こんにちは、神社伝書びと 守本です。

 

前回の記事で、指宿市にある開門駅

の駅名標が可愛いと書かせていただきました。

 

デザインになっている怪獣さんは、

指宿市にある池田湖に生息すると言われる

UMA(未確認生物)、イッシーでした。

池田湖は直径約3.5kmもある九州最大級の

湖なんですよ^^

この湖の最寄駅が開聞駅になります。

(市販の画像です)

 

さてさて、本題に入ります。

枚聞神社(ひらききじんじゃ)

 

前回の続きになります。

前回の記事はこちら

 

開聞岳の眺めに感動しながら

てくてく歩いて、着きましたよ。

美しい鳥居!

 

ご由緒書が読めませんがな・・・・

写真でも読めませんが、現地でも

読めませんでした。

公式ホームページもなさそうなので

よそ様からご由緒らしきものを

お借りしてきました。

 

沿革 

 御鎮座年代を詳らかにせずといえども、社伝には遠く

神代の創祀なりと伝う。既に貞観二年三月、薩摩国従

五位下開聞神加従四位下と三代実録に載せられて居

るのを始めとして、同書には数度の神位昇叙の事を記

され、殊に貞観十六年七月には開聞神山の大噴火の

状態を太宰府より言上、神意を和むる為勅命により封

戸二千を奉られたことを記載している。
 延喜式には薩摩国頴娃郡枚聞神社と枚聞の文字を

用いられている。古来薩摩国の一宮として代々朝廷の

尊崇厚く度々奉幣あり、殊に島津氏入国の後はその崇

敬絶大にし、正治二年社殿再興以来、歴代藩主の修

理、改造、再建等十余度に及び、元亀二年頴娃領主家

の内乱により千九百余町の神領を失ったのを、天正二

十年九月には島津家より改めて田畑合計二十四町歩

を寄進され、旧藩時代は別当寺瑞応院と共に祭祀を営

んで来たもので、明治御治定の折同四年五月国幣小社

に列格仰出され、現在薩摩の国一宮として、又神社本庁

所属別表社として地方の崇敬を集めている。

 一般の信仰 南薩地方一帯の総氏神として又地方開拓

の祖神として厚い崇敬が寄せられて居るが、特に交通安

全、航海安全、漁業守護の神として附近航行の舟人等

から厚く信仰されて居る。往年島津家に入貢していた琉

球人等は特に航海中開聞岳の雄姿を遥かに拝するや

神酒を奉って無事を祈ったものの由、現に神社には琉

球王の名に依って航海安全の神徳を奉謝して献納され

た額面等が数面保存されて居る。その他旧二十三日に

は他国に出稼ぎに出かけて居る肉親の人達の無事安

泰を祈ってお参りする風習が今でもなほ氏子崇敬者の

間に盛んに続けられて居る。

正確ではないですが、要約しますと

ここが開聞岳の噴火を鎮めるためにある

ことや、枚聞神社は薩摩一之宮で、

創建ははるか神代とされていること、

朝廷の崇敬厚かったこと、

航海や交通安全の神として、

一般に慕われていることなどが

書かれています。

(薩摩一之宮とされている神社はもう一社あります)

次の鳥居の向こうに社殿が見えてきました。

 

 

鳥居をくぐってから振り返ってみました。

美しいですね。キラキラ

 

御祭神は

 

  • 大日霎貴命(オオヒルメムチノミコト)
さまです。
オオヒルメムチノミコトさまといえば
天照大神さまのこと。
つまり。。。
コノハナサクヤヒメさまではない?
汗汗汗汗汗
 
何を大勘違いしていたものか、
コノハナサクヤヒメさまを
お祀りしていると思いこんで
守本はここまで来たのでした。

枚聞神社は開聞岳の神様なのは

間違いないのですが、

富士山の浅間大社、

霧島連峰の霧島神宮が

コノハナサクヤヒメさまなので

「火山の神様=コノハナサクヤヒメ」

という思い込みがあったようです。

ここに来て誤解に気づき、若干

ドキドキしながら進みます。

 

美しい社殿が見えてきました。

鮮やかな勅使殿の向こうに

拝殿、幣殿、本殿が重なっています。

なんとなくですが、艶やかな朱の色は

霧島神宮を思い出させます。

本当に、コノハナサクヤヒメさまじゃ

ないの…?

 

 

開聞岳は「海門山」とも呼ばれ

その美しい姿はかつて

航海の目印となっていたようで

御由緒にもあったように、

ここも海の神様としての性格を

併せ持っています。

はじめは和田都美(ワダツミ)神社と

呼ばれていたそうです。

実は御祭神も色々説があって

塩土老翁猿田彦神、国常立尊、

豊玉姫、木花開耶媛など

言われているみたいです。

一応コノハナサクヤヒメさまの

お名も祭神の候補としてあがっては

いるのですね。

 

彫刻が見事ですね^^

 

だけど、私がこの時にお会いしたのは、

アマテラスさまでした。

 

アマテラスさまは私にとって

ちょっと厳しい神様なのですが

その日は微笑んでおられました。

 

よい日であるな

 

と言われ、

 

人は、特定の日を崇めるが、

本当は毎日が特別な日なのだ

今日は少し試練があった

今日はある人の言葉が耳に残った

今日はお腹を壊した

どの日もその人にとって意味があり

特別な日なのだ

人は「平凡な日」と呼ぶその日を

ぞんさいに過ごさず、

その日に何を知ったのかを

丁寧に振り返ると良い

毎日がよい日であるように

毎日が晴れであるように

 

と言われました。

 

 

勅使殿ごしの拝殿です。

本当は拝殿まで行ってご参拝できる

のでしょうが、清掃などがあっていたので

ここから先に行くのはご遠慮しました。

 

アマテラスさまに、今回のテーマである

「精神世界における男性の役割」に

ついて聞いてみました。

以下はお聞きした内容を私の言葉で

お伝えします。なので正確ではないです。

そして、男女どちらかが優れているという

意図は全くございませんが、

不愉快な表現がありましたら

どうかお許しくださいね。

 

男と女という二極の見方の是非は

ひとまず脇に置いておいて、

アマテラスさまによれば、

神とのかかわり方に関して、

男と女には違いがあるのだとか。

 

女は子宮を通じて宇宙と繋がっており

そもそも神を身近に感じやすいため

直感がよく働くし、

神のとらえ方が体感的な傾向がある。

見えるとか、聴こえるとか、感じるとか。

 

男はそのような器官がないため

神をとらえるために、

より精神性を磨こうとする傾向がある。

その方法は思索であったり、

修行や探究であったりで、

いわゆる魂の旅をとおして、

悟りを目指しながら神を明らかに

していく。

そして、その道のりは女性よりも

難易度も高いようで

その分挫折を感じやすかったりも

するみたいです。

 

女性は生まれつき神をわかっていて

男性は学びながら神を見出していく

そんな違いなのかなと思います。

 

「精神世界における役割」については

男というテーマを殊更に拾うことは

特に必要ではなくて、おのおのの

個性によって決まってくるのだ、と

いうのがアマテラスさまの教えでした。

アマテラスさまは両方の性の性質を

持っていらっしゃるし、どちらも

愛すべき存在であることは変わらない

ので、アマテラスさまから、

どちらか一方の役割というものを聞く

ことは難しいのかなと思いました。

 

ただ、愛の在り方には男と女では

大まかにではあるけど違いがある、

とアマテラスさまは教えてくださいました。

 

女の愛のあり方は利他的で、

見返りを求めない傾向がある。

対して、男の愛のあり方は、

全体に向けられる傾向がある。

家族への愛、会社への愛、

国への愛、地球への愛、という

ように、時には忠誠心みたいな

形を取ったりする。

 

言い換えれば、

女には献身とか慈愛のように、個から

全体に働きかける愛の性質があって

男には決断とか博愛のように、全体から

個に働きかける愛の性質がある、

ということのようです。

 

女性の、いわゆる

「私より会社が大事なの」発想が

男性には理解が難しいのは、

何となくそういうところが背景にある

のかな?と個人的な感想ですが思いました。

 

結局、アマテラスさまの意図は、

お互いに違いを理解して、仲良く

やりなさいよって

ことのようです照れ

 

9時前なので諦めてましたが、

ご準備中の社務所でお尋ねしてみたら

御朱印を書いてくださいました。

 

 

 

開聞駅の超のどかな風景です。

もちろん無人駅。改札もありません。

ただここで待って、電車に乗って、

自動繰り出し式のきっぷを取り

降りるときに運賃箱にお金を入れます。

 

 

で、これがきっぷです。

レトロな座席の模様とレトロなきっぷ

つい写真に撮ってしまいました。

何十年も変わらない光景なんでしょうね。

(地元の方、レトロなんて書いてスミマセン)

 

さてさて、男と女 そうは言っても

体には違いがあるじゃないですか。

肉体とか、遺伝子とかそういう

観点からのお話も聞いてみたいな

と思いましたので

次のところでは、それをトライしてみよう

と考えたりしたのでした。

 

次回は、龍宮神社(指宿市)のご紹介です。

 

AmebaOwnd神社伝書びとのおぼえがき
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