大乗顕教(菩薩乗)の修行と思想
部派仏教の聖者の位階の階梯が「四沙門(四双八輩)」であるのに対して、大乗仏教の聖者の位階の階梯は「菩薩の十地」です。
「菩薩の十地」は、部派仏教の大衆部の「ジャータカ」(仏の過去世の物語:讃菩薩・讃仏の仏伝文学)に由来し、「十地経」で確立され、中観や唯識学派の修行体系にも組み込まれるようになりました。
*「華厳経」のように、その前に40、後に2、全部で52の菩薩の位階を設定する場合もあります。
*「大品般若経」では、「共の十地」として、三乗を組み込んだ位階を考えます。
「四沙門」が「煩悩をなくしていく度合い」であるのに対して、「菩薩の十地」は、それにプラスして「利他を行える能力の度合い」として段階づけられています。
ですから、大乗仏教の修行では「引き算」よりも「足し算」の側面が重視されると言えます。
大乗仏教では、仏になるためには、個別なもの、他者への完全な理解である「一切種智」が必要です。
また、言葉なしに真理を直観的に捉える智だけではなくて、説法において真理を言葉で伝えるための概念的な智である「後得智」を重視します。
「一切種智」と「後得智」は、説法や救済に必要な「足し算」の智です。
大乗仏教の修行階梯では、加行(前行)として、心を浄化するための様々な瞑想が豊富に準備されています。
それと同時に、加行に継いで、利他を重視する菩薩になることを決心する「発菩提心」という段階を重視することが特徴です。
「発菩提心」は大乗の道を歩む大前提であり、第一歩だからです。
大乗仏教の正規の修行としての正行(本行)の修行項目は、「六波羅蜜」にまとめられています。
「布施」「戒」「忍辱」「精進」「禅」「般若」の六つです。
これらは「八正道」と同様に、基本的には階梯ではなく並行して行うものですが、どれが主要となるかという観点から、ある程度は階梯的な側面も持っています。
「六波羅蜜」の中で具体的な瞑想法としては「禅波羅蜜」が「止」、「般若波羅蜜」が「観」に当たります。
ですから、修行全体としての大きな階梯としては、「四波羅蜜」→「禅波羅蜜」→「般若波羅蜜」を考えることができます。
また、「華厳経」では、聖者になってからの「菩薩の十地」の各段階も、「六波羅蜜」を拡張した「十波羅蜜」が対応づけられました。
つまり、「六波羅蜜」が二重に階梯となっているとも考えることができます。
「十地」と「十波羅蜜」の対応は、下記の通りです。
・初地 :布施波羅蜜
・第二地:戒 波羅蜜
・第三地:忍辱波羅蜜
・第四地:精進波羅蜜
・第五地:禅 波羅蜜
・第六地:般若波羅蜜
・第七地:方便波羅蜜
・第八地:願 波羅蜜
・第九地:力 波羅蜜
・第十地:智 波羅蜜
*上座部にも、「十波羅蜜」がありますが、内容が異なります。
大乗仏教では、知的な煩悩を「見惑」、物質的な欲望である荒い煩悩と精神的な欲望である細かい煩悩を合わせて「修惑」と呼び、煩悩の後に「所智障」を加えます。
「所智障」は、一般に「法」の実在に対する執着(法我執)と考えられていますが、中観帰謬論証派は、煩悩が残す潜在的な影響の「薫習」と考えます。
「菩薩の十地」の中で、それぞれを滅するのですが、「見惑」が「初地」、「修惑」が「初地~第七地」、「所智障」が「第八~十地」の段階です。
「修惑」を滅した段階で、部派の目指す阿羅漢に到達するとします。
ですから、「所智障」が残っていても、解脱して、転生はしなくなります。
しかし、「大乗涅槃経」が言う「自未得度先度他」、「大智度論」が言う「不住涅槃(無住処涅槃)」に示されているように、菩薩は自分が成仏するよりも人を成仏させることを優先し、煩悩を滅して解脱してしまわずに、あえて煩悩を残して転生して人々を救うことを目指します。
そうでない場合にしろ、成仏するまでにかかる時間は、「三阿僧祇劫」とか「歴劫修行」と言って、限りないほどの転生が必要とされ、事実上、成仏を不可能なほど困難なものと考えるようになりました。
これは、大乗仏教が精密な止観の修行体系を持っていたはずなのに、解脱するための瞑想修行が後退してしまったと言っても間違いではないでしょう。
大乗仏教の修行階梯は、説一切有部や経量部などの北伝の部派仏教の5段階の修行階梯を継承して、下記表のように「五道(五位)」としてまとめられました。
「戒」と「定」の段階が「資糧道」、有漏・凡夫の「観」の段階が「加行道」、無漏・菩薩で知的な煩悩をなくす段階が「見道」、情的な煩悩をなくす段階が「修道」、仏になった段階が「無学道」です。
聖者の段階の修業方法は、上座部がシンプルなのに対して、細かく決められています。
五道の修行階梯は、主に中観派が重視する「現観荘厳論」やそれをもとにした般若学や、唯識派の諸経典、論書に記されています。
これらの修行階梯はチベットに伝わり、チベットでは「サラム」と呼ばれています。
また、チベットには、インド僧のシャーンティディーヴァの「入菩薩行論」、アティーシャの「菩提道灯論」を受け継ぐ「ラムリム」と呼ばれる修行階梯もあります。
後者は、「加行」→「小士の道」(人天乗)→「中士の道」(声聞乗・縁覚乗)→「大士の道」(菩薩乗)と進むものです、大乗の本行は六波羅蜜です。
これは、小乗と大乗を階梯化して、大乗であることをしっかりと身に着けつつも、「サラム」の見道で行う、四諦を対象にした十六智の詳細すぎる方法を簡略化しようとしたものかもしれません。
「菩薩の十地」は、部派仏教の大衆部の「ジャータカ」(仏の過去世の物語:讃菩薩・讃仏の仏伝文学)に由来し、「十地経」で確立され、中観や唯識学派の修行体系にも組み込まれるようになりました。
*「華厳経」のように、その前に40、後に2、全部で52の菩薩の位階を設定する場合もあります。
*「大品般若経」では、「共の十地」として、三乗を組み込んだ位階を考えます。
「四沙門」が「煩悩をなくしていく度合い」であるのに対して、「菩薩の十地」は、それにプラスして「利他を行える能力の度合い」として段階づけられています。
ですから、大乗仏教の修行では「引き算」よりも「足し算」の側面が重視されると言えます。
大乗仏教では、仏になるためには、個別なもの、他者への完全な理解である「一切種智」が必要です。
また、言葉なしに真理を直観的に捉える智だけではなくて、説法において真理を言葉で伝えるための概念的な智である「後得智」を重視します。
「一切種智」と「後得智」は、説法や救済に必要な「足し算」の智です。
大乗仏教の修行階梯では、加行(前行)として、心を浄化するための様々な瞑想が豊富に準備されています。
それと同時に、加行に継いで、利他を重視する菩薩になることを決心する「発菩提心」という段階を重視することが特徴です。
「発菩提心」は大乗の道を歩む大前提であり、第一歩だからです。
大乗仏教の正規の修行としての正行(本行)の修行項目は、「六波羅蜜」にまとめられています。
「布施」「戒」「忍辱」「精進」「禅」「般若」の六つです。
これらは「八正道」と同様に、基本的には階梯ではなく並行して行うものですが、どれが主要となるかという観点から、ある程度は階梯的な側面も持っています。
「六波羅蜜」の中で具体的な瞑想法としては「禅波羅蜜」が「止」、「般若波羅蜜」が「観」に当たります。
ですから、修行全体としての大きな階梯としては、「四波羅蜜」→「禅波羅蜜」→「般若波羅蜜」を考えることができます。
また、「華厳経」では、聖者になってからの「菩薩の十地」の各段階も、「六波羅蜜」を拡張した「十波羅蜜」が対応づけられました。
つまり、「六波羅蜜」が二重に階梯となっているとも考えることができます。
「十地」と「十波羅蜜」の対応は、下記の通りです。
・初地 :布施波羅蜜
・第二地:戒 波羅蜜
・第三地:忍辱波羅蜜
・第四地:精進波羅蜜
・第五地:禅 波羅蜜
・第六地:般若波羅蜜
・第七地:方便波羅蜜
・第八地:願 波羅蜜
・第九地:力 波羅蜜
・第十地:智 波羅蜜
*上座部にも、「十波羅蜜」がありますが、内容が異なります。
大乗仏教では、知的な煩悩を「見惑」、物質的な欲望である荒い煩悩と精神的な欲望である細かい煩悩を合わせて「修惑」と呼び、煩悩の後に「所智障」を加えます。
「所智障」は、一般に「法」の実在に対する執着(法我執)と考えられていますが、中観帰謬論証派は、煩悩が残す潜在的な影響の「薫習」と考えます。
「菩薩の十地」の中で、それぞれを滅するのですが、「見惑」が「初地」、「修惑」が「初地~第七地」、「所智障」が「第八~十地」の段階です。
「修惑」を滅した段階で、部派の目指す阿羅漢に到達するとします。
ですから、「所智障」が残っていても、解脱して、転生はしなくなります。
しかし、「大乗涅槃経」が言う「自未得度先度他」、「大智度論」が言う「不住涅槃(無住処涅槃)」に示されているように、菩薩は自分が成仏するよりも人を成仏させることを優先し、煩悩を滅して解脱してしまわずに、あえて煩悩を残して転生して人々を救うことを目指します。
そうでない場合にしろ、成仏するまでにかかる時間は、「三阿僧祇劫」とか「歴劫修行」と言って、限りないほどの転生が必要とされ、事実上、成仏を不可能なほど困難なものと考えるようになりました。
これは、大乗仏教が精密な止観の修行体系を持っていたはずなのに、解脱するための瞑想修行が後退してしまったと言っても間違いではないでしょう。
大乗仏教の修行階梯は、説一切有部や経量部などの北伝の部派仏教の5段階の修行階梯を継承して、下記表のように「五道(五位)」としてまとめられました。
「戒」と「定」の段階が「資糧道」、有漏・凡夫の「観」の段階が「加行道」、無漏・菩薩で知的な煩悩をなくす段階が「見道」、情的な煩悩をなくす段階が「修道」、仏になった段階が「無学道」です。
聖者の段階の修業方法は、上座部がシンプルなのに対して、細かく決められています。
五道の修行階梯は、主に中観派が重視する「現観荘厳論」やそれをもとにした般若学や、唯識派の諸経典、論書に記されています。
これらの修行階梯はチベットに伝わり、チベットでは「サラム」と呼ばれています。
また、チベットには、インド僧のシャーンティディーヴァの「入菩薩行論」、アティーシャの「菩提道灯論」を受け継ぐ「ラムリム」と呼ばれる修行階梯もあります。
後者は、「加行」→「小士の道」(人天乗)→「中士の道」(声聞乗・縁覚乗)→「大士の道」(菩薩乗)と進むものです、大乗の本行は六波羅蜜です。
これは、小乗と大乗を階梯化して、大乗であることをしっかりと身に着けつつも、「サラム」の見道で行う、四諦を対象にした十六智の詳細すぎる方法を簡略化しようとしたものかもしれません。
(位階) | 凡夫 | 初地 | 二地~七地 | 八~十地 | 仏 | ||||
(煩悩) | 見惑 | 修惑 | 所智障 | ||||||
(三学) | 戒 | 定 | 慧 | ||||||
(波羅蜜) | 四波羅蜜 | 禅波羅蜜 | 慧波羅蜜 | 十波羅蜜 | |||||
(五道) | 資糧道 | 加行道 | 見道 | 修道 | 無学道 | ||||