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気まぐれ旅日記 Part-023 (テーマパーク編-03)


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本日の旅日記ですが、フランス、パリ郊外のユーロ・ディズニーです。
このパークにはD社に入って4年目に行かせていただきました。

毎年イースターのタイミング(4月)に、イタリアのボローニャで世界レベルの児童書ブックフェアがあるのですが、僕がD社に在籍していた当時、このボローニャ・ブックフェアに合わせて世界中のD社出版部門の総会があり、日本からも毎年3~4人ほど出席していました。
で、入社4年目にしてボローニャ出張へ行く事となりまして、当時の上司の計らいで、この出張の帰路にパリに立ち寄って来なさいとの業務命令を承り、D社のパリ支社とユーロ・ディズニー訪問となりました。
ユーロ・ディズニーはパリの中心部から地下鉄でおよそ30~40分ほど西に行った所にあります。
規模的にはTDLよりちょっと小さいかなぁという感じ。
ここも現在は2パーク併設で、ユーロ・ディズニーの隣にディズニー・スタジオがあります。
で、東京やカリフォルニアの2パークと異なるのは、(僕が訪れた当時ですが)どちらかのパークチケットを購入すれば、両パークを自由に行き来できる点でした。
パリのDL、実際には日本やUSほど人気がないんですね。で、苦肉の策だったかなと。

ヨーロッパでのディズニー人気はテーマパークというよりはコミックや絵本。
イギリスではプーさんを始めとした絵本とディズニーの雑誌、イタリアではドナルドを主人公したコミック、北欧ではオリジナル・キャラクターの少女コミックが人気となってました(6年前の話ですが)。今は、どうなだろう?

写真はパリのディズニー・スタジオにあるウォルトとミッキーの像。
これはディズニーのパークには欠かせないモノですね。
世界中どこのパークに行っても、この二人は必ず何処かにいます。

気まぐれ旅日記 Part-022 (テーマパーク編-02)


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本日、テーマパーク編の2回目、カリフォルニア州アナハイムのディズニーランドのお話。

40歳になるまでTDLもいったことの無かった僕が、前回紹介したユニバーサル・スタジオ訪問以降かなりの回数、パークに行く事となりました。
2000年3月から2006年10月までの間、都内某所にあるD社の日本支社で出版物にまつわる著作権管理の仕事に従事していたから、なんです。

それまでモータースポーツや自動車工学系の雑誌・書籍の編集を15年間勤めて来て、いきなりキャラクター・ビジネスの総本山ともいうべきD社の社員に転職したワケで、当時の友人・知人は畑違いの世界に飛び込む僕に「お前、大丈夫か?」「外資でなんて、1年持たないんじゃないか?」と、イロイロと様々に心配を掛けました。

ま、何とか6年半持ちました、けど。

で、D社の社員だったおかげで、自社が直接運営するパーク入場はフリーだったんです。家族や友人・知人も人数制限はありますがフリーで同伴OK。
そこで2003年に母親と叔母、母親の幼馴染の三婆(サンバー)を連れて西海岸&ハワイ旅行に行きまして、アナハイムへも行った次第。

終戦直後、女学校に通っていた母親の、当時の担任の先生がロスアンジェルスにお住まいで、1990年頃に、一度、母親は先生に会いに行ってたんですけど、元気なうちにもう一度会いたいという事になって連れて行ったんです。

僕が、このDLに初めて行ったのは2000年の2月、D社の社員になる直前のこと。その年の正月明けから4回ほど面接を受け、最終的にD社からオファーレターを受け取りまして、その後、本当に転職するべきかどうか思い悩んでた時に、「それじゃぁ本拠地に行ってみよ」と思い立ち、渡米してアナハイムまでレンタカーを走らせて行ったんですね。
その時点で開園45周年だったDLでしたが、パーク施設のベンチひとつにまでメンテナンスがしっかり施されている状況を目の当たりにし、この会社だったら大丈夫かなと思って転職を決めたというワケです。

話が長くなりましたが、そんなこんなワケでサンバー連れて行ったDLですけど、やっぱり魔法にかけられましたねサンバーとも。二日連チャンで歩き回ったにも関わらず、この時は「足が痛い」だの「疲れた」だのとの文句も愚痴も出ませんでした。

サンバーの笑顔、ステキでしょ?

安岡力也さんのこと

今朝、安岡力也さんがお亡くなりになったとの訃報に接しました。


力也さんとは何度か面識があり、ある忘年会の席でテーブルが一緒になりお話させて頂いたことがあります。


力也さんに初めてお目にかかったのは、僕が二十歳の時。

当時の力也さんは一時表舞台から遠ざかり、あまりお仕事をなさっていなかった時期だったと思います。(ホタテマンでブレイクする前ですね)

内田裕也さんプロデュースの日比谷野音で行われたライブ会場で、力也さんはステージ裏の動線を仕切っていました。2030バンドぐらいが出演したライブイベントで、時に力也さんは僕らローディーの荷物運びも手伝ってくれたりもしていました。ガタイのデカイ、強面の力也さんを前にして、正直、僕はビビったのを覚えています。

でも、今にして思えば、ミュージシャンとしても役者としても第一線で活躍した人が、僕らの様な使いっ走りの仕事を手伝ってくれたなんて、度量の大きな人だったなぁと。僕みたいな小物にはマネの出来ないことですね。


その後、何回か裕也さんプロデュースの野音イベントや年越ライブの会場で力也さんの姿をお見かけしました。

(ホタテマンでブレイクした後は力也さんもステージに上がってましたね、小室哲也がバックで演奏してたりして)


僕が音楽業界を離れて5~6年経って、知人のカメラマンに誘われて参加した忘年会で、偶然にも力也さんと同じテーブルに着くこととなり、「その昔、力也さんに野音のバックステージで、ウチのバンドの機材搬入や搬出を手伝ってもらったことあるんですよ~」と語りかけると、 「あぁそうかい。そんなことしていた時期もあったなぁ」と、おそらく力也さんとしては思い出したくない時期の話にも係わらず、仲間内の酒席であったこともあり、はにかみを含んだ笑顔でお応えして頂きました。その後3年~4年は、毎年年末になるとその集まりで力也さんとお会いしイロイロお話させて頂いたことを覚えています。

力也さんは、あの風貌や声のイメージから「おっかない」イメージがあるかも知れませんが、実際にはとても心配りが自然体で優しい方だったと思います。ステージで50’s60’sR&BRock’n Rollを歌う姿は、迫力もありカッコ良かったです。

長年の闘病生活の末にご逝去されました。何とか復活して欲しいと思っていましたが、叶わなかったですね。

お疲れ様でした。 これからは、ゆっくり休んでください。 ご冥福をお祈りいたします。

気まぐれ旅日記 Part-021 (テーマパーク編-01)


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本日から、チョコッと嗜好を変えて書いて行こうと思います。

旅日記に変わりはないんですが、サブカテゴリーを立てる事にしました。
その1回目、テーマパーク編。

僕が子供の頃に行った遊園地といえば、現在の横浜市青葉区と東京都町田市にまたがってある「こどもの国」とか3年前に閉園してしまった「多摩テック」ですね。
当時、相模原や八王子に住んでたっていうこともあるし、当時(今から40ン年前)両方ともオープンしたばかりってこともあったし。。。

その後、40歳になるまで、遊園地にはほとんど行ってませんでした。
20代~30代に花屋敷(浅草)と後楽園(文京区)、鈴鹿サーキット遊園地などに数回。
開園前から話題になっていたTDLなんて全然行った事ありませんでした。

さてはて、そんな僕が40歳にして初めて海外のテーマパーク・デビュー。
写真はその時のもの。ロサンジェルス郊外のユニバーサルスタジオです。

まさかこの時は、翌年にD社に入るなんて思ってもいなかったので、当時勤めていた出版社でのハードワークから逃れ、息抜きしに久々のUS西海岸旅行を楽しんでいただけでしたネ。
ただただ単純に童心に帰ってアトラクションを楽しんで来た次第。


しかし、13年前の写真ともなると、我ながら流石に若いなと思ってみたり (^^;

気まぐれ旅日記 Part-020


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本日もヴェネツィアの写真とともに。

写真はサン・マルコ広場。この広場はヴェネツィアの中心的な存在の場所で広場です。
ヨーロッパの中世から栄えて来た街には、大抵、その中心に「広場」があります。
彼の地での生活が長かった某カメラマンに聞いた話の受け売りですが。。。

日本でだと例えば駅だったり港だったり、バスターミナルだったり、もしくは江戸時代からの宿場だったりと、交通機関や人の動き・流れとともに街の中心街が築かれて来たと思いますが、ヨーロッパは「○○広場」っていうのが本当に多いんですね。で、広場から街が形成されていく。
寺院前や宮殿前、市庁舎前など。ヨーロッパの街は広場を中心に広がっていると僕も思います。

このサン・マルコ広場は、サン・マルコ寺院とドゥカーレ宮殿の回廊などで囲まれた広場で、回廊の1階部分は色んな店舗、ジュエリー店、土産物店、カフェなどが入っていて地元の人々にとっても観光客にとっても憩いの場となっている感じです。

で、この広場はヨーロッパの中でも別格らしく、普通ヨーロッパで「○○広場」を表記する時って、「○○ Plaza」っていうのが多いんですけれど、こちらは「Piazza San Marco」と表記されています。

で、ハトがやたらに多い。(なのでハトのふんも。。。。残念)

僕は経験していませんが、この広場、大潮の時とか水没することがあるそうです。

ま、この広場に関心のある方は、その詳細をウィキとかで調べて下さい。