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気まぐれ旅日記 Part-043 (ニューヨーク編-02)


MoryBoon.の思いつくがままに

昨日、ニューヨークのことを書きつつ、幼馴染の話も書きました。
ニューヨークに関して、ネガティブな本日までで終りにしたいと思います。

で、ネガティブの最後に何を紹介するかというと、グラウンド・ゼロです。
この言葉を9.11にも用いたことに、2001年当時、正直、少し違和感を感じていました。

いくらなんでも「爆心地」って。
原爆落とした国が、自国の経済発展の象徴だった場所を、そんな呼び方にするか? と。

アメリカって国は他国には散々空爆をしかけて来た国ですが、自国は空爆を受けたことがない国ですからね。
ま、唯一の例外的な事例が「パールハーバー」。
でも、アメリカが仕掛けた数々の空爆に比べれば、パールハーバーが空爆と呼べるかどうか。



その、彼らが「爆心地」と名付けたWTCビル跡地に行きました。
写真に写っているボードに、被災した故人の名前が刻まれています。
金網の向こう側が復興作業の工事現場。

僕が訪れた事件の5年後は、すでに観光スポット化していました。

ここで小一時間、泣いてた次第です。
成人後、あんなに大泣きしたことは、後にも先にもありません。



明日からは、ニューヨークの、もっとイイ話を書きますネ。

気まぐれ旅日記 Part-042 (ニューヨーク編-01)


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国内旅行の旅日記をしばらくお休みして、また海外旅行の日記にシフトしたいと思います。
で、今回はニューヨーク編です。

ニューヨークには2回だけ行ったことがあります。
1995年と2006年。ともに夏場に行きました。

初めてニューヨークに行った時は、「きっとまた来る」と思っていました。
が、再訪を果たすまでに約10年掛ったのは、一応、理由がありまして。。。

理由は「9.11」です。

あの日のワールド・トレード・センター・ビルで、幼馴染が命を落としました。
小学校3年から5年までの間、一緒のクラスだったクラスメート。
転校生だった僕に何かと気を配ってくれた、優しい男の子でした。

珍しい苗字でしたので犠牲者の氏名が公表された時、同い年のその名前を耳にしてガク然としました。
まさかと思いましたが、あのテロ後に当時の東京新聞が犠牲者の追跡ルポを記事にしていて、東京都八王子市の出身であることや5歳年上の兄がいることなどを記していて確信した次第です。

彼の死を知って以来、ニューヨークには「行きたくない」気持ちが増幅し、アメリカ東海岸には出掛けてもニューヨークはトランジットで立ち寄っても街には出向かずに済ませて来た時期が5年ほどあったワケです。

その後、2005年頃からWTCビルの跡地の再開発工事が本格的に進みビル崩壊のツメ跡が徐々に消されてきているとの報道に接し、自分の気持ちにも整理をつけたいと思い2006年にニューヨークへ行き「その場所」を訪ねて来ました。

犠牲者名簿に刻まれた幼馴染の名前を写真に収めましたが、何枚もシャッターを切ったのに一枚もまともに撮れていませんでした。
「その場所」では人目もはばからず泣いてました。小一時間は泣いていたかと思います。
泣くだけ泣いて、少しだけ気持ちは治まりましたが、正直、今でも一番会いたい幼馴染であることには変わりありません。
彼のことを思い出すと、今でも切なくて胸が詰まります。





色んな国々を旅して、様々な街に足跡を残して来ましたが、ニューヨークはやはり世界でも最もエネルギーを感じる街ですね。
東京も負けず劣らずエネルギーを感じる街ですが、ニューヨークはある意味で別格だと思います。
でも、正直、好きかと問われると、好きじゃないです。
嫌いな街じゃないけれど、好きな街じゃないです。

人の強欲が満ちている街という印象かな。
それだけにエネルギーを感じる刺激的な街なんですけどネ。

写真は、そんなニューヨークで撮影した一枚。
ニューヨーク・マンハッタン島の真ん中からチョット南側、ニューヨーク公立図書館脇のブライアント公園で撮影したものです。
あの「9.11」を知らない子供たち、かな。

気まぐれ旅日記 Part-041 (北海道編-08)


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北海道編の8日目です。
とりあえず、旅日記の北海道編はここまで。

最北端の街・稚内から北東に進むと最北端の岬、宗谷岬に辿り着きます。

ノシャップ岬からさほど離れていない場所なのに、かつ、ノシャップ岬よりも北に位置しているのに、風もなく穏やかで暖かくさえ感じました。
(北海道の岬巡りをした中で一番コンディションが良かったかなと)

岬の突端から望む海は、右手がオホーツク海、左手が日本海になるんでしょうね。
僕が訪れた時は、カモメがたくさん空中散歩してました。

目前にある海を越えて、その先にある陸地を探索しに船出して行った先人に想いを馳せると、自分のモノ差しがいかに小さいか、実感します。

写真は、本土最北端の碑、です。

気まぐれ旅日記 Part-040 (北海道編-07)


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前日の日記に記した知床半島を後にして、紋別までオホーツク海沿いを走り、そこから南西へ進路を取っていくつかの高速コーナリングを愉しみつつ旭川へ向かいました。

その日は旭川に投宿。

翌日も西に進路を取って日本海側の留萌へ。そこからひたすらオロロンライン(国道232号と地方道106号)を北上して稚内へ辿り着き、北海道の北にあるふたつの突端へ。
まず最初に向かったのがノシャップ岬。

写真はその港。
遠くに移っている丸い物体は航空自衛隊稚内分屯地のレーダーですね。

このノシャップ岬も訪れた当日は風が強く寒かったです。
岬を30分ほど散策し稚内市内に戻りオートバックスへ。エンジンオイル2L缶を購入して補給。800ccくらい入ったかなと思います。

気まぐれ旅日記 Part-039 (北海道編-06)


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北海道編の6回目です。

昨日記した羅臼から北上すると、知床半島の中間点を南北に結ぶ知床横断道路(知床峠)を走る事になります。
この峠道は冬期間は通行止めになっているらしく、GWのタイミングで通行出来るようになるようです。例年の開通が何日なのか知りませんが、僕が訪れた2010年は5月1日が開通日でした。

午後3時過ぎ、その日の通行可能時間ギリギリに(開通後も夕方から夜間は通行止め)知床横断道路に入り、山坂を登り高度が上がって行くと案の定、峠の頂点は銀世界。そして強風。体感温度は氷点下でした。
クルマを降りて写真を撮っていた時間は、正味10分も無かったと思います。寒くて、そそくさと車内に戻りました。

その極寒の峠の頂点を越えると目下にオホーツク海が広がり、北海道の大自然を全身で受け止めつつクルマを走らせる事になります。
ここでは、何とも言われぬ充実感(峠の頂点以降は高度が下がるに従って外気温が上がって行くのも実感します)を味わうことが出来ました。

このGWに北海道に行く機会がある人は、是非、知床峠をプランに加えてみて下さい。