1日1歩ずつ ~継続は力なり~ -6ページ目

62日目:ロマネ・コンティ

漫画「神の雫」を最近読み始めました📖👓


ロマネ・コンティは、ブルゴーニュのヴォーヌ・ロマネ村にあるピノ・ノワール種の特級畑の名前であり、その畑のブドウから造られる赤ワインの名前でもある。
ロマネ・コンティの畑の広さはわずか1.8ヘクタールですが、東南東に向いた日当りの良い場所にあり、グラン・クリュの畑に囲まれています。
複雑な地層をもつ土壌の上部は石灰質でやせているため、ブドウの根は地中深くまで伸び、地中のミネラルや多様な要素を吸収することができます。
つまり、ロマネ・コンティの畑は、立地、土壌共にブドウ栽培において最適な条件を満たした傑出したブドウ畑とされています。

ヴォーヌ・ロマネ村に本拠地を構えるロマネ・コンティの生産者、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(以下、DRC)は、ロマネ・コンティの畑の他、ヴォーヌ・ロマネ村をはじめ近隣の村に8つの特級畑を所有しており、そのいずれの畑からも卓越したワインを生産しています。
ブルゴーニュでは、通常ひとつのブドウ畑を複数の生産者が分割所有しているため、同じ畑名や同じ村名のワインを多くの生産者が造っているのが一般的なのですが、ロマネ・コンティはDRCのみが所有するモノポール(単独所有畑)なので、ロマネ・コンティという名のワインはDRCが生産したものしか存在しません。

畑の耕作は馬で行い、農薬や除草剤を一切使用しない有機栽培の一種であるビオディナミ農法でブドウを育て、毎年、周りのブドウ畑より遅くに行われる収穫はもちろん手摘みです。
もともとブドウ栽培時に徹底した収量制限が行われているにもかかわらず、収穫されたブドウは厳しく選果され、発酵させます。
熟成はトロンセ産の新樽100%を使用し、熟成期間はヴィンテージによって異なります。
澱引きや濾過は最小限、ワインの移動も重力を利用し、決してポンプは使用しません。
このように惜しみなく時間と労力を費やして造られたワインは、テロワールの個性とともにピノ・ノワールの繊細さ、複雑さを余すところなく表現しています。
また、力強くはっきりとしたボディでありながら、デリケートで官能的な味わいは「飲み手の魂を吸い取る」とまで賞されています。
ロマネ・コンティのブドウ畑は最高の自然条件を兼ねそなえた恵まれたテロワールですが、今日のワインの名声は、長い歴史の中でワイン造りに携わってきた多くの人々の絶え間ない努力によって得られたものなのです。

ロマネ・コンティの生産本数は毎年僅か6000本前後のため、品質もさることながら希少性も相まって非常に高値で取引されています。概ねワインの価格は需要と供給のバランスで決まりますから、世界中の需要に対してロマネ・コンティの生産本数は少なすぎるのです。
現在、価格はオフヴィンテージであっても1本(750ml)100万円は下らず、良年のワインなら200万円〜300万円の値がつくこともしばしば。
さらに今後も価格は上昇すると予想されています。


正直高いか安いか飲んでても分かりません😅
一度説明を聴きながら色んなワインを飲んでみたいなー🍷

61日目:アダムとイブ

アダムとエバ(アダムとイブ)は、旧約聖書『創世記』に記された最初の人間であり、天地創造の終わりにヤハウェによって創造されたとされる。
なお、アダムとはヘブライ語でハヴァと言い、「土」「人間」の2つの意味を持つ言葉に由来しており、エバはヘブライ語で「生きる者」または「生命」の意味である。
人類最古の文明を生み出したと言われているシュメル人が書き残した天地創造の物語がヘブライ語に翻訳されたと思われる。

旧約聖書『創世記』によると、アダムの創造後実のなる植物が創造された。
アダムが作られた時にはエデンの園の外には野の木も草も生えていなかった。
アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる種類の木があり、その中央には命の木と善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。
それらの木は全て食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令した。
なお、命の木の実はこの時は食べてはいけないとは命令されてはいない。
その後、女(エバ)が創造される。
蛇が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。
女はその実を食べた後、アダムにもそれを勧めた。
実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆ったという。
この結果、蛇は腹這いの生物となり、女は妊娠と出産の苦痛が増し、また、地(アダム)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡す。
アダムが女をエバと名付けたのはその後のことであり、主なる神は命の木の実をも食べることを恐れ、彼らに衣を与えると、2人を園から追放する。
命の木を守るため、主なる神はエデンの東にケルビムときらめいて回転する剣の炎を置いた。
その後、アダムは930歳で死んだとされるが、エバの死については記述がない。
また、「善悪の知識の木」の実(禁断の果実)はよく絵画などにリンゴとして描かれているが、『創世記』には何の果実であるかという記述はない。
17世紀のイギリス人作家ジョン・ミルトンは、この物語をモチーフにして『失楽園』を書いている。


人間の起源には非常に興味がある😌

60日目:雛祭り

雛祭りは、日本において、女子の健やかな成長を祈る節句の年中行事。
ひな人形に桜や橘、桃の花など木々の飾り、雛あられや菱餅などを供え、白酒やちらし寿司などの飲食を楽しむ節句祭りである。
「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然とせず、その起源説は複数あるとされる。
平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていたとする記録がある。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられている。初めは儀式ではなく遊びであり、雛祭りが「ひなあそび」とも呼ばれるのはそのためである。
一方、平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。
江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。
3月の節句の祓に雛祭りを行うようになったのは、安土桃山時代の天正年間以降のことだと推測されている。
江戸時代初期には形代の名残を残す立った形の「立雛」や、座った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。しかし、飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財の一つに数えられるようにもなった。
そのため、自然と華美で贅沢なものになっていき、時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた立派なものだった。
享保年間からは、江戸幕府が倹約政策のとり、大型の雛人形が一時禁止された。
『御触書宝暦集成』十五では、「雛は八寸以下、雛諸道具は蒔絵は不可」という制限が見られる。しかし、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形が流行した。
江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな平安装束を正確に再現したものが現れ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。
また、18世紀の終わり頃から囃子人形が現れ、幕末までには官女・随身・仕丁などの添え人形が考案された[要出典]。雛飾りは嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や壇飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていった。
江戸で製作された古今雛には、原舟月などの作家ものがあり、ガラス製の玉眼も比較的早く用いられた。
また、関西およびその影響を受けた地方では台所用具や御殿が用いられたが、江戸では用いられなかった。
関東で多くひな祭り人形が作られており埼玉県が圧倒的に多く、鴻巣市は名高い。


今まで縁がなかったので全然知らんかった😅