これまでの旅の流れをこちらから読み進めていただけると助かります🙏🏻
2024年3月4日
車のナビに⛩戸隠神社を設定し
宿泊したホテルを出ました🚗 ³₃
晴天☀️
ナビは有料道路から高速道路を通るように設定されています🗺
甲斐寄居有料道路に乗り、間もなく料金所で¥430-を支払い🚗💨
すると、直ぐにナビが左車線を下りるように指示🛣
お金を払ったばかりで下りるんかい
ナビが示すまま一般道を走行した
それが何故かまた料金所に来てしまった
どうなっとんねん
また¥430-を支払い、頭の中は
するとまた、下りろ
とナビが示す
あ〜〜〜〜〜〜
一般道に下り、車を停めて下道で高速道路まで行くようにナビを設定し直して出発した
🚗³₃💨
もうお金を払うわけにはいかない
それからは何事もなく高速道路に乗り、長野市に入った㊗️🎉
何だか天気がヤバいぞ😱💦
標識に白馬スキー場の名がついている
大粒の雪❄️がモサモサ降る中を、ナビが示すまま進んだ🚗
「⛩戸隠神社に無事に着いたとしても、帰る時、車が雪で埋もれて出れなくなるんじゃないかな〜」
と、心配が脳裏に浮かんだ
サナトさん(サナトクマラ)が出発当日(3月2日)の午前中に受けたサナトクマラヒーリングで言っていた
「これからの旅
不安や迷った時の感情を手放すと
必然的に道案内されるからな」
「天候、辿り着く・着かないは言わない!
一つ一つ不安を取ること」
「迷ったら手放すことを学ぶ旅でもある」
この事だったのか…
有料道路を走行できないのも、天候の心配も…
だが、これだけでは無かったのです
この旅の最後のブログでご紹介したいと思います
無事にAM10:40頃、⛩戸隠神社 宝光社に到着できました
駐車場🅿️に車を停め、この日の為に買った長靴を履き歩き出した
この積雪です
ツルツル滑る・・・
階段を1歩、2歩と踏み出すが、
滑って危険⚠️なのだ
長靴の靴底を見ると、軽量を重視した型に流し入れて作った物のようで、グリップが効かない、雨天用の長靴だったようなのです
直ぐに車まで戻り、さっきまで履いていたくるぶしまでの靴に履き替え、ギュギュギューっと紐を縛り上げて雪が浸入するのを防いで履いた
⛩戸隠神社 宝光社
御祭神 天表春命
(あめのうわはるのみこと)
由緒・ご神徳
- 杉の古木の中、270余段の石段を登ると神仏習合時代の面影を残す荘厳な社殿があり、その荘厳さは多くの信者の尊信を集めています。
- 祭神は中社祭神の御子神様で、開拓・学問技芸・裁縫の神、安産の神、女性や子供の守り神として御神徳があります。
- 「戸隠山顕光寺流記」より
- 後冷泉天皇の御世である康平元年(1058年)8月26日、奥院より五十町ほど離れた大木の梢に光を放って輝くものがありました。人々が不思議に思い集まって、よく見てみたところ、それは「御正体」(神仏習合の考えによって神体である鏡に本地仏の像を示した鏡像のこと)でした。
その時そばにいた12~3歳の女の子がもだえ苦しみ、倒れてしまったので、人々が「どうしたものか」と騒いでいると、女の子はこういいました。「私は当山三所権現の先駆けで左方に立つ地蔵権現です。本院は女人禁制の結界があり、女人は中に入ることができません。従って本院に行けない女人のために、ここに堂を建てて、私を安置してください。」その場にいた人々は怪しんで「それが本当なら、ここにいる誰かの袖にお移りください」と言うと、「御正体」はそこにいたお坊さんの袖の中に飛び移りました。お坊さんが慌てて袖の中を確かめてみると、地蔵菩薩像が入っていました。そこで人々は女の子の言うことを信じ、すぐに堂を建てて地蔵菩薩像を安置しました。堂ははじめ「福岡院」と呼ばれ、後に「宝光院」といわれるようになりました。また「御正体」がやってきたところを「伏拝所」というようになりました。
宝光社⛩
左手にトイレがあり、掃除をされてた方がいた🙏🏻
キレイにされてるのに感謝ですね💕
長野県史跡
戸隠神社信仰遺跡
前を歩いてる方は外国の男性で、1人で来ていたようです🧑🦰
長靴を履き替えに戻る時挨拶を交わしました
手水舎
カワイイ龍🐉
狛犬さん💕 失礼しますね
階段途中 右側に境内社
左に行くと「女坂」
私はこちらを進みました👣👣
境内社や授与所、神輿庫
彫刻が細やかで綺麗です✨
映られてる方は外国の方と別で、女性の方がお一人でいらしていた👩🦰
⛩戸隠神社は冬季期間中(4月中旬まで)は、中社にある授与所でしか御守りや御朱印、おみくじ等 お受けできません🙏🏻
その為、
宝光社 → 火之御子社 → 奥社 → 中社
の順に周り、最後に御朱印等をいただこうと考えていた🗒✍
次回のブログでは、本来なら火之御子社をご紹介する予定でしたが駐車場🅿️に🚗を停めることができなかった為、奥社に向かった内容からご紹介致します
ありがとうございました