私がお客さまとお会いするために、夜までず~っとハネダハウスにいたとき。夫と息子は、一緒にお昼ご飯を食べに行っていたようです。

泊ったホテルが両国だったので、ホテルの位置を確認し、そしてランチは…両国といえば…ちゃんこ。ということで、2人でちゃんこのお店に行ったそうですにやり

確かに両国はあちこちでちゃんこのお店を見ました。息子はヴィーガンで育てたものの、高校生の今では普通になんでも食べるようになり、私も息子を放し飼いにしてるので…もう彼が何を食べようが自由という。ただ私が作るものは変わらずヴィーガンのものしか作らないし、ママ、お腹すいたー、と言われたらヴィーガンのものしか出て来ませんDASH!おやつも全てヴィーガンです。

 

そしてこういう旅行中は、私がお金を出すなら、マクロビ系とかオーガニックとか、ベジタリアンとかそういうお店という選択。でも夫がお金を払うなら、二人で好きなとこ行ってくれDASH!ってスタンスですにやり

 

息子が小さいときは、このブログでもいろいろ書き記してきましたが…旅行中もとにかくベジタリアンとして過ごすために四苦八苦してきました。そして息子の反応も強かったので、どこででも食べられるわけではない、という感じでした。

 

が今は…まあ熱とか出しても基本ほっておける(家で私が24時間張り付いていないといけないわけではない)し、夜寝れなくてずーっとあやしてとか、私にしんどいこととか負担があんまりないので、それなら食べたいものどーぞどーぞお好きに。私は付き合わないけど。って感じになりました。…まあ、私のエゴですね。自分に迷惑かからなければどーぞお好きに、という。小さいときは、子どもの体調不良が即!!自分の生活を激変させてしまって、ただでさえ少ない自由時間が完全になくなり、そして自分の精神がおかしくなり…ということが起きやすかった。

 

大きくなると反応って薄くなることはなんとなく想像できていましたが、いやほんとに…楽ですね。

息子が写真を送ってくれたのですが、ちゃんこのお店はランチがなんと1100円!!で食べられてすごくお得、しかもおいしかったそうです。

夫と息子は味噌味のちゃんことしょうゆ味のちゃんこを選択。息子は今は普通にお肉も食べますが、絶対的に肉が好き!にはなってなくて、あれば食べる。って感じで、こうしてちゃんこのように、お肉も入ってるけど野菜も多い。というスタイルは基本好きみたいです。ヴィーガンで育ててみたら、お肉はおいしい!という意識があんまりないままになって、よっぽどのものじゃないとおいしいと感じなくなったみたいです。なのでとりあえず肉食いたい。って感覚は生まれないままです。

魚は好き、おいしい、という意識は息子はあります。卵も然り。でもお肉は・・・ふーん。って感じがほとんどらしく、まあ・・・こんなもんか。って感じることが多いらしい。もしかして世の中には、やはりここは日本だから、おいしいレベルのお魚は多くて、お肉はお魚のレベルと比べると、ちょっと違うんやろか。それか、息子の体質的に、お肉をあんまり必要としない陰陽具合で、肉にぴんとこないのか。

とはいえ、だしなんかはおいしく感じられるらしい。

 

友達と焼き肉も行けるようになり、そして家では私が作るものも食べることができ。私が作るものは、「どーせママの味だしな~」とは言いつつも…美味しい時はおいしいと素直に言ってくれ。息子と過ごしてきて・・・何をどう食べるかより、作ってくれた人に何かポジティブなことを言えるって…すっごく大切なことなのではないか、ということに気づかされました。

 

食べ物に気を付けてます。全部オーガニックです。選ぶ力持ってます。…ってふうに子どもが育ったら。

 

食べ物の知識めっちゃあって、そして選んで生活してても・・・批判的な人間に育ってしまったらどうなのか。あっこれオーガニックじゃないんで俺食べれないです。こんなのよく食べれますね。的な人間に育ってしまったら?

 

食べ物にめっちゃ気をつけてる。・・・が、例えば将来の奥さんとかに、一切!!おいしいとかを言わない人間に育ったら?

 

食べ物にめっちゃ気を付けてる。だけど、一切自分で何も作れないし、片付けの手伝いもしない。って人間に育ってしまったら??

 

食べ物に気を付ける人間であってほしい。…と、夫とか、親とか、子どもとかに思ってしまうことってあるけど……だけど、本当にそれ、が一番の願いです、って人は、きっと少ないんだろうと思う。

 

自分にとって「一番、ほんとうに望むこと」は、何か。

 

自分の作るものに「おいしい!最高!」を言ってもらえることなのか。

 

自分は料理が嫌いだから、全部自分の代わりに作ってくれる人がいいのか。

 

後片付けを全て引き受けてくれる人がいいのか、あるいは・・・。

 

あーでこーで、と家族への愚痴とか不満を言うならば、じゃあ、本当に、一番に自分の心が望んでいることは?を知るチャンスなはずだから、それを追求してみても面白い気がする。

 

私は…自分の作るものをおいしいおいしいと言ってくれる子どもがいて…幸せだったし、自信がない自分にとってそれは、自信をつけてくれる出来事だった気がします。身近な子どもが、自分を手放しでほめてくれる。…それって、めちゃくちゃ幸せだったし、そして・・・そうして子どもって、親を幸せな気持ちにさせてくれたり、親に自信をつけさせてくれたり、親のコンプレックスを和らげてくれたり、親の夢を叶えさせてくれたり・・・子どもって、すごい力を持ってますね。

(息子、その後夫と別行動でテレビ朝日に行ったらしい)

まあ今は、ほんとになかなか家にいない息子になり、そして私の弁当は完全拒否、家で食べるごはんもめっきり減った息子ですが・・・今の不満、よりも、これまでもらえたもの。これまで私をどれだけ幸せな気持ちにさせてくれたか、を忘れずに、そしてそれがあるから、一生分ちゃんと幸せをもらってるから、もうこれ以上求めるのは野暮ってもんよ、欲しがりでgreedyだぞと、自分で自分につっこみを入れつつ、確かにそうだな、一生分もらったもんな・・・と思っています。

 

子どもって、3歳までに、一生分の親孝行を終える。と言われています。

 

最高に可愛くて素直で・・・その時に、一生分のギフトをもらっているから。だから今ももっともっとくれ!!私をいい気持ちにさせろ!!…は、言わなくていいんだよなあと。

そんな息子ですが…東京からは…帰って来ませんでしたゲロー…飛行機に乗ったのは私と夫だけでした…その顛末については、またあらためて記事にすると思います(;^ω^)

 

 

ダイヤグリーン毎週水曜日と毎月第一土曜日はとなみイオンさんにて11~16時待機しています。

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さて、お客さまとのお話で、親を施設に入れること、の話題が多く出ることがあります。

 

親を施設に入れるときに、罪悪感を感じる方は多い印象があります。親御さんは、「ずっと自宅にいたい」と訴えることも多いし、その親の訴えを退けて施設に入れるなんて…なんて自分は冷たいんだ。と罪悪感を感じたり、また、あまりお見舞いに行かないと、なんて自分は冷たいんだ…とまた罪悪感に苛まれることもあります。

 

施設に入っておらずとも、実の親の、あるいは義理の両親の願い事をきいてあげないと…なんて自分は冷たいんだ。その願い事につきあってあげない自分、叶えてあげない自分はなんて非道な人間だ…と思う方もいます。

 

しかしながら…これまでお互いに優しさや愛の交換、ができていた関係性なら、この愛する人の願いをなんとか叶えてあげたい…!という思いにもなるでしょうが、これまであんなこともこんなこともあった、そしてあのこととかこのことに対しての謝罪も反省も一切なかったりとか…さらに、シンプルに、自分自身のことを、そのまんま、受け止めてもらえてはいない感覚があったとしても…それでも自分を犠牲にして、相手の欲求へのお付き合いをしなければならないか?というと…必ずしもそうではなかったりします。

 

答えはいつも自分の心の中にあります。

 

自分の中の小さな女の子、男の子が…なんて言ってるか?を想像する。

 

ほら、おばあちゃんのところ行くよ!!とその子に言ったら…その子は悲しそうな顔をするのか。それともわーい!!という態度になるのか。

 

私たちの中には小さな子どもがいて、その子どもを守ってあげられるのは…自分しかいません。その子が嫌がることは、してはいけないのです。その子がすごく嫌がっていることをしてしまうのは、自分へのいじめ、自分への虐待です。いじめや虐待は、自分に対しても、他者に対しても、していいことではない・・・。

 

施設は嫌だ。自宅がいい。…と訴えていても、その方にはもう、判断力がなくなっていることもあります。わがまま、しか言えない状態になっていて、それがどういうことになるのかとか、周りにどんな影響を与えるのかなど…そういうことを考える力が失われていることもあるし、その判断力が残念ながらもうなくなってしまった状態のときもあります。

 

判断力がなくなっていたり、相手のことを考える、ということができなくなっている人のことを…永遠に相手しなければいけないのか?

 

相手のことが好きなら、相手がどんな状態になっても、ひたすら言う事をきいてあげたい!と思うかもしれません。相手のためにすべてを捧げる。…だけど、好きではない相手に、しかも判断力が落ち、自分の気持ちとか状態も考える力がなくなってる相手に対して…なんでもなんでも言うこときいてあげる。そのために自分はひたすら耐える。我慢する。…は、しなくてもいいことだと思います。だって、自分の中の小さな子どもが犠牲になってしまうから。その小さな子どもが犠牲になっても…相手はその責任は決してとってはくれません。自分で守るしかないのです。

 

本人の意に反して、施設に入る。ということが起きた場合。・・・それは必ずしも、「かわいそう」なこととは言えないと思います。スピリチュアル的側面から言うと。

 

この世には因果律があるのが宇宙の法則です。自分で蒔いた種を自分で刈り取る、という仕組みです。

 

その人がこれまで、他者に対して愛と優しさ、感謝を忘れずに生きてきたなら、自分にも他者にも嘘をつかずに生きてきたなら、そして、利益優先の考えではなく、いかに自分が得をするか、ではなく、時には他者に対して、利益度外視で、誰かのために何かをする、奉仕する、ということもしてきたなら・・・。

 

そういう生き方をして、いわゆる良い種、を蒔いてきた人なら、老後も、そのよき種が芽吹き、その恩恵を受けるでしょう。しかし、悪い種、というか…例えば自分がいかに得をするか、をたくさん考えてきたり、相手の気持ちを考えるなんてことせずに好き放題してきたり、誰かを傷つけても知らんぷりしていたり…会社ではいい顔をしていても家族には冷たかったりとか…何かしらの種、を蒔いていたならば、その刈り取りはせねばなりません。

 

もし、刈り取り、をしなかったらどうなるか?

 

…次の人生で、さらにカルマが増えて、背負う荷物が重くなって…その重いリュックで、次の人生を生きなければならなくなる可能性が高まると思います。

 

次の人生で、リュックの荷物を少しでも減らすには。

 

そのためには、今の人生で、少しでも減らせるカルマを作っておくほうがいいのです。

 

自分の意に反して施設に入ったならば。…つまり、「自分の思い通りにならない」ことを経験する、受け止める、ということになります。もし、自分の我を通し過ぎて誰かを傷つけたことがあるとして、その相手の気持ちを考えない、というカルマを人生で作ってしまったなら、そのカルマを少しでも解消できる何かを老後にしておいて、そして次の人生に備えたほうがいい、とも考えられます。

 

ということは…施設に入る、ということは、その人にとって、カルマを減らせる面があるかもしれないのです。自分の思い通りにならないけど、それを静かに受け止めることができたら・・・これまで作ってしまったカルマをいくらか、軽減できるかもしれない。その分、次の人生のリュックの重荷は確実に減る。

 

もし、本人が嫌がってるし施設に入れたらダメだ、どんなに家族が無理しても…どんなにお嫁さんの負担が増えても、施設はダメだ!!…と決めてしまったら。

 

本人は、施設に入ることで減らせるカルマがあったはずなのに、その機会を失ってしまいます。

 

もしかしたら、施設で、「感謝する」「他人にありがとうと素直に言う」のテーマに取り組むチャンスをもらえた人もいるはずで。これまでの人生で、相手にお礼を言う、感謝を伝える、ということが少なくてカルマになっちゃった人は、施設でスタッフの方々にお礼を言う、感謝の言葉を伝える、ってことができたら…カルマが減るはずなのです。その機会を奪ってしまっていいのか。

 

これまで、全て自分の思い通りにしようとしてきて周りを振り回したカルマがある人は、思い通りにならず施設に入ることになって、それを「受け止める」「受け入れる」ことができたら・・・これまた、カルマが減るはずなのです。「受け入れる」ことの練習の機会です。その大事な練習の機会、カルマが減る機会を奪っていいのか。

 

施設に入ることで、いろんなカルマを解消するチャンスもまた…たくさん隠されているのです。それを一方的に「かわいそう」と決めつける必要はなく、スピリチュアルな視点でもって、この流れはお互いにとって意味があることかもしれない・・・と思ってみる。

 

家族にとっても、単に「かわいそう」とか、勝手な罪悪感に苛まれる…という意識レベルから一歩進む。成長する。という機会を、トレーニングのチャンスをもらっているかもしれないのです。視点を広げるチャンスを、宇宙がわざわざ用意してくれたはずなのに…それを、勝手に施設はダメだかわいそうだと人間の脳みそで決めてしまっていいのか。

 

もし、明らかに施設に入ったほうがいいと思われるのに、本人のわがまま(に見える主張)だけがネックになっているなら・・・。

 

そのわがままをどこまでもきいてあげたいほど自分は相手のことが好きかどうか。をシンプルに考える。わがままを言うのは子どもです。自分の欲求だけ伝えて、相手の疲労度とかお金とかは気にしないし考えられない。

 

我が子なら・・・かわいいし、小さな赤ちゃんなら、どんなわがままでもきいてあげたいなとか、きいてあげよう、自分が無理しても、という気持ちになる(←なれないときも多々ありますが・・・)。かわいいから。大好きだから。

 

でも・・・相手のことを、何を言われてもかわいい、どんなことでも自分の時間と精神と睡眠時間を全てを捧げて、相手の言うことを聞いてあげたい、そうしないと私は一生後悔する!!とは、思えないなら。

 

そっか・・・自分は相手のこと、そこまでには・・・思えないんだな。という自分を、受け止めてあげる。

 

私、この人のわがままを聞いてあげたくないってことか・・・そこまで私はこの人のこと、好きじゃないんだな。そっか。と、その「自分の気持ちを受け止めてあげる」。

 

その瞬間・・・「自分を受け止める」すなわち、「自分を愛する」ことができたことになります。

 

自分の素直な気持ちを受け止めてあげる。その機会も…宇宙はくれている気がするのです。

 

私たちに必要なことは、「嫌いな人を誰一人として作らない」「みんな均等に大好き!!」…ではなくて、好きな人も嫌いな人もいるね、という「自分を受け入れる」こと。

 

でももしかしたら、この世には勘違い、洗脳もあるかもしれません。「家族を、身内を嫌いになってはダメだ、よくない」とか。…宇宙はそんなことは言ってません。まず、自分自身の気持ちに気が付いてあげる。素直になる。そして自分自身を否定しない。受け止めること。

 

私たちはみんな未熟な存在で、(宇宙からしたら私たちはみんな幼稚園児だそうですDASH!)できないことが多くて当たり前だし、完璧でなくて当たり前。・・・もし全てが完璧な幼稚園児がいたら、むしろ怖いです…。

 

私たちは幼稚園児だってこと、宇宙にはバレバレだから、何かができなくても、未熟でも、宇宙は怒ったりはしません。宇宙って…太陽みたいです。誰にもえこひいきしないし、必ず毎日照ってくれる。愛、優しさを降り注いでくれる。

 

あるお年寄りの方は…その方は長年施設に入っておられましたが、その方からは、「お世話される」というテーマが伝わってきたこともありました。

 

人生において(もしかしたら過去生でも)、誰かのお世話をする、ことに専念しすぎたあまり・・・バランスが偏ってしまい。ゆえに、今度は「自分がお世話される」ことが必要になったらしい、ということが伝わってきたことがありました。

 

誰かのためにお世話し続ける。自分のことは後回しで。…って、一見よさそうに見えますが、実は、それだけだとバランスが崩れることがあるのです。一方的になりすぎる、というのはバランスが偏っている状態です。

 

私たちは、いろんなことにおいて、陰陽両方のバランスが必要です。お世話する経験も必要だし、お世話される経験も必要。誰かを助ける経験も必要だし、助けてもらう経験も必要。誰かを傷つける経験も必要だし、自分が傷つけられる経験も必要だし、傷ついた人を癒してあげる経験も必要。

 

施設に入ることで・・・彼の、彼女の、なにか必要なバランスが整いますように。その場所で、体験すべきこと、気づくよう準備されていることがあるなら、それを体験し、気づいていけますように。と、お祈りしてあげることができます。

 

自分自身も、この流れで、体験すべきこと、気づくべきことを見失わずにいられますように。そんなお祈りができると思います。

 

感情のフィルターに惑わされず、その出来事の背後にあるもの、を見通してみる。そんな瞬間があってもいいかもしれないな…と思います。

 

それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ