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気まぐれ旅日記 Part-033 (沖縄編-06)


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さて、沖縄話の続きですが、今回も沖縄に行ったら必ず訪れる場所の紹介です。

本島の最北端、辺戸岬。

那覇からクルマで2時間~3時間かかりますが、訪沖した際は、たいていレンタカーを走らせて行きます。
岬に打ち着ける波が目茶苦茶美しいポイントです。

岬の突端から、右手が太平洋、左手が東シナ海。
好天で湿度が低ければ、水平線の向こうに与論島を望む事が出来ますね。

その与論島と辺戸岬との間には、その昔、国境線がありました。

沖縄の球児たちが甲子園に出場するのにパスポートが必要だった時代。球児たちが敗戦して甲子園の砂を持ちかえろうとしても、その国境線の向こう側で砂を海に投げ捨てなければならなかった時代があったんですね。

辺戸岬に立つと、想いを色々巡らせてしまします。
と同時に、行き帰りのドライブも楽しく、結果として「いつも行く場所」となります。

僕の場合、島の西側ルートで北上し、東側ルートで南下して帰って来ることが多いですね。

気まぐれ旅日記 Part-032 (沖縄編-05)


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沖縄編の5回目です。

今日紹介するのは、この15年余り、僕が訪沖した際に必ずお邪魔している「小桜」さんです。
那覇の国際通りから、牧志交番の角を入った竜宮通りにある飲み屋さんです。

お店の大将とは年齢的にも、まぁまぁ同年代なので話もあうし、何と言ってもお店のかもしだす雰囲気が最高なので、僕は沖縄滞在中はこのお店に必ず足を運んでいます。

写真に移っている、店内一面の小さな四角は全部店内で大将が撮ったお客さんの笑顔(ポラロイド写真です)。

このお店では、沢山の笑顔に包まれてお酒を飲むこととなります。
この笑顔の中に、僕も2枚、撮って頂き貼って貰っています。

友人の紹介でお伺いするようになりましたが、その後はほとんど一人で行ってます。
那覇で先代から50年以上営業して来た銘店です。
最近は息子さんが手伝っていると聞きましたので、今後も皆さんに愛されるお店となるでしょう.

お店のHPはないので、興味のある方は「グルなび」とかで調べてみて下さい。

気まぐれ旅日記 Part-031 (沖縄編-04)


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沖縄を訪れる楽しみのひとつに、沖縄独特の食文化があると思います。

で、単純に沖縄の食文化と言っても、現在の沖縄食は大別すると戦前からの伝統食と戦後の米軍統治下以降のアメリカナイズされた食文化のふたつに分かれると思います。
チャンプルーやじーまみ、すくがらす、沖縄そばは伝統食の、ステーキやタコライス、アイスクリームなどは戦後のそれぞれの代表ではないでしょうか。

10年~15年前くらいから首都圏にも沖縄料理のお店が出店され、今では、僕が現在住んでいる群馬県でも何軒かの沖縄料理店が営業しています。
バブル以前は、首都圏で沖縄料理店っていったら横浜市鶴見区の京浜工業地帯の一部エリアが有名だったんですけどね。

都内で仕事をしていた当時、時々お伺いしていた沖縄料理店が市ヶ谷にありました。
「みやらび」というお店で、ここは間違いなく都内でも老舗かつトップクラスだと思います。
(お店を改築されて以降、老舗の雰囲気は薄れてしまいましたが、都内で50年以上営業されているお店です)
伝統料理から家庭料理、創作料理までメニューは豊富。興味のある方は、お店のHPをチェックしてみてください。
http://www.miyarabi-kudan.com/

で、昨日の日記に、沖縄に行った際に必ず立ち寄る場所があると記しましたが、その中に食事処と飲み屋さんがあります。
飲み屋さんのことは、また別途記しますが、食事処に関して。

一軒は、那覇の国際通りからほど近い、昼間は食堂・夜は居酒屋なお店です。
僕にとっては高評価なお店なんですが、いわゆる「きたなとらん」なので人によっては評価マチマチかも知れません。
そしてもう一軒、こちらは糸満市の真壁という住宅街の中にある「ちなー」。
こちらのお店はメディアでも何度か取り上げらているのでご存知の方も多いかとは思いますが、僕もこのお店のファンのひとりです。
明治時代に建てられたという古民家を生かしたお店で、今回の写真はその外観です。
こちらも興味のある方は、お店のHPをチェックしてみてください。
http://makabechina.ti-da.net/
ミクシィにもファンのコミュがあるみたいですね(僕は参加メンバーじゃないですけど)。


追記:先日、日記に記しました京都・祇園縄手で悲惨な事故がありました。被害に遭った方々、そのご家族に心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。自分の好きな街で起きてしまった事故に少なからず心を痛めております。

気まぐれ旅日記 Part-030 (沖縄編-03)


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沖縄には、これまで20回くらい行きました。
それ以上行ってるかも知れませんが、まぁ、だいたい20回くらいだと思います。

友人と一緒に行くこともありますが、一人で行くことの方が多いかな。

でも、沖縄在住の友人もいますし、馴染みにさせて頂いている飲み屋もあるので、一人で行っても寂しくはありません。

宮古島や石垣島などの島しょには行ったことがありません。
僕は沖縄本島のみ。
本島のほとんどを走り回って来ましたが、まだ行けてない所もあるし。
いつの日か、与那国島と波照間島には行ってみたいと思っていますが、今はまだ自分自身にとってタイミングじゃないかなと思っています。

なぜ本島ばかりかと言うと、やっぱり沖縄編01で書いた原体験があるからなんですね。

僕が沖縄を度々訪れてきたのは、いわゆる南国生活やロハスを求めてというのとは、ちょと違うワケです。真意を事細かにここに記すのは難しいのですが、まぁ、簡単に言って、沖縄県のために何らかのお役に立ちたいという気持ちが先行しているんです。

さてはて、僕が沖縄を訪れる時、ほとんど必ず訪れる場所が何箇所か有ります。

写真は、その内のひとつ。
那覇空港の南側に位置する海浜公園。

ここで飛行機を眺めつつ、磯遊びに興じる子供たちを見守る。
お気に入りのスポットです。


気まぐれ旅日記 Part-029 (沖縄編-02)


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沖縄編の2回目です。

僕が初めて沖縄を訪れたのは、当時在籍していたF1専門誌の取材で、でした。
1994年12月のことです。
何故、F1雑誌が沖縄取材? と思われるF1マニアの方々もいることでしょう。

沖縄をF1マシンが走ったワケではありません。
沖縄にはカートコースはありますが、本格的なサーキットはありませんし、ね。
(個人的には那覇の泊港あたりをピットエリアにして市街地レースをやれば面白いし、沖縄の観光の目玉になるんじゃないかって、ず~っと思っているんですけどね。コースレイアウトも面白いコースになるし、アップダウンもそこそこ付けられて、、、、あ、話が逸れました)

沖縄のどこで何を取材したかと言うと、沖縄国際大学の体育館で行われた琉球空手の大会。
実際のところ、F1とは何の関係もないイベントです。
ですが、この日は東京から僕が在籍していた編集部と東京中日スポーツだけが取材に行きました。スクープ撮りですね。(他媒体はフジTVでさえ来ていなかったと思います)

何故、沖縄取材だったかというと、その空手大会に92年のF1チャンピオン、ナイジェル・マンセルが特別招待を受け、名誉段を受章しに来るという情報をつかんだから、なんです。
シーズン・オフの恰好のネタでしたし、空手着姿のマンセルを次号の表紙にしようと即決し、すぐさまカメラマンの手配をしました。

しかし、その日はホンダF1チームの中村良夫監督の葬儀当日。
生前、最期までグランプリの現場に足を運んでいた中村さんの葬儀当日に沖縄取材に同行してくれる契約カメラマンは手配出来ず、編集長が出した結論が「お前が行け」。

なぜならば、表紙写真レベルの撮影が出来るのは、ウチの編集部じゃ俺とお前しかいない。
でも、俺が中村さんの葬儀を欠席するワケにはいかない。
だからお前が行ってマンセルの空手着姿を撮って来い。
という編集長からの業務命令。

実は僕自身も喪服を用意し、数時間後の葬儀に参列させていただく予定でした。
(中村さんは当時の編集部の相談役・顧問でしたので、僕も大変にお世話になった方でした)

そんなハプニングがキッカケで、初めての沖縄訪問となった次第です。

初めての沖縄で、取材にお伺いした沖縄国際大学は、あの普天間基地のスグ南隣り。
キャンパス内に基地のヘリが墜落したことがある、という大学でした。
実際、航空機やヘリコプターの爆音が物凄いキャンパスにビックリしました。

中村さんの葬儀を泣く泣く欠席し、機上から手を合わせ、慌ただしい取材スケジュールをこなして表紙写真の差し替え入稿時間にギリギリ間に合わせ、バッチリと空手着姿のマンセルの写真を表紙に掲載することが出来、何とか役目を果たしました。

今だったら、インターネットとデジタル写真、携帯電話を駆使すれば難なく出来てしまう事かと思います。けれど、そんな技術は全くない18年前の話、ですね。

写真は、右の岬が辺野古です。
普天間基地の移転先として候補にされているエリア。

移転前の風景を自分の眼(まなこ)に焼き付けたいと思って2004年以降、何度か訪れました。
もちろん、僕は移転に反対です。