こんにちは、神社伝書びと 守本です。

京都編の続きになります。

伏見稲荷大社①
伏見稲荷大社②
伏見稲荷大社③
八坂神社・平安神宮
晴明神社
北野天満宮左矢印今回はココ
平野神社
貴船神社
賀茂別雷神社
賀茂御祖神社


(北野天満宮の御手洗祭)市販の画像です

晴明神社を後にし、向かったのは
北野天満宮。バスで行きました。

大きな鳥居。

北野天満宮のご祭神は、天満宮なので
もちろん菅原道真さまです。

道真公が苦労の末右大臣の身分を得た後、
左大臣の藤原時平の計略により陥れられ、
(平たく言えばクーデター疑惑をかけられた)
道真公は突然大宰府に左遷されること
になります。
移動の旅費はすべて本人負担で、
着任後は従者も俸給も与えられなかったそう。
着任してわずか2年後に道真公は失意の中
亡くなります。
その霊廟として建てられたのが
大宰府天満宮です。

その後、京では時平が39歳で急死したり
落雷により多くの朝廷人が亡くなるなど
不吉な出来事が続いたため、それらの怪事は
道真公の祟りと恐れられるようになり、
道真公は雷神・雷公・雷帝などと
みなされるようになりました。

没後20年を経て道真公は朝廷から
官位を戻し正二位を与えられ、
その後託宣により北野の地に道真公が
祀られました。
のちに藤原氏によって建てられた壮麗な
社殿が、現在の北野天満宮の由緒です。

ザ・怨霊の道真公のお姿と言えば、
やはり「陰陽師」を思い出します。
岡野玲子さんの描く道真公の姿が
強烈で 笑。

(↑画像はお借りしました)

太宰府天満宮での道真公は公家風のお姿で
漫画の感じでは全くないのだけど、
ここではどうだろう…?

というのが、ご参拝前の気持ちでした。
では、ご参拝します。


境内はこのようになっています。
公式HPからお借りしました。


立派な楼門。


参道を進むと、両側に摂社があり、
その向こうにまた門が見えます。


次の門が有名な三光門(重要文化財)です。
三光門の向こうに社殿が少し見えますね。

三光門は「星欠けの門」とも言われており、
三光とは日・月・星を指すにもかかわらず
日と月の彫刻はあるのに星の彫刻がない
ことからそう呼ばれています。

公式HPの説明です。


かつて朝廷があった場所からこの門の
方向を見ると、ちょうど門の真上に
北極星が見えたそうです。
それで星の彫刻がないのだと言われています。

平安の時代、夜空の北極星が三光門の
上で巡る様子はきっと美しかったでしょうね。

門をくぐります。



↓社殿は国宝です。

左側のご神木が梅、
右側のご神木が松となっています。
北野天満宮の社紋も、
「梅」と「三階松」です。

では、ご参拝します。
それにしても、守本の地元の
太宰府天満宮とは、だいぶ雰囲気が違います。
太宰府天満宮は赤が基調ですが
北野天満宮は黒が基調なんですね。


大宰府では梅紋だけです。
飛梅の話は有名ですが、松については
道真公の霊が大宰府から帰るとき
千本の松が一夜にして生えたという
お話があるからなのだそう。

三階松。九州王朝の紋とかいう説を
聞いたことがありますが・・
詳しくないのでよくわかりませんw。
しかし、美しい社殿ですね。



大宰府で見る道真公のお姿は、
少し儚い印象がありますが
ここでは、しっかりとした感じです。

福岡視点での道真公の記事は
こちら→

ここでの道真公は、「右大臣」の顔を
しています。
(没後90年を経て太政大臣の位も得ました)

福岡ではあまりお見かけしない、
政治家の顔をされているんです。
何度となく太宰府天満宮に通い
何度も道真公とお話をしましたが
新鮮な一面でした。

道真公から以前お聞きした話では、
怨霊騒ぎは自分が起こしたものではなく
祟りを恐れた悪い人たちの心が招いた
ものだった、とのことでした。

ですので、
祟りを恐れてお祀りされたとはいえ
死後に冤罪を晴らし復位を得て
ここにおられるからこそ
生前の右大臣の顔(キリッ)を
されているのでしょう。
道真公は弓の名手でもあり
文字通り文武両道でしたから
エネルギッシュな一面も見えます。

そして
どこまでも真面目で清廉な
曇りのない瞳です。

道真公は遣唐使を廃止しを建議し
国風文化の発展に寄与した、と
言われています。

もともと遣唐使は、唐の文化を
学ぶために始まったもの。
唐の衰退により、危険な航路を
渡ってまで日本の貴重な人材を
送る必要はない、というのが
道真公の考えでした。

北野天満宮にご参拝したのは
去年の9月で、その時には
考えもしませんでしたが、

なんとなく、新型コロナウィルスの
影響で、入国制限が行われている
今の状況と、少し似ているなと
思うのです。

中国から人や物が大量に入ってきて
それが当たり前だった生活が一変し
我が国で生産したものの良さを
改めて実感したり・・・

だからきっと、これから
日本が新しい生活を立て直していくのを
道真公は見守ってくださる、

そう思います。

・・・
そして、以前から薄々感じていましたが
「やっぱり」と思ったことがあります。
(以下は私の個人的な感想です)

スイマセン、かなりどうでもいい話ですが

菅原道真さまは、シャレオツだった

てこと。

道真公はとにかく詩の創作とともに
生きた方でしたが、
花がお好きで、自分で菊を育てたり。
とにかく、美しいものがお好き。

決して贅沢を好む方ではないですが
風流を愛する心から
自分の身だしなみに気を配るように
されていたように感じます。

決して出すぎることがないよう
気をつけながら、
布の手触りや染めの美しさ、
柄の季節感、香などを楽しむ方であった
ことが伝わってきました。

もしかしたら
ご自分で密かに「イケメン?」と
思っておられたかもですね爆  笑

・・・あ、書いちゃだめだった?

福岡の太宰府天満宮にある、
菅公資料館には道真公を象った
人形がたくさんありますが
その中で、私が一番似ていると
思うのは、このお顔です。



道真公がおっしゃるには、
現在の良さは「しぇあ」だそう。
昔は、行きたいところに行くのも
知りたいことを知るのも大変だった。
「体がいくつもあればいいのに」と
思っていたそうです。
今は、高速で行きたいところに行き
簡単に知りたいことを知ることができ
いくつも体を持っているのと同じ。
沢山の人の善意の行動と知識で
新しい文化を作って行くことが
真の「しぇあ」なのだそうです。

香は禅心よりして火を用ゐることなし
花は合掌に開けて春に因らず

(香りは、わざわざ火を用いて焚くものでは
なく、清らかな心の中に薫るもの。同じよう
に、花は春が来るからつぼみが開くのではな
く、正しい心で合掌するその手の中に花は咲
くもの。)


ご朱印でっす。
摂社末社は全部は巡っていません。
長くなりましたので、ご紹介は
省略しますね。


そうそう、福岡にも北野天満宮があります。
ここは、道真公が筑後川で暗殺されようと
したときに、命を助けた河童「千一坊」
の腕のミイラが宝物としてあるんですよ。
行ったことないですがガーン

次回は、
平野神社のご紹介です。


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