普段の僕は1人で走ります。駒沢公園の練習では仲間の輪に入りますが、基本的にたくさんの方の中は得意ではないので、本練やパン屋さん巡りも少人数が多いですね。

 集団行動や集団競技といった「集団」というのは、本当に苦手です。他の人と同じことをするのも苦手ですが、他の人を見てから行動することも苦手です。チームプレーができないので、マラソンは合っているのかもしれませんね。


 そんな僕ですが、今の自分で満足というのはなくて、いつも前進しようとして、悪戦苦闘しています。

 「考えて取組む」という姿勢は、僕の好きな言葉の1つ「我思う故に我あり」に基づいていると思います。

 ですから、いつも色々な方の走る姿を見て、勉強して、色々考えています。そんな中で気づきがあります。あるいは、色々な友人と話す中で、気づくことがあります。


 先日から、そんな気づきや会話から少し書かせて頂いています。

 今日は「毎月そんなに走らないとダメなんですか?」と聞かれることが多いので、正直に書きたいと思います。



■2016年の丹後ウルトラマラソンがキッカケでした

 2013年9月に走り出した頃の僕は実にたくさんのマラソン本を読んでいました。「月間走行距離は大会で走る距離の5倍が目標です」と読んだので、フルマラソンを走るまでに月間200kmを走れるようになりたいと思っていました。

 そして、2014年6月に柴又100K 60kmの部にエントリーしましたから、月間300kmは無理だな〜!でも、「大会で走る距離の70%の距離を走れるようになっていれば完走できる」という記事を読んで、フルマラソンを走れたから最低条件はクリアできてるな、なんて思っていました。


 この頃の僕はすべてが全力走でしたから、全力走で月間300kmをやった結果、疲労骨折になった訳です。

 これが転機となり、僕は疲労抜きジョグの道を歩むことになります。


 やっぱり、タケ先生の言葉は忘れられません!

 「あなたはキロ7で走りなさい

 血の気が引くようで、死刑宣告かと思いましたよ


 ポイント練習の2倍距離をスロージョギングで走るのです。そんなことをやったら、どうやってそんな距離を走るのか?と思いました。

 それに、速い練習を減らしたらどうなっちゃうの?とも思いました。(これは別に書きたいので、ここではスキップします)


 2015年はじめ、疲労骨折からリハビリを始めた時に、徹底的にキロ7で走りました。

 2015年秋にはキロ7で毎月500kmを走れるようになりました。これは走る距離を延ばしたのは、疲労骨折をしない身体作りをしたかったからです。土台もないまま走り出して、走る距離だけ延ばしていましたから、改めて土台作りに励みました。

 2016年秋まではスロージョギングで500kmを走っていましたが、実は悩みがありました。それは疲労骨折のトラウマでした。疲労骨折なんて治っている筈なのに、今日は痛みがないと思うと、急に疲労骨折した仙骨が痛くなりました。大体、疲労骨折で、しかも、仙骨ですから、痛む症状はおかしいんですね。


 それでも、時に不安を感じていました。

 ちょっど丹後ウルトラで優勝した方がブログを書いていらして、月間800kmを走ることを知ったので、僕も同じように取り組めば、トラウマを克服できるのでは?と走ることにしました。



■朝ラン開始!

 そこで、帰りに走る距離を延ばそうと思いましたが、職場を出る時間を早めることが難しかったので、朝ランを始めました。でも、朝ランは仕事をする時の服装でしたから、例えば1駅や2駅まで手前で降りて、30分以下のことも多かったです。



■月間走行距離400〜500kmという方が多いです

 友人の話を色々聞いていますと、月間400〜500kmという方が多いです。一方で、走行距離を延ばすことが、強くなるキッカケになった方が多いようです。

 僕の場合は700kmのうち、スロージョギングが600km近く、スピードを上げるのが100km程度です。

 若い方とは練習に対する取組みが違います。本当はスピードを上げた練習を増やしたいですが、ゆっくり走る足作りを中心にして、スピードを上げる練習は週末だけにしています。


 でも、1番の課題はどうやって走る時間を確保するか?ですよね。次回はここから書いていきたいと思います。


(疲れを抜くのは大きな課題です。最近はオレは摂取すが効果的です)