こんにちは、神社伝書びと 守本です。
2023年秋の、鹿児島弾丸旅の記事の
続きです。

 

 

 

これまでの記事はこちら
 

 

龍宮神社のあとは、指宿神社に向かいます。
1日3本しかないコミュニティバスにのり
指宿(いぶすき)駅に着きました。

 

砂蒸し温泉で有名な指宿らしく、

無料の足湯がありましたよ。

暑いけど、浸かってる方もおられました。

私は駅舎内でアイスクリームをむさぼりました爆笑

 

変わったポストだなぁと撮りましたが

JR人気車両の「たまて箱」のデザインと

リンクしていたみたい。後で知りました。

 

 

指宿神社の最寄駅は「二月田(にがつでん)」と

いう隣の駅になるので、そこまでJRで移動して

から、徒歩で行きました。

揖宿(いぶすき)神社

御祭神
大日孁貴(オオヒルメムチ)命(天照大御神)
相殿神として八王子命となっています。
 
八王子とはアマテラスさまの御子神を指し、
天之忍穂耳命・天之穂日命・天津日子命・
活津日子根命・熊野久須毘命の五男神、
多紀理毘売命・狭依日売命・多岐津比売命
の三女神とのことです。(敬称略)
宗像大社好きの守本としては、狭依日売
(サヨリヒメ)の名が宗像三女神と違う!
と少し動揺しましたが、この名は
市寸島比売(イチキシマヒメ)さまの別名
なのだそうです。
 
御由緒
社記によれば、天智天皇が薩摩地方御臨幸の折
り、当地の大杜に御滞興あらされた由緒の地とし
て、慶雲3年酉午(西暦 706年)2月10
日、賀茂縣主堀内氏、指宿氏の遠祖が勅を奉じ
て、天皇の神霊、遺器を奉斎して葛城宮がご創
建されましたが、168年後の貞観16年甲午 
(西暦874年)7月、長主山(現在の開聞岳)
の大噴火があり、開聞九杜大明神(現在の枚聞神
社)の葛城宮にご避難されたいとのご神託により
同年11月遷 宮され当杜を[開聞新宮九杜大明
神]と称され、爾来指宿郷の総氏神として地方開
拓の祖神、航海安全、諸業繁栄の守護神として
され、明治維新に際し「揖 宿神社」と改称され
現在に至っております。特に、薩摩藩代々藩主の
尊崇殊の外篤く、32度に及ぶ社殿の改修等全て
藩費をもって施行されております。
少し平易な言葉に直しますと
天智天皇さまがかつて行幸された折に
遺された品を奉って慶雲3年(706年)に、
「葛城宮」として創建されたことをご由緒と
するようですね。
開聞岳(かいもんだけ)の噴火により被災した
枚聞神社を避難遷宮し、「開聞新宮九社大明神」
と称するようになり、一つの神社として
独立し揖宿神社と改称されたようです。
なるほど、それで枚聞神社と御祭神が同じなのですね。
32回にわたる社殿の改修はすべて島津藩の
お金で賄われ藩の崇敬篤かったと、
地方開拓の祖神、航海安全等の神様と
されています。
 
ではご参拝しますよ^^
この日光が強くて、カメラを向けるものの
何を写しているのかよく見えない感じで
撮っていました。
 

鳥居ごしに隋神門が見えてきました。
 
隋神門の向こうには勅使殿が
見えています。美しいですね!
 
勅使殿(左 宝物殿 右 参集殿)です。
境内図を公式HPからお借りしました。
勅使殿の向こうには拝殿・舞殿・本殿が
連なっております。
 
ここは舞殿かな・・・・風鈴が美しかったです。
 
背後にある摂社群にご参拝します。
↓東之宮(彦火火出見命さま)です。
 
↓二龍宮(和田都美命さま)です。
 
↓(左)聖宮 塩土翁命さま
(右)懐殿宮 昭美日月命さまです。
 
↓ (左)天井宮 玉依姫さま
(右)姉姫宮 豊玉姫さま です。
 
ここまでは、龍宮関係の神様が多いですね。
 
↓西之宮 天命開別命さまです。
このアマミコトヒラカスワケという神様は
知らなかったのですが、天智天皇の別名
なのだそうです。
同じく天智天皇をお祀りする近江神宮さまによれば
この別名は、神ながらの理想をうけて日本の運命を
開き、画期的な新時代を確立、推進なさったことの
尊称であり運命開拓の大神であることを指しているそうです。
なるほど、それで開拓の神様というご神徳が掲げられているのですね。
 
↓荒仁宮 大己貴命さまです。
こちらは国土開拓の神様ですから
なんというか、全体として意図的というか
配祀にしっかりと意味が汲み取れます。
 
美しい水盤。
境内では水みくじもひけるようでした。
 
最後になりましたが、ここではあまりにも光が
強かったので、アマテラスさまは太陽神で
あられますから、人がなぜ太陽を信仰する
のか?
ということを知りたくなりました。
それで、後からなのですがアマテラスさまに
そのことについてお尋ねをしてみましたので
共有しますね照れ
 
この三次元において、肉体を持つものは
すべて、生まれ落ちたその時から死に
向かっていますね。
 
そのように生きるものにとっての太陽は
生命を維持するために必要なものを
与えてくれる、なくてはならない存在です。
太陽の信仰には段階(レベル)があって
この太陽を母のように慕うレベルの信仰は
人だけではなくて、すべての地球上の
生き物が持っています。
 
しかし、この太陽なしでは生きられない
という事実を人の文明からとらえると
人が従えることができぬ超越的な存在
として畏怖する太陽信仰があります。
これは抽象的な概念に立った信仰で
これが次の段階です。
物質文明、所有や支配という世界から
見る太陽の信仰はそのようなものになります。
 
しかし、日本の人は太陽信仰をそのように
感じられないでしょう。
日本人の太陽のとらえ方は、巡る時の
象徴なのです。
太陽の周回は正しく時を刻み、人はそれ
に合わせて正しく生命を刻んでいきます。
始まる朝に感謝し、眠りにつく夜に感謝
をすることは、今日という生命へ感謝して
いることと同じということです。
日本人の太陽信仰は、実は太陽そのもの
を対象にしているのではなくて、時の流れや
自身の生命エネルギーのほとばしりを
対象としているのです。
感謝や調律という世界から見る太陽の
信仰はそのようなものになります。
これが次の段階で、
日本人のアマテラス信仰の姿です。
 
御朱印です。

 

ところで、指宿(いぶすき)という変わった地名の

語源はここ指宿神社の由緒とかかわりが深い

らしいです。

 

かつて開聞岳麓の岩屋には仙人が住んでいて

霊験あらたかな霊水があったそうです。

この霊水をなめた鹿がみごもって、大宮姫という

名の女性に育ち天智天皇の妻となりました。

しかし。宮中でいじめられて雪山に放り出され

行方不明となったそうです。

天智天皇がこの大宮姫を追って、ついに

姫の居場所を見つけた宿で指をさされたこと

から揖宿という名がついたのだとか。

始めて知りました!

 

次回は、照国神社のご紹介です。

が、、、違う記事にするかも。

 
近江神宮の記事はこちらです。