ブログのアクセス数が突然えらいことになってしまいました。
いつも私のアクセス数は2000くらいなのですが、突然8891…そしてジャンル別ランキングでも3位に。な、なにかがおかしい。
何が起こったんだと思ったら、大上稜介くんがなんとヒガシのラグビー部に入部することになって(すごい!!)、それで大上稜介くんの名前を検索した人が多かったのかな…?と推察。稜介くんの記事がこの日すごくアクセス数が多かったので。
リョウスケくん…ついに、憧れのヒガシのラグビー部に入部できたなんて…感激です。ご家族も嬉しいだろうなあ。ヒガシのラグビー部もなんて優しい…。
リョウスケくんの記事はとても反響があった記事です。
そして、リョウスケくんのその後のニュースについても書きました。
そしてとうとう…リョウスケくんヒガシのラグビー部入部とは!!すごすぎる。
亡くなった児童、生徒が卒業証書をもらうケースはしばしば耳にすることもあるかと思うのですが、入部をさせてもらえるケースは…稀だと思います。それくらい、リョウスケくんは世の中を切り開いたということだと思います!!
我が子を失ったつらさは、癒えることなんてないし、薄れることもないと思います。時がたって薄れているように思えても、やっぱり自分の奥部ではその傷がずっと残っている。
でも、傷が癒えてなくても、この世のいろんな優しさ、思いやりがあることで…それらに助けられながら、私たちは生きていけるはず、と思います。
もしや宇宙って…私たちに助け合い、優しさを交し合う、ってことをさせたいから…傷つく人を作るのだろうか。そんなことすら思ったりしてしまいます。
そう考えると、傷つき、って…決してそこでストーリーが終わるのではない、と感じます。傷ついた経験、悲しすぎる経験は、きっと、その「続き」があるのだと思います。
悲しんで終わり。ではなく…いろんな優しさ、光に出会うチャンスがある。
私たちも、直接の関係者でなくとも、リョウスケくんの入部を満場一致で賛成してくれたヒガシのラグビー部の素晴らしい人間性は…リョウスケくんとのエピソードがあるゆえに、もちろんそれ以外でも彼らの人間力は伝わってはきてるけど、リョウスケくんとの交わりでさらに…彼らの素晴らしさ、愛、優しさが広まり、伝わって、人を感動させている。
リョウスケくんのお母さまが体当たりでぶつかった番組は…日本中を感動の渦に巻き込みました。もしかしてそれって、リョウスケくんがやりたかったことに通じるのかな。ラグビーも、見ている人を感動の渦に巻き込みますよね。お母さまも、とてつもない人数の人たちを、感動の渦に巻き込み、私たちを揺さぶり、涙させ…光をもらった。
きっと、リョウスケくんもお母さまも、同じところへ到達したのでは…と思います。
毎週水曜日と毎月第一土曜日はとなみイオンさんにて11~16時待機しています。
スピリチュアルカウンセリングは20分3000円、50分5000円(延長は10分1000円)です。
5月3日(土)と7日(水)はお休みいたしますのでご了承ください。土曜日の代替日は5月17日(土)です。
5月18日(日)は福井のエルパさんにてイベントに出店します。11~18時です。
毎月第一日曜日は金沢市内の町家「よふ葉」さんにてスピリチュアルカウンセリングの受付をしています。ただし5月はお休みし、次回は6月となります。
6月29日(日)、30日(月)は羽田空港にてティータイム、スピリチュアルカウンセリングの受付をします。
ティータイム(お弁当なし)は1時間2000円、延長は30分1000円です。
メール鑑定、Skypeでのスピリチュアルカウンセリング(画面はありでもなしでも可)は随時受付しています。
メール鑑定は3000円、Skypeセッションは対面と同料金です。
Skypeセッションはイベントやプライベートの予定が入っていない日時の9~24時受付可能です。事前に日程を調整するので、当日その場でいきなりの受付はしておりませんのでご了承ください。
全てのお問い合わせは natsue58@hotmail.com までお願いいたします。
さて、小松空港から羽田へと向かい。
クラスJは空いてなかったのですが、普通席の最前列は指定できて、足元広々の機内、そして爆睡して過ごしました![]()
前日の夜はジュニア用バレエレッスン(私は彼女たちのお母さんの年代ですが先生方に頼み込んでレッスンを受けさせてもらってます(^^;)、ポワントレッスン、立て続けにシニアレッスンと…へろへろになってたので、機内で寝れてかなりすっきりできました。
羽田空港に着いたらハネダハウスへ。空港ピアノの背後のスペースに座ってお客さまとお会いしました。
いろんな方からのいろんなお話があり…そして合間には旧ジャニーズのお話も!!まさかの、セクゾ時代にコンサートに何度も行かれた方がおられたり…!!
それだけではなく、先日ちらっとしか私はTMNのワードを使ってないのに、TMのコンサートに行った方もお話をふってくださり、なんとその方は…会場がみなで一つになって、一体化して…「ワンネスを感じた」と!!!
TMのメンバーはもうそこそこいい年齢で、でもすっごく頑張ってて、それこそ…きっとファンのみなさんて、頑張れー!という思いも含めて、コンサート会場にいたと思うんです。一方的な何か、じゃなく…お互いを思いやっての空気感…そうなると、ワンネスのような感覚が生まれやすくなるのだろうか?
もしかしていろんなワンネスが日常の中に転がってるのでは。そしてコンサート会場って、そのチャンスがあるのかも?
いや~いろいろほんとに楽しみになってきました。ツアー参戦するのが。…しかしその前に私はピアノの発表会があります。やばいです。そしてダンスの発表会の振付も始まります。やせれてなくてむしろ太ってきてる。やばいです。…直前まで焦りまくって、そしてコンサートの日は…すべてを忘れようと思います![]()
お客さまとのお話の中では、ご家族のお話はよく出てきます。そして年老いたご両親の病気だったり、認知症だったりと…そうしたお話もしばしば出てきます。
自分の親が、暴言を吐くようになったり、乱暴なふるまいをするようになったり…。そして日常的なあれこれがうまくできなくなってきて…。
いろんな方々のエネルギーを感じさせてもらって気づいたのは、認知症は、それまでの生き方、人生の帳尻合わせをする役目も担っている、ということ。
例えば、ものすごく暴言がひどくなった方は、小さい頃からずっと言いたいことは言わずに言えずに我慢してきた経験が多かったりします。
ある方からは、その方が昔…言いたいことがあってもそれを言えなかった雰囲気が伝わってきました。そして自分が何か言う前に、はっきりざくっと大きな声で話す女性たち?の声にかき消され、自分は口を挟めなかった、という雰囲気が伝わってきました。言いたいことがあっても、周りの年上の人たちのテンポにはついていけないし、自分に話をふってくれるわけでもないし…じっと口をつむぐことが多くなっていった感じでした。
でも、本当はその人にも言いたいことはいっぱいあるし、叫びたいこともたくさんあったはずなんです。だけど言えない自分のまま年を重ねてしまった。そうなると…年を取ってから、つまり亡くなる前に、少しでも今までのアンバランスを調整するために、無茶苦茶どばーっとしゃべる自分にならないといけなかったりします。そうしないとこれまでとの帳尻が合わないので。
でも理性があったら多分やっぱり今までと同じでしゃべれない。しかし認知症になれば、何も気にせずわあわあしゃべったり叫んだりできます。
エネルギーで見てみると…認知症って、今までとのバランスの帳尻合わせの意味合いが強いのではないか、という思いが年々強くなっています。
家族に対してわあわあ言えてた人も、仕事上では、ひたすら我慢我慢の日々だった人もいたりします。そしてその「我慢」が大きかったりすると…老後、認知症になったとき、うわーっと大声で何か叫ぶことが起きたりする。意味不明なことをずっとしゃべってることが起きたりもする。
認知症になって、排泄がうまくいかなくて家族が疲弊した時。…ある方からは、スピリットたちから、「それを受け入れてあげて」というメッセージが伝わってきました。
排泄の処理はほんとにしんどいです。赤ちゃんだったら量も少ないけど…子どものおもらしとかの処理だけでも大変なのに、大きな体の大人の処理は…すごくしんどい。家族のしんどさももちろん真実です。しかし…。
その時スピリットが教えてくれたのは、この子(おじいさん)は、小さい頃、そうした粗相も、受け入れてもらえてなかった、ということ。
実はその方は…生まれたあとかなり複雑な生い立ちがあって、どうやら、親戚の間を転々としてた可能性が高いらしく。…おそらくそのいろんなおうちで、粗相とかしてたとき、もしかして…あんまりあったかい声掛けはしてもらってなかったんじゃないか。
我が子ですら、おもらしとかしたら、こっちは「もう、ヤダ!!いい加減にして!!!」って言いたくなる。実際私は言ってしまったことも何度も何度もあります。
ましてや、自分の子ども、孫ではない子に対して・・・・おそらく優しく「大丈夫よ」と言える人、言えない人がいると思います。
もしかしてそのおじいさまは…かつて、あまり、子どもらしい失敗を、あったかく、優しい言葉で受け止めてもらったことが少なかったのではないか。
だからこそ、今、スピリットたちは…「それを受け入れてあげて」「その子にはその経験が少なかったのだから」と、伝えてきているのではないか。
本来だったら、失敗しても、お漏らし何度もしちゃっても、「大丈夫よ~」と、優しくあったかい言葉をかけてもらって、それを浴びて大きくなるはずだったけど。でもそれが得られないまま、もしかして幼心に傷として、無意識レベルで残ったまま、大人になったとしたら。そして老年になったとしたら。
そうしたら…亡くなる前には、そのバランスを少しでも解消するために…お漏らしして、そして優しくしてもらう経験が必要なのかもしれない。
粗相をする側は、優しくしてもらう経験が必要で。
そしてきっとお世話する側は、優しくする、という経験が必要なのかもしれない。
もちろん、無理をする必要は全くないです。延々と我慢し続けなさい、あの子には優しさの経験が少ないんだから!!…ではないです。自分ができる分を果たす。でいい。過剰に自分に負荷をかける必要はない。
なんなら…たった1回だけでも、そっか、お父さん、もしかして…優しくしてもらえなくて、悲しかった経験があったのかな、と思いながら…相手に接するだけでも、それはとてつもなく大きな意味のあることだと思います。
たった一度だけでも、「大丈夫だよ~、気にしないで」と心から、言ってもらえたら…それは相手にとってものすごく大きな癒しになる。エネルギーには必ず伝わる。
そして自分自身も、一度だけでも、相手の悲しさをそっと包み込むようなことができたなら…大きなお役目を果たせた、ということだと思います。それを1年じゅうやれ、とか、5年間やれ、とかではないんです。一度でも十分だったりします。
いろんな方々のエネルギーを見させてもらえる機会があって…ふと、自分の母親のことを思い浮かべ。
私の母は、認知症が入ってきていますが、そして障碍者手帳も持ってるし、昨年腸捻転で倒れ入院し…今は退院はしましたが、ヘルパーさんたちに助けてもらいながら、そして父が一緒に暮らしてるので父が母のお世話をしながら過ごしています。←父もがんサバイバーではあるのですが…
その母は、認知症が始まったものの、暴言とか乱暴な行為はなくてですね…それが自分としては意外だったというか。もっと暴言とか吐くんじゃないかと予測していたのですが。
でも母は全然そういう言葉がなく、おとなしいおばあちゃんになっています。
なんでだろ、と思って…はっとしました。
母は…私が小さい頃から、とにかくため息と愚痴が多かった人でした。
しょっちゅうため息をついていて、ほんとに5秒おきぐらいにつく感じで、私はそれをきくのが嫌で嫌で…すっごくつらくて、それで家にいるのもどんどん嫌になっていったし(他にも自宅が嫌な理由はたくさんありましたが)、母のことも嫌いになったし、軽蔑してたし、心の中で「もうやめてーー!!!」といつも叫んでいました。
でも小さい時の私は、お母さんため息多いからやめて!とも言えなかったし、言ったところで…本人はしんどいことがあるからため息ついてるわけで。子どもにやめろと言われても根本は解決してなかっただろうと思います。
母親のため息が嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で…ものすごくしんどかった。・・・あれ?もしかして…母は、ため息をつきまくって、それで一種の排出、はしてたから・・・今、暴言がないのだろうか。
これは真実かはわかりません。でも可能性としてはある気がする。ずーっと、それこそ子どもの気持ちも無視しつつ、ひたすらため息を思う存分?つきまくってきたから…今はその分、排出しなきゃいけないものって、減ったのかな。
きっといろんなケースがあると思います。ため息、愚痴を吐きまくって、でもやっぱり暴言が多い人。もいると思います。一体どれほどの分量のものの蓄積があって、どれほどの排出が必要なのか、そして今はどのあたりまで排出が進んだのか、亡くなるまで尽きそうにないのか…それは神さま、宇宙にしかわからない。
ただ、もしかして我が家の母の場合は、思いっきり自由自在に?好き放題にため息をつきまくれてて…その分私はすーーーーーっごく嫌な思いをしたけど、でも、その代わり?母が年老いた今は、ちょっと楽できてるのだろうか。もちろん今後の認知症の進み具合によっては、どうなるかは未知数だけれども。
きっと…いろんなケースがあって、でも、認知症自体はやはり、いいとか悪いとかそういったことを超越して、ただただ、バランスを調整するためにやってくる。という気がしています。
話したいことがたくさんあったのに話せなかった人は、そのバランスを少しでも取り戻してから、あの世に行こうとする。少しでもカルマのバランスを調整したほうが、次の人生に、たくさんの重いカルマを背負って生まれる必要がなくなります。減らせるリュックの重みは、少しでも減らしたほうがいい。なので認知症は決して悪とかではなく、むしろ、宇宙からの配慮なんだな、という気がしています。少しでもバランス整えてから、次の人生に行こうね、という…。そのほうが次の人生で背負うカルマのリュックの荷物、ちょっと減るからね、と。
年老いた親に、「ずーっと」、優しくしなきゃいけないわけではない。一度でも、親のこれまでの人生を思い返し、こんなふうに頑張ったのかな、あんなようなつらいこともあったのかな、・・・と、思いを馳せる。
想像して、思いを寄せる。それはとてつもなく大きな優しさだと思います。
いろんなことがあれど…頑張ってきた。頑張って来たよね、がベースなんだと思います。
私たちも、子どもも一緒な気がします。失敗しちゃって…なんでいつも失敗すんの!って怒られたら…子どもは悲しい。ぐれるかもしれない。私たち大人も、いつも「お前は全く…!」みたいにパートナーとか上司から言われたらすごく悲しい。
でも、ベースに…「いつも頑張ってるよね」「ずっと頑張ってきたもんね」の思いが見えたら。
私たちって…すっごく嬉しくなる、と思います。
ミスを、そのミスの表面だけで見ない。判断しない。というテーマがあることもあると思います。
しかし、繰り返しになりますが、我慢はし過ぎる必要はなくて、自分が面倒見なければ…の思いに囚われすぎ、自分の心と体が、細胞たちが苦しんでるのにそれを無視するのは、しなくていいと思います。永遠に毎日毎回優しさを発揮しろ、とは宇宙は言ってない。
1回だけでも、相手に心から寄り添う瞬間があれば。
それは大きな大きなことなのだと思います。
でも、私無理だ、寄り添えない…も、もちろん正解。大正解だと思います。
寄り添えない、優しくできない、ってことは…絶対理由があります。これまでのヒストリーで、いろんな積み重ねが必ずある。
理由があることだから、できないのは…しょうがないんです。だけど、永遠にできない、と決めつけず、もしかしたら変化が起こることもあるのかな、という隙間を開けておく。
優しくできないときは、ああ、今の自分はできないんだな、というだけ。だからダメ、ではない。ジャッジはいらないんです。
あくまで「今」の自分はそれができないだけ。でも未来はわからない。未来を決めつけない。
自分ができることにはチャレンジして、無理だな、つらいな、と思ったら、潔く手放す。それでいいのかな…という気がします。
それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしください![]()






