフィクションなど多くの作品を世に出した作家、森村誠一氏。残念ながら、昨年(2023年)7月24日に亡くなった。90歳だった。氏の作品は小説、エッセーなど多岐にわたり、作品の数は約1600冊にのぼるとのこと。一周忌を迎えたとのことで、このところ氏を取り上げた記事や映像を目にすることも多くなった。散歩人は、森村氏の作品をそれほど多く読んでいるわけではない。が、氏の講演を町田市民文学館で拝聴した(2009年12月6日)ことがあり、それ以来身近に感じていた作家だった。また氏は戦災の体験者であり、反戦・平和への思いも強く、自身の考えを度々投書によって新聞紙上に発表していた。そんなところも好きな作家だった。

そんなことから、本書は昨年末頃に読んでいた本である。常々メモを残しておこうと思っていたが、とうとう今頃になってしまった。

 

さて本書の感想だが、

第1章は氏の体験した老人性うつ病について書かれている。その発症から回復まで、日々の苦悩が生々しく記述されている。通常の感覚からは、なぜ突然に発症するのか、また何が原因なのかもわからない。ただそれが老人性のうつという病なのだろう。そしてうつ状態からの回復の鍵は、毎日の食事と充実感・達成感にあるようだ。本書からは、流動食による食欲の回復、軽い仕事の再開で得た充実感・達成感が氏のうつからの脱却の原動力になったように感じた。

第2章から第5章は、それぞれ「余生、死、健康、夢」について氏の思いが記述されている。最初に読んだときは、月並みの内容のように思えた。今回ざっと再読してみて、月並みと思う内容にも氏の独自の考え、思いがちりばめられているように感じた。今度じっくり読んでみようと思った次第だ。

 

町田での氏の講演会から、すでに15年が経とうとしている。当時の講演会のメモ(ここです)を読んで改めて思うのは、氏らしい含蓄のある内容だったということだ。もう一度氏の思い、言葉を聞いてみたい人、森村誠一だった。

 

 

(森村誠一著『老いる意味』の読後メモでした。お付き合いありがとうございました)

<関連メモ>

・2009.12.6 森村誠一氏の講演会「小説の志」 

・森村誠一公式サイト「安保法案反対デモ」 朝日新聞2015年9月13日「声」原文

 

炎天下、陽射しをいっぱい浴びて梅干しの土用干し

 

【月日】2024年7月23日(火曜日)【天候】晴れ34℃ 

【写真】炎天下で梅干しの土用干し、ミニ菜園のオクラ

 

梅雨が明けると陽射しが強まり、炎天の日々が訪れる。この時期になると、我が家ではカミサンが梅干しの土用干しを行う。土用干しとは炎天下で3日間、塩付けした梅を天日干しする工程のことで、次の3つの効果があるようだ。①梅干し保存力アップ、②果肉が柔らかくなり優しい味になる、③色を濃く鮮やかにする

今年の梅は、昨年と同じく越生の梅農家から調達した。我が家の庭の梅は今年は不作でほとんど採れなかったので、ほぼ全量が生越の梅である。子供たちへのお裾分け分も、一緒に作っているとのことで、量もかなり多い。毎年恒例の梅干し作りの作業だが、ご苦労様です。

 

↑塩漬けした梅の土用干しが始まりました。炎天下、朝からの天日干し作業です

 

↑紫蘇で赤く色付けされた梅が天日のもとで晒されます

 

↑赤紫蘇も一緒に干されます

 

↑かなり干からびてきています。天日干し2日目の朝の写真です

 

 

↑こちらは庭のミニ菜園のオクラ、結構な群生状態です

 

 

↑オクラは野菜ですが、花もきれいで楽しめます。ミニトマトもなっています

(梅の土用干しのメモでした。お付き合いありがとうございました)

昼食後のブラ歩きも早々に引き上げた暑さでした

 

【場所】新宿6丁目、イーストサイドスクエア付近

【月日】2024年7月22日(月曜日)【天候】晴36℃

 

この日、仕事で新宿へ出掛けた。週1〜2日程度の仕事、オンラインで自宅で済ますことが多いのだが、7月下旬はたまたま新宿での仕事が多かった。昼食後、少し歩いてみようと外へ出てみたのだが、やはり暑かった。通りは、相変わらず外国人観光客が目に付く。ただ、これだけ暑いと観光にも影響が出るのではないかと思う。そろそろ暑さも限界、これ以上の暑さは社会生活にいろいろと影響が出て来るのではないだろうか。そんなことを思ってしまった。

 

↑ビルの緑地帯をブラ歩きです

 

↑緑地帯も日差しが照り付けて暑いです

 

↑地下街入口、地下の方が陽射しも遮られるので歩いている人も多いです

 

↑イーストサイドスクエアの巨大なビルです

 

↑緑陰の道をブラ歩きして早々に引き上げました

(東新宿の昼下がり、イーストサイドスクエア付近のメモでした。お付き合いありがとうございました)

朝のブルーベリー園で2カップ収穫,新鮮さ一杯の果実でした

 

【月日】2024年7月19日(金曜日)【天候】晴れ33℃

【写真】ブルーベリー園の様子と収穫した果実、朝の新治の森

 

新治の森では、毎年この時期ブルーベリー園が開園する。ここで例年ブルーベリー摘みを楽しませてもらっているのだが、今年は7/10から1か月間の開園とのこと。梅雨明けも間近で雨の心配がなくなったこの日、朝散歩がてらカミサンと一緒に出かけた。

このブルーベリー園の営業スタイルは、無人摘み取りである。昨年は、大小2種の摘み取り箱が準備されていたが、今年は箱ではなくプラスチックのカップが用意されていた。カップは500g相当の収穫量が入るとのことで、1カップ当たり\1000をお金入れに投入する。もちろん2カップ分を摘み取って¥2000を投入してもよいわけだ。

 

早速、カップを持ってブルーベリーの収穫を始める。ブルーベリーはたわわに実っており、多数の来園者が来ても不足することは無さそうだ。先客の2人連れの小母さんは、畑の奥の方で一生懸命摘み取っていた。30分程でブルーベリーはカップいっぱいになった。ノートに記帳しお金を投入、ブルーベリーは用意されているフタをしてザックに入れる。後は森の中を散歩がてら歩いて自宅に戻った。

 

  

↑ブルーベリー園は9時開園。谷戸田の横を通り、カンナを眺めたりしながら、まずは新治の森の朝散歩です

 

  

↑山百合の丘も訪ねてみました。山百合が満開です

 

  

↑芳香が漂っています

 

↑9時過ぎ、ブルーベリー園に到着です。手作りの案内板です

 

↑無人摘み取りのブルーベリー園のルールです

 

↑早速摘み取り用カップを持って、ブルーベリー園に入ります

 

↑ブルーベリー、たわわに実っていました

 

 

↑青や赤のこれから熟していく実も多いです。帰り時には来園者も増えていました

 

 

↑収穫したブルーベリー。帰宅後の計量結果はカミサン分(左)500g-α、散歩人分(右)500g+αで合計1kgでした。水洗い後、カミサンは早速ジャム作りに取り掛かりました

 

↑ブルーベリー園の横は「くぬぎ広場」で休憩も出来そうです

 場所は<<こちらの地図のA3付近>>です

(ベル―ベリー狩りのメモでした。お付き合いありがとうございました)

 

満開の山百合を堪能,谷戸田,丸山,旧奥津邸など巡りました

 

【山名】新治市民の森(山百合の群生地、谷戸田、丸山66.6m)【場所】横浜市緑区

【月日】2024年7月16日(火)【天候】曇り昼頃小雨26℃【同行】山楽隊メンバー8人

【行程】十日市場駅9:50~谷戸田10:20/10:30~山百合の丘10:40/10:55~旧奥津邸,つどいの家(昼食)10:50/11:50~丸山12:20~見晴広場(雨宿り)12:25/12:50~谷戸田13:10~十日市場駅13:30(6.2km,8800歩)

 

この日は山の同好会(山楽隊)の山行日、メンバー8名で新治市民の森を歩いた。以前、同好会のCさんへ新治の森の山百合を紹介したところ、Cさんがたまたま7月の幹事役で、行き先が新治の森に決定したのだった。梅雨時真っ只中のこの日、山歩きは無理かと危ぶむような天気だったが、幸い谷戸田や山百合の丘(群生地)では雨に合うこともなく、予定のコースを歩くことが出来た。(但し丸山の後、見晴らし広場で雨に合い愛護会の建物の軒先で25分程雨宿りした。)

山百合の丘は丁度見頃、満開の花弁から辺り一面に芳香が漂っていた。谷戸の青田も田植えの時期から1か月余りが経ち、稲が青々と育っている。深呼吸したくなるような気持ちのよい青田だった。

 

  

↑JR横浜線十日市場駅前に集合です

 

↑新治(にいはる)市民の森に向って団地の中を歩いて行きます

 

↑谷戸田に到着です

 

↑田植えから1か月程経って、稲が青々と育っています

 

  

↑横の散歩道から谷戸田を眺めます。谷戸田にはアオサギもお出ましでした

 

↑山百合の丘(群生地)にやって来ました

 

↑満開の山百合を眺めます

 

 

↑芳香が辺り一面漂っています

 

↑良い香りと清楚な姿、蒸し暑さを忘れさせてくれます

 

 

 

↑近くの半夏生の群生地も訪れました

 

↑薮茗荷の群生地もあります

 

↑公園管理センターへ立ち寄った後、旧奥津邸の長屋門をくぐって・・・

 

  

↑旧奥津邸、そして前庭です

 

↑銘木をふんだんに使った和風の家屋です

 

  

↑釜屋など昔の農家の形が残っています

 

  

↑つどいの家でランチ、そして前庭で記念の1枚です

 

↑丸山にやって来ました

 

↑ここにも山百合が沢山咲いています

 

↑山百合を堪能し、見晴らし広場を経て帰路に就きました

 

↑駅近くのサイゼリヤで反省会を行いました

 

↑この日の歩行図です

 

↑この日の標高図です

(7月の山楽隊山行、新治の森のメモでした。お付き合いありがとうございました)

白いレース模様のような花、神秘的で優雅な花です

 

【月日】2024年7月14日(日曜日)【天候】小雨時々止む29℃ 

【写真】烏瓜の花【場所】新治の森付近(横浜市緑区)

 

朝の散歩道で、烏瓜の花が萎んだ後を時々見かける。ざらざらした濃い緑の厚手の烏瓜の葉の中に、萎んだ小さな白い塊が覗いているのだ。烏瓜の花は一夜花、日没とともに咲きだし翌朝には萎んでしまう。

この日の夜7:30頃、雨の心配も無さそうなので、懐中電灯を持って萎んだ花を見た場所へ行ってみた。闇の中に白い小さな花がほんのりと浮かんでいる。ライトで照らすと、まぎれもない烏瓜の花だ。白いヒゲをレース模様のように伸ばし、優雅に咲いている。神秘的で妖艶な雰囲気も漂う白い花だ。

 

夜この花が咲くのは、受粉のために蛾の仲間(スズメガ)を呼ぶためとのこと。この日は蛾を見かけることはなかったが、緑の葉にとまっている茶色の虫(ウリハムシ)を何匹か見かけた。彼方此方に咲く白い花を見ながら、今年も烏瓜が咲く頃となったかと季節の移ろいを実感した。またその神秘的な花の姿に満足した夜のひと時だった。

 

↑朝散歩で烏瓜の萎んだ花を見かけた場所へ夜になって行くと、白い花が咲いています。白いヒゲのような糸を伸ばして5編の花弁が咲いています

 

↑こちらは葉や花に茶色の虫が付いています。ウリ科の葉を蝕むウリハムシのようです 

 

 

花弁やヒゲは右回転している感じ,伸びた白いヒゲは入り乱れているじもします

 

↑ここからは別の場所での烏瓜、花が近接して咲いていました

 

↑こちらは花弁が少し厚手っぽくて強そうな感じがします

 

 

 

↑茎には蕾が6個ほど付いています。翌日以降も次々と咲きそうです

(烏瓜の花の優雅さに満たされ、また季節の移ろいを感じた夜のひと時でした。 お付き合いありがとうございました)

お世話になった先輩方とNEWoManでランチ会

 

【場所】蕎麦蘇枋(横浜駅西口JR横浜タワー NEWoMan)

【月日】2024年7月8日(月曜日)【天候】晴れ36℃

 

この日横浜駅西口のJR横浜タワーで、現役の頃お世話になった先輩方との懇親会があった。以前はこうした催しは時々あったのだが、コロナを経て本当に久しぶりの開催だった。大先輩のNさん、Hさんは共に海外営業の仕事を長く続けてこられた方々でいわゆる国際人。ヨーロッパやアジアでの駐在経験もある。散歩人は20年程海外向けの製品開発の仕事をやっていたので、一緒に海外を回ったことも度々あった。叱咤激励を沢山受けた立場ではあるが、今振り返ってみると同志として対処した仕事等々、懐かしく話に花が咲いたのだった。

 

Nさんは、知り合いが開学したフィリピンの大学の支援等でしばらくの間、海外で生活する計画もあるようだ。Hさんは、10日間のクルーズの旅を楽しんできたところとのことで、とても元気だった。散歩人よりも、何年か年上の大先輩から活力ある話しをたくさん聴いて、刺激を受けたひと時だった。

 

予定時刻よりも少し早めに着いたので、JR横浜タワー12階の屋上広場「うみそらデッキ」に10分程出てみた。とても暑い日でデッキには長時間は居られないほどだったが、横浜駅の東口方面、眼下の駅、西側方面などがガラス越しに展望出来た。

 

↑JR横浜タワー(Wikipediaより)、横浜西口もすっかり変わってしまいました。巨大なビルが林立して迷子になってしまいます

 

  

↑懇親会の一コマです

 

↑こちらは喫茶店でのカテラフェ、ラテアートと呼ぶようです

 

 

↑JR横浜タワーは26階建て,12階の屋上広場「うみそらデッキ」に出てみました。YOKOHAMAの文字盤やアガパンサスが咲いていました

 

↑こちらはオフィスフロア

 

 

↑東口方面のビル街も見えました

 

 

↑眼下には横浜駅のホームの屋根レール、停車中の電車も見えます

 

↑鉄道のレールの上は高速道路です

 

↑西側にはシェラトンホテルも見えます

(横浜駅西口での懇親会とJR横浜タワーのメモでした。お付き合いありがとうございました)