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この旅の流れを、こちらの記事から読み進めていただけると嬉しいです♥️
奥社への参道を進み、隨神門を過ぎた辺りからすれ違う人も減ってきていた
奥社に着く頃には後ろも前も誰もいない、私 ひとりだけ
坂も急になり、目の前に⛩が見えてきました
ふと足元を見た時、木の影が龍神の横顔に見えた🐲
その影に触れながら
「やっとここに来れました〜」
と嬉しさのあまり言葉を発していました
飯縄社
奥社手前、坂道の途中、左側に飯綱大明神の飯綱社があります。
飯綱大権現ともいわれ、戸隠山と並ぶ飯縄山の、神仏習合の神ですが、古来戸隠山の鎮守としてここに祀られています。
飯綱権現は日本第三の天狗とも言われ、信仰すれば不思議な術を授かったといいます。不動尊、カルラ、荼吉尼天(だきにてん)、宇賀神(うがじん)などの合体した特異な像容で、中社の宝物館で見ることが出来ます。
ちゃんと上まで登って参拝🙏🏻
建物が見えてきた〜
滝
手水社
雪囲いされた⛩九頭龍社
御祭神は九頭龍大神で、戸隠は嘉祥二年(849)学門行者によって開山されたとされ、江戸時代までは九頭龍大権現といって信仰の中心でした。はじめは恐ろしい山の神でしたが、しだいに修験者に験力を与える神様、そして水の神様、農業の神様になりました。
拝殿の後ろから右上に回廊が続き、その先に本殿が半分入り込んだ洞窟があります。昔、九頭一尾の大龍(大蛇)が戸隠山を守護することを誓って洞窟に籠ったといいます。昭和12年(1937)再建。
九頭龍伝承・学門行者
九頭龍大神(九頭龍権現)は山岳信仰から始まった戸隠信仰の中心で、かっては長命や幸せを願ったり、呪詛(じゅそ)を避けたりと、いろいろな利益(りやく)を誇りましたが、江戸時代になると、水の神様ともなって広く農民に信仰されました。次のような伝承があります。
嘉祥二年、学門行者が飯綱山から金剛杵(こんごうしょ)を投じると、戸隠山の宝窟で光を放った。行者がこの窟で、地主神を呼び出そうと祈念すると、聖観音・千手・釈迦・地蔵の像が地中から湧きだした。なおも経を読むと、九頭一尾の大龍がやって来て言う。「我は仏様の物をないがしろにしたので、蛇の身になってしまったが、お前の唱える法華経で解脱を得た。それで未来永遠にわたり此山を守護しよう。この山は両界山といい三十三所の窟があり、観世音菩薩が現れてお会いできる。一度この山に登れば死後の世界での苦を逃れ、苦しい運命も変えることができる」。言い終わって、九頭一尾の大龍は本窟に還った。その時に大盤石をもって本窟の戸を閉ざしたので、戸隠という。また金剛杵の光を顕わしたので顕光寺という。
中に入ってご挨拶🙏🏻
⛩奥社
御祭神 天手力雄命
(あめのたぢからおのみこと)
由緒・ご神徳
- 日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸を開き、天照大神をお導きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。
- 戸隠神社の御本社として開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝などの御神徳が全国に広宣され多くの崇敬者が登拝されます。
参道は約2キロ、中程には萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いています。
すごい積雪❄️
参拝🙏🏻し見上げると、綺麗に戸隠の山が見えていた🏔
私一人の贅沢な時間を過ごし、
「ありがとうございました🙏🏻」
とご挨拶し歩き出した👣👣
「気をつけて帰りなされよ」
と言われたような気がして
「は〜〜〜い」
と幼稚園児のように返答した
坂を軽快に下りていると、今度は
「そんなに急いで帰らなくても…」
という感情を感じて速度を落としたが、奥社でのたった1人の時間を過ごせたのと、降っていた雪❄️が止み、綺麗な戸隠の山を見せてもらえたことにルンルンだったので、自然にまた速度が上がってしまった
だって、こんなに綺麗な歓迎サインをもらえたんですもん
明るいし、景色もサイコー
ご覧下さい
これで⛩戸隠神社 奥社は終わりとなります
次回のブログは
火之御子社 をご紹介致します
またね〜