閑話休題 -20ページ目

源氏物語の女5 玉蔓ーたまかずらー

 玉鬘は左大臣の男、頭ーとうのー中将と、夕顔との間に生まれた娘。二人の身分の差に怒こった母公は、夕顔に絶縁を迫る。夕顔は京の西京極辺りに身を避ける。そこで女子、玉鬘を産むが、夕顔はこの地の方位を気にして京五条に移り住む。そこで光源氏と知り合い恋に落ちた末、六条御息所の生霊にとり憑かれて急死する―夕顔の章。その時、玉鬘は3歳。

 

 その後玉鬘の乳母の夫が大宰府少弐となって赴任するので九州に移る。玉鬘は美しく成長し、20歳の時多くの男から求愛を受け、その中でも肥後の大夫監という男、玉鬘に強く言い寄るが玉鬘は受け付けず、その男から逃れるために、乳母とともに船に乗り京に向かう。京への途中大和の長谷観音に参篭して、良き夫に巡り合うように祈願する。その時偶然に、乳母が元夕顔の侍女で、今は光源氏に仕えている右近に巡り合う。その時玉鬘は21歳、

 

  これは気高く もてなしなどはづかしげに よしめきたまへり。

  人柄は気高くて、立ち居振る舞いも気品があって、優雅な風情でいらっしゃる

 

 右近は帰京して早速光源氏に報告する。紫の上にも相談してすぐ引き取ることを決め、六条院に住まわせる。玉鬘は六条院に伺候する殿上人から求愛され結婚の申し込みを受けるようになる。頭中将の長男柏木も、異母姉とは知らずに懸想し恋歌を贈る。光源氏も玉鬘に愛を仕掛けるが、玉鬘は頑として受け付けない。22歳の時、初めて生みの親、内大臣になっていた頭中将に引き合わせ、裳着の腰結の役をさせる。後、宮中に伺候して尚侍になるが、なお婚約申し込みは後を絶たず、競って文を送るが、その中から玉鬘は右大臣の子鬚黒大将を選ぶ。

 一方、鬚黒の北の方は式部郷宮の娘、玉鬘のことに嫉妬して、盛装して出掛けようとする夫に火取りの灰を投げかけ、娘の真木柱と男子2人を連れて実家に帰ってしまう。男子だけは返される。そして正式に鬚黒大将は自邸に玉鬘を迎える。

 鬚黒大将は左大将、後に右大臣・左大臣。最後は太政大臣に昇進、妻の玉鬘も二人の子を儲け、光源氏の四十賀には六条院にお祝いに参上する。その時の玉鬘は、

 

  もののみやび深く、かどめきたまへる人にて、なまめかしく、人の親げなくおはします

  何事でも風雅の趣味深く、才気あり、優雅で、子を持つ親の様にはお見えでないようである。

 

 しかし鬚黒大将の没後未亡人となった玉鬘は、娘の大君を宮中に尚侍として伺候させるが、その後玉鬘は世間との交遊疎遠となり

華々しく登場した娘時代の華やかさと打って変わって、世の変転を思い静かに世を送る。

 

 

 

 

 

 

 

 

源氏物語の女4   明石の上

 正妻葵上が死んでからも、光源氏の女漁りは止まらない。

  今度は厄介な女を相手とする。政敵右大臣家の女で、しかも帝の后である朧月夜である。源氏の舅、左大臣は世を去り、今は右大臣家の天下である。その権勢ある政敵の娘と宮中の弘徽殿の間で密会するのだが、ある雷の響く雨の激しい夜、立ち騒ぐ人の中を抜け出すことも出来ず光源氏と朧月夜はおろおろしている時に、宮中に参内して来た右大臣が二人の密会の現場を発見し、それを朧月夜の母、弘徽殿太后に伝えられると、大后は立腹、 光源氏を官位を剥奪し、宮中から追い出そうとする。

 

 この形勢に26歳の光源氏は、自分から身を退けるべく、3月20日頃官位を返上して須磨に蟄居する。須磨での詫び住まいに、紫の上が一層恋しくなる。翌3月13日に暴風・高潮が襲い落雷で廊下が焼ける。夢に先帝がこの浦を立ち退くように諭される。その折西の明石から領主の明石入道が、住吉明神の夢告だといって明石に移るように船で迎えに来る。明石に移った光源氏は、都に劣らぬ豪奢な明石入道の館で落ち着き、京の知り合いに手紙で知らせる。

 明石入道の狙いは、一人娘を、地方領主の子息ではなく、都の高貴な人に嫁がせることであった。明石入道は光源氏をまたとない機会と盛んにもてなし、最後に18歳になった明石の上を引き合わせる。明石の上は、

 

 人ざまは、いとあてに、そびえて、心はづかしきけはひぞしたる。

  娘の様子は気品があり、背丈もすらりとして、気のひけるような気高い感じがある。

 

  年変わって7月、帝より召喚の宣旨があり、光源氏は明石の上と歌を交わし、琴を弾じて別れを惜しむ。この時すでに明石の上は懐妊していた。光源氏は二年数か月ぶりに都の二条邸に戻り、久しぶりに紫の上と再会。権大納言に任じられて政界復帰する。

  明石の上は無事女子を出産。紫の上にも打ち明けて、姫君の乳母を明石に下向させる。明石入道は京の大井(嵐山近く)の元の邸を改装し、母君、明石の上、姫君を京に移す。光源氏は嵐山の寺の新築にことよせて、四年ぶりに母子に逢いに行く。明石の上は、

 

 すこしなりあひー背丈に似合いやや太り気味でー、こよなうねびまさりてーすっかり女盛りに美しくなりー、たおやぎたるけはいーしなやかな身のこなしー

 

 とても美しくなり、姫君もかわいらしく、光源氏は二人を身近に置くため、姫君を紫の上の養女にして二条院で育てることを相談、子の無い紫の上も受け入れる。姫君も紫の上に馴染んで行く。

  その三年後、光源氏35歳の頃、六条に四町の敷地に、四つの寝殿造りを持つ六条院を新築、光源氏と紫の上・姫君との寝殿のほか、同じ敷地に秋好中宮、花散里と、明石の上の住まいも造って、明石の上を邸に迎える。

 

 姫君はいと美し気に雛―ひいなーのように育てられ、紫の上の教育で成長され、八年後の正月明石姫君は皇太子妃として入内する。付き添え役として紫の上が同行するが、三日後明石の上が代わって参内する。二人は初めて顔を会わす。紫の上は明石の上に親し気にお話あり、明石の上は紫の上の気品ある女盛りの美しさと人柄、さすがいろんな女の中で光源氏が紫の上を特別に愛されているのを悟る。

 

 二年後明石女御は男子出産、後の匂宮である。出自の低い明石入道の娘が、光源氏を迎えて姫か゜授かり、その姫が紫の上の養女となることで光源氏の皇族の身分を得て、ついに皇后になるのである。夢のような話である。父の明石入道や母の尼君の喜びようは格別であった。

 

 

 

 

源氏物語の女 3  葵の上

 光源氏が元服後初めて娶った正妻の上左大臣の娘。だが、年上なうえ、気位が高く、美しげなる御容貌だが、夫にもなかなか気を許さず、二人の仲は冷え切ったまま。:光源氏が訪れても、お付の者がお勧めしてやっとのこと出てこられ、絵に描いた姫君のように、身動きもされず、きちっと行儀よく坐っておられる。夫婦と言ってもとっつきにくい雰囲気で、「時には人並みの妻らしい姿を見せて下さい。すこしも打ち解けず、よそそしいのは気づまりなものです。」と光源氏は言う。

 

 一方、嘗ての光源氏の恋人の一人六条の御息所が、賀茂神社の葵祭の折、行列に供奉する光源氏の姿を一目見たいと、姿をやつして牛車で出かけるが、車置き場は混雑し、折から祭り見物の葵の上一行と車の場所求めて争い、結局権勢を頼む葵の宮の馭者に、無残にも場所を奪われてしまう。有名な「車争い」の場である。祭りも見えない端に追いやられた御息所は、

 

  かげをのみみたらし川のつれなきに 身の憂きほどど今ぞ知らるる。

 

 と詠い、涙を流される。 この時の悔しさ、葵の上に対する恨みは高ぶり。「ものをおぼし乱れること,年ごろより多く添ひにける。」という気がふれた状態になられる。光源氏も聞き伝えてお見舞いに出掛けられる。

 

 一方左大臣家では、正妻の葵の上の出産が近づいたが、産婦の葵の上に物の怪が憑きまとい非常に苦しまれる。「御ものけいたう起こりて、しみじうわずらいたまふ」。有様で、産気づかれても物の怪は去らず、加持の僧も声高く法華経を読み、物の怪の退散を祈祷するが功なく、光源氏が駆けつけられると物の怪は六条の御息所の生霊とわかる。あの加茂祭りの車争いがその原因であった。

 しかし苦しみながらも葵の上は、男子ー後の夕霧ーを産む。多くの見舞客も安心し一旦引き下がった隙に、物の怪は急に活気づいて葵の上に憑きかかる。そして六条御息所の死霊によって葵上は急逝する。何と凄絶な恐るべき場面であろうか。紫式部の『源氏物語』の中でも、最も悲壮な劇的な場面である。

 

   能の「葵上」では、この時六条御息所の死霊は鬼女の姿になって現れ、葵の上を打擲する。最も濃艶で最も凄艶な場面で、能「葵上」の見せ場である。 高貴な女性の嫉妬、それに恨みの激しさ、恐ろしさを、紫式部は描きたかったのだろうか。

 

六条御息所の死霊が鬼女の姿になり、葵の上を打擲する.「能・葵上」

 

源氏物語の女 2-紫の上

  光源氏は夕顔の怪死以来鬱病となり、京の北山の洞窟に修行の有徳な僧に加持祈祷を受けるため、北山―鞍馬山?ーに赴き、祈祷を受け病気は治った。谷を見下ろすと僧坊が各所にみられる中に、ただ一軒別荘風の建物が見える。聞くと妹弟の僧尼が住んでおり、そこに先帝の皇子兵部郷宮と尼君の娘が結ばれたが、娘は若死にして宮は後妻を娶られたため、遺された娘を尼君が引き取り、一緒に北山に住んでいるという。

 光源氏はひそかにその別荘を覗きに行くと、そこに十歳ばかりの、おかっぱ髪の、画に書いたようなかわいい女の子が、「雀の子を犬君ーいぬきー少女に伴する童女―が逃がしつる。伏籠-ふせごーの内に籠めたりつるものを」と泣いているのを見る。頬のあたりあどけなくて、眉のあたりもほんのりとしていて、とてもかわいらしい。この童女が後に光源氏がこよなく愛した紫の上である。

 

 尼に童女を引き取りたいと申し出るが、若すぎてとてもと断られる。ところが尼がなくなり、父親の兵部卿宮が引き取るというのを聞き込んだ光源氏は、夜明け前に邸に出向き、この童女を抱えて自分の二条邸に連れ込む。姫が目を覚ますと、部屋や庭が立派なのに驚き、次第に落ち着き、源氏は同じ年ごろの童女を数名呼び集め、紫上の遊び相手とする。源氏は読み書きを教え、愛育して乙女らしくなって行く。そして14歳で初潮を迎えた時、光源氏は彼女と交わり新枕する。始めの数日間葵の上は源氏にものも言わないが、次第に受け入れていく。通い婚の女ではなく、葵の上は光源氏本邸の女あるじとなる。光源氏22歳。紫の上14歳。

 

 紫の上は源氏の夜遊びで嫉妬に悩むことがあったが、次第に諦めて黙殺してしまう。精神的に紫の上の方が光源氏より一段成長する。

のち光源氏が政敵、右大臣の娘朧月夜と密会しているところを、右大臣が見つけ、妻の弘徽殿大后が激怒。それが引き金となり、光源氏は須磨に退隠する、26歳の光源氏は流浪の2年間、ひたすら紫の上を慕う。その時大嵐が吹き荒れて、隣の明石の大領の明石入道が船で迎えに来て、明石の邸に移る。そしてその娘、明石の君と結ばれ、一女を儲ける。その娘を紫の上が引き取って育てる。この娘は成人して天皇の后となり、明石中宮となる。

 

 光源氏35歳の時、もと六条御息所の故地を取り入れて六条院を造る。総坪数2万坪。それを4つに区切っり、各5千坪に四軒の寝殿造りを新築する。東南の寝殿は源氏と紫の上の住まい、西南は秋好中宮の里邸。東北は花散里、西北は明石の君の住まいとし、各建物を廊下で結び、源氏が通いやすい建物にする。後に帝の三宮が降下して光源氏の正妻となったため、紫の上は寝殿の東の対を正妻に引き渡して、西の対に移る。

 秋好中宮とは六条御息所の娘で、のち天皇の后になった人で、明石の君や花散里は愛人。妻妾同居であるが、紫の上は光源氏を陰で支えて、この大所帯の要となる。

  

  気高く品があり、優雅なことこの上もなく、なまめかしいこと限りない上、才気があり行き届いており、奥ゆかしく情味ゆたかな人柄で、 

  下の者たちにも優しく心配りが行き届いていた。

  あるべき限り気高うはずかしげにととのいたるに添ひて、はなやかに今めかしく、去年よりは今年はめずらしく、昨日よりは今日はめづらしく、すらりとして、気のひけるような常に目馴れぬさまのしたまえる、いかでかくしもありけりとおぼす

  この上なく理想的で気品高く、気が引けるほど立派に整っておられる上に、派手で現代風で、てりかがやくような色艶といい、優雅さといい、去年よりは今年はまさり、昨日よりは今日はめずらしく、どうしてこうも美しく生まれつかれたのであろう。

 

 しかし永年光源氏の女問題に堪えて来た紫の上は、43歳の年に出家を望むが許されず、その年の8月死去する。光源氏51歳。紫の上の最後を書いた『源氏物語』「御法」の章は、紫の上を絶賛し、惜しむ言葉が頻出する。

  

 雨の夜語りで、女には優れた者はいないと書いた紫式部は、自ら描く女の理想図に紫式部を描いている。紫式部は『源氏物語』で幾多の女像を描いているが、紫の上は彼女にとっても理想的な女に仕立てたのであろう。だから自分と同じ「紫」の名を付けている

 私は昔京都の人形店で、おかっぱ姿で愛くるしい「若紫」の人形を探し求めたことがあったが、手に入らなかった。。

 

 

 

 

 

 

 

「風の盆」

 今日から9月に入る。そして9月3日までの3日間、越中富山八尾では、「風の盆」の踊りが始まる。いい踊りである。

 全国には阿波踊り・土佐よさこい祭り・河内盆踊り・郡上踊り・花笠おどりなど、それぞれ個性ある祭りがある。その中で私が一番好きなのは、この八尾の「風の盆」の踊りである。

 唄も和歌調の調べ、それに三味線のほか、他所の祭りでは見られない胡弓の音が、「風の盆」独特の哀調を醸し出す。踊りも女は揃いの浴衣に菅笠を深く被り、混じって男は野良仕事風の絣を着て、男女とも情趣をこめて静かに踊る。賑やかさはないが,華やぎ゛に溢れた踊りである。誰が振り付けをしたのか知らないが、素晴らしい踊りで私は日本一と称えたい。

 

 それに八尾という土地は、富山県の辺境であり、さして広い平野もない。焼畑に始まり、田圃の耕作でやっと稲が植えられた地である。

此処に住み着いた先祖は、広い富山平野に新しい耕地が開けなかったため、この辺境に住み着いたのだろう。ということは遅く入って来た入植民であったことを示している。だがその民が和歌をこなし、踊りに三味線に加えて、胡弓を取り入れたというのは驚きで、全国にそんな例が無い。

 三味線は17世紀沖縄から伝えられており、シナの胡弓もその頃伝わっていたともいわれるが、三味線は忽ち全国の色街に伝わったが、なぜか胡弓の普及はあまり見られない。しかも静かな踊りの様子は、琉球王朝の踊りを伝えたものという説もある。しかし琉球伝来にせよ、日本の和歌が踊りの音頭となっている。「風の盆」の伝統の不思議さは解けないが、日本的な優雅な夏の盆踊りである。

 

 からり以前、ある会合でスピーチをした韓国の領事が、「日本に来て初めて盆踊りを見てびっくりした。村を挙げて踊ることは韓国では見られない。これで日本がいざという時に、村ぐるみから国ぐるみになることが分かった」という話をされていた。世界的にも村挙げての踊りは少ない。盆踊りは日本独特の夏の風物詩である。

 八尾に住む老人は、「なんでもええ。いいところに生まれて来たもんだよ」と言っていたのが記憶に残る。日本はいい所だよね。

 

 

 

 

 

 

源氏物語の女たち 1―夕顔

 光源氏は12歳で元服して、左大臣の娘、葵の上を正妻とした。だが年上で、気位も高く、女らしい親しみもなく、睦みあわなかった。

17歳の頃、光源氏はもと皇太子妃であった未亡人、六条の御息所ーみやすどころーの許に通っていた。

 その六条に通うある夕方、光源氏は五条に住む乳母が病気だと聞き、乳母子で側仕えの維近と見舞いに訪れる。門の開くのを待つ間、隣の家の垣根に、夕顔が咲き乱れているのに出会う。「なんの花か」と随身を摘み取りにやらすと、美しい女童が白い扇に夕顔の一茎をのせて、「これに置きて参らせよ、枝もなさけなげなめる花を」と、差し出す。

 乳母の見舞いの後、帰る途中、夕顔をのせた扇には、女からの歌が添えられていた。

 

  こころあてにそれかとぞ見る白露の 光そへたる夕顔の花

 

 この夕顔の女に光源氏は惹かれ、維近に身元などを調べさせる。最近西院あたりから引っ越してきたくらいしかわからない。しかし夕顔の女が忘れられず、ある夜顔を隠して会いに行く。女は暗くてよく見えないが、女の感じは体つきは細く「たよたよととして」、もの言いも素直で、おおらかなのでいとしく思わせる、可愛い女であった。―あの雨夜の品定めの時、頭中将―左大臣の長男、葵上の兄―が話していた、中流の女で常夏という女ではとないかと光源氏は推測する。

 その後、十五夜の夜に泊りがけで出かけ、明くる日の夜「いざ、ただこのわたり近き所に、心安すくて明かさむ」と、急に夕顔と、お付女房の右近を連れて、宮廷管理の六条の広大な邸に移られる。広い屋敷だが庭は草生い茂り、樹木鬱蒼と茂り、気味悪く荒れ果てている。その中の寝殿の一室で二人は過ごすが、明くる日の宵、光源氏が少し寝入っている時、枕上にいと美しい女が夢枕に立ち、「こんな女と寝ているなんて恨めしい」と言っている夢を見る。その時隣に臥していた夕顔の様子がおかしく、苦しんで急に息絶えてしまう。六条御息所の生霊の物の怪-もののけーの仕業であった。

 

 驚き慌てた光源氏は側近の維近を呼ぶ。維近は後は私に任せて、すぐ二条の自宅に帰ることを進める。維近は夕顔を東山に住む知り合いの尼の所へ移して供養する。だが一旦帰った光源氏も夢遊状態で、戻って来た維近に夕顔の様子を尋ね、自分も最後をもう一度見たいと、一緒に東山に向い死人と対面して嘆く。葬儀の指示をして再び二条に戻ると途中、気の動転していた光源氏は、賀茂川堤で落馬する。

 かくて帰宅をしたものの、物の怪がついた有様で、帝よりのお使いもしばしばあり、使用人や周囲の者は不審を抱く。連れて来た夕顔の女房、右近より、夕顔はかっての頭の中将の恋人で、女の子玉蔓まで儲けたが、左大臣の母親に脅迫されて西京に立ち退いたが、方角が悪いと聞かされて、五条の仮屋に移ってきたことを光源氏に告げる。

 

 四十九日は盛大に比叡山で行い、僧にも豪華な御布施をなし、一応夕顔への義理を果たしたが、物の怪による発作も加わったので、

有徳な僧に加持祈祷を受けるために、光源氏は北山に向かう。そこでかわいい紫の上と出会う。

 

 瀬戸内寂聴は「男の人は皆夕顔のような、ほっそりして、気が優しくて、かわいい女が好きなようですね」と語る。

 阪急四条烏丸駅で下車して、烏丸通を南に高辻通りに出て東に向かうと、夕霧町という町があり、ここに夕霧の故地といって碑が立てられている。物語の人間を実在していたとしているのであろうか。

 

   

                  夕顔                          夕顔のお墓?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴虫

20号台風足早に日本海に抜けて、さしたる被害もなくてほっとしています。

いよいよ秋ですね。4日前の夜中に、きれいな鈴虫のなく声を聞きました。暑い夏も終わって、秋が来たのだなあと実感しました。

街中の我が家に鈴虫がいてくれたのが幸せです。私は数年前、隣との境界に畳1畳半ぐらいの竹藪を造りました。年中青々して心を和やかせてくれます。ちいさな竹藪ですが、竹の根っこが蔓延りますので、2年に一回ぐらい掃除をしています。それでも竹の落葉が溜まり、そこに大葉や赤紫蘇がどこからか飛んできて根を張り、その腐葉土の中に鈴虫の幼虫が潜んでいたのでしょう。

 

  あれ松虫が鳴いている ちんちろ ちんちろ ちんちろりん

  あれ鈴虫も鳴きだした  りんりんりんりん りいんりん

  秋の夜長を鳴き通す   ああおもしろい虫の声

 

 こんな歌を覚えている人も少なくなったかも知れません。尋常小学校五年に習う文部省唱歌、「虫のこえ」という唱歌です。

それに私は秋に入るといつも思い出す歌があります。

 

  馬追虫ーうまおい―の鬚のそよろに来る秋は、まなこを閉ぢて想ひ見るべし     長塚節

 

 長らく馬追虫の実態を知らなくて、節の抒情溢れるこの歌に魅せられて口ずさんでいたのですが、やっと「新国語図説」という古本の中から見つけ出しました。

 形や姿はキリギリスやバッタに似ていますが、それより小ぶりで全体に青色が多く、鬚は全長と等しく長く、「すいっちょ」と鳴いて、馬を追うと俗信されています。かわいい昆虫です。秋の始め灯火を慕って来ると言います。

 この長い髭に秋風がそよりと吹いて髭が動く――その節の繊細な感性には驚かされます。

 

        

   松虫                 鈴虫          キリギリス             殿様バッタ                馬追虫

 

源氏物語の女たち1―序章

  もう北海道大雪山の黒岳小屋には初雪が降ったという。若い頃大雪高原温泉から黒岳に登り小屋に泊まったことがある。ブロック石の壁から寒い夜の冷気が吹き込んで、眠れなかったことを思い出す。酷暑の夏も過ぎ、やっと秋が訪れて来たのか、朝夕秋の気配を感じます。この秋、教養番組として大好きな『源氏物語』から、紫式部の描いた光源氏を取り巻く女群像を語り始めたいと思います。

 

 最初の「桐壺」に続く「帚木」には、有名な「雨の夜の品定め」という章があります。雨の夜、光源氏をはじめ宮中の殿上人が集まり、「女」に対する批評をするのです。いろんな話が出ます。

 

   女の、これはしもと難つくまじきは、かたくもあるかな      「帚木」

   女のこれなら大丈夫と非の打ちどころのないような人は、めったにいないものだ。

   人の品高く生まれぬれば、人にもかしづかれて、隠るること多く、自然にそのけはいこよなかるべし。中の品になむ、人の心々、

   おのじしの立てたるおもむきも見えて、分かるベきことかたがた多いかるべき。下のきざみという際になれば、ことに耳たたずかし

   身分の高い家に生まれた女は、多くの人にかしづかれて、奥に身を隠しているので、端から見ればすばらしく見えるでしょうが、中流の

   女にこそ、それぞれの気質や、各々が持っている個性もはっきりしていて、そんな女が多くておもしろい。下層の女は格別注意も引かれ

   ません。

  結局いろいろな女を批評した最後に、娶るべき女とは、

  今はただ品にもよらじ、容貌をばさらに言わじ、、いとくちをしく、ねぢけがましきおぼえだになくは、ただひとへにものまめやかに、静か

  なる心のおもむきならむよるべをぞ、ついの頼み所には思ひおくべかりける

  こうなっては家柄のよしあしによりますまい。容貌なんか勿論問題にしますまい。全く出来が悪くなく、性格的にひねくれた点さえなけれ

  ば、実直で落ち着いた性格の妻を、生涯の頼りになるひとと考えにおくよりほかありますまい。

 

 すなわち中流の家の娘で、容貌よりも、性格的にひねくれが無く、落ち着いた家政的な女が一番良いのではないかという事になる。これは殿上人の男の見方ではない。紫式部という女から見た女性観であることに驚かせる。この前提に立って、紫式部は幾多の個性的な女性像を描いている。人間観察に於いて彼女は、古今とびぬけた才女であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の漢字「救」

 私はテレビを見て拍手するのは、阪神タイガースが9回裏、最後に逆転勝利した時ぐらいだが、今回藤本理稀ちゃんの救済ニュースには、思わず「よかった」と声を出して、拍手しました。

 たった2歳の子供ですよ。一人でお爺さんの家に帰る途中、曲がる道を間違えて、真っ直ぐ裏山に入り、家から800mほどの裏山の小さな渓流の傍で、それも3日間、何も食べずに山で生きていたんですよ。泣きわめいたり、大声を出して体力を消耗せずに、川の水を飲んで飢えをしのぎ、じっと座っていたのが、かえって良かったのでしょう。

 警察が何人も捜索を出し探していたのに見つからなかったのに、遠く大分県からニュースを見て駆けつけた、尾畑春夫さんという78歳のボランティアの方が、飴とタオルケットを持って駆けつけられたのです。2歳の子供の足ではそう遠く迄いけない筈だと、家と分れる本道を真っ直ぐ裏山に入り、「リキちゃん、いるか!」と呼びかけると、少し入った谷川で座っている理稀ちゃんが「ここだよ!」と返事をしたという。

 理稀ちゃんは素晴らしい。それに遠くから知らない小さな子を心配して駆けつけた尾畑さんも素晴らしい。日本にはこういう心掛けの人がいるということは、世界にも発信したい。

 理稀ちゃんが3日間何も食べずに、水だけ飲んで生き延びられたこと、一家に関係ののない遠方の人に助けられたこと。ただ私はこの

巡り合わせに、神仏の、とくに理稀ちゃんのご先祖さんが、救いの手を差し伸べられたものと思いたい。

 嬉しいニュースの少ない今年、清水寺の管長が年末に書かれる、今年の漢字にぜひ「救」の字を書いてもらいたい。西日本の豪雨後のボランチィァの「救援活動」など。やっぱり日本人は素晴らしいですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

紫女――井原西鶴『諸国ばなし』

 筑前国、袖の港――福岡市博多港は、唐船の出入りする港で、港には人家が立ち、魚の店が沢山あった。その磯や魚くささから遠ざかり、

精進料理を食し、仏道を心がける伊織という男が、もう30歳にもなるのに妻を娶らず、深山のごとき山奥に一間四面の閑居を造って、小机に座って明け暮れ古歌集などを書き写して暮らしていた。

 

 おりふし冬の始め、物のさびしい出窓から、優しい声で「伊織さま」と呼ぶ声が聞こえた。不思議に思って外を見れば、衣は紫色に揃えて、

髪を真ん中で金糸で引き結び、その美しいことは例えようもない位であった。この女を一目見た伊織は、歳月の堅固な志を忘れて、ただ夢のようになってうつつを抜かしてしまった。

 女は一人で内裏羽子板を、数を数えてついていたので、伊織は「そなたは人の嫁か」と問いかけると、女は「男を持たぬ身を嫁とは言えない」と、切戸を押し開けて入って来て、しどけなき寝姿になって横になる。そして夜の十二時の鐘の音とともに、「さらば」と幻の如く消えて出て行ってしまった。

 その後、夜毎に紫女が来て、伊織と同衾すること二十日。知り合いの薬師の道安が訪ねて来ると、伊織の躰は痩せ、脈も整わず、日頃は嗜み深いので不思議に思い、「かくし女でもあるのか」と訊ねても、無い応える。「命の程もせまるなり」と告げれば、ついに伊織は紫女のことを打ち明ける。「身元もはっきりしない美女が通ってくるのも恐ろし。今夜打ち止めましょう」と誓う。

 夜になって女が来たり、「我を切り給わんこと、恨めしや」と言うのを、近寄り抜き打ちに切りつける。紫女は消えてしまうが、跡をつけると、博多湾の東、橘山の奥深き洞穴に女は消えてしまった。道安は国中の道心者を集め祈りければ、伊織はやっと危き命を繋いだという。

 

 今日はお盆。妖怪譚は一応終わります。