空飛べば 大地の感触わからない



電車では 枝葉の囁きわからない



車では 風の香りがわからない



自転車は 根方の野花が見つからない



 



秋に歩けば 落葉路



カサカサはしゃぐ 枯葉の舞



 



冬に歩けば 息白く



ザクザク歌う 霜柱



 



春に歩けば 枝の空



ぷっくり膨らむ 花蕾



 



夏に歩けば 木陰路



メラメラ陽炎 緑影



 



靴を脱ぎ 素足で芝を踏みしめて



立ち止まり 風のささやき枝に聴き



空見上げ 山の香りを雲に問い



しゃがみ込み 命の強さ指に触れ



 



朝に歩けば 頬に笑み



夕に歩けば 雲に色



夜に歩けば 月の陰



夜明けに歩けば いのちの朝



満ち潮 光の波打ち際


遠い昔 高校時代に吹奏楽班(そこでは部でなく班活動と言うんです)でサックスを吹いていました

寒菊祭という文化祭が終わると3年は事実上引退でしたが 後輩たちの練習の音がなんとなく落ち着くので かすかに聴こえる教室や図書室で問題集などやっていました

集中が途切れて行き詰ると 気分転換に 吹き手のいないバリトンサックスを取り出して 4階の長い廊下の隅でバッハの無伴奏チェロ組曲第1番を吹いたものでした ~ 試験前になると 思い出したように本を読みたくなったり 部屋の片づけしたくなったり それと同じですね

廊下の端は残響がとても長くエコーが効いて銭湯状態
彼方のビルの屋上を シルエットに浮き上がらせながら 茜に染まっていく空と廊下と僕の顔 「受検めんどくせー」なぞと思う心に やたらバッハが沁みました 「卒業かぁ」とため息ついたり

プレリュードという第1曲目
ひとつひとつの音が 校舎を駆け廻り 時に溶け込みながら秋に染み込んでいく
エネルギーは形を変えて保存され失われないのなら 奏でた音は何に変わっていくのだろう そんなことも考えた 懐かしい そして夕陽に今も思い出す時間です

こんな場面 ドラマであれば 離れた教室の影からそっと見守る2年女子とかいそうですが 現実にあろうはずもなく それでも 当時はそんな期待すら持たずに ただバッハを吹いていました

音楽でも芝居でも
奏で演じているときの感覚は独特です
読み込みの段階を過ぎると 自分という存在が薄れて 音楽や役の宇宙に包まれ 隔離されていくように感じます

演奏する時 「何かを伝えよう」と考えて演奏を企画しますし 演奏の直前までそのような気持ちがあるのですが 実際に演奏を始めると「何も考えていない」というのが正直なところです
なにかしらの情景をイメージするでもなく 喜怒哀楽のような感情も無縁で 音も自分も含めて「ただ音楽がそこにある」というのが一番近い感覚です

人により 感じ方は異なるでしょうが 表現の魅力は そんな一体感にあるようです

楽器の練習で大切なこと



 



片付き整頓された小奇麗な場所で練習すること



これから練習することで何ができるようになりたいのか具体的に認識すること



お腹がいっぱいでもぺこぺこでもないこと



自分の身体の動きや使っている筋肉を客観的に意識すること



音楽的であること



けれど楽譜の声に謙虚に耳を傾けること



音を出した後に「できたこと」「できなかったこと」を整理すること



 



うまくいかないとき



何度やってもどうしてもできないとき



そんな日には



 



楽器を置いてお茶をいれ(僕はコーヒー)



お菓子でも食べてひと休みして



晴れた午後ならカーテンを開け窓を開け



爽やかな風が部屋に訪れるのを出迎えながら



楽器を磨こう



 



ひたむきに



ただ ひたすらに楽器を磨く



 



もやもやが消えて



適度に腕が疲れたら



力みがとれてうまくできることがあります



 



できないときに



できないことに執着すると



頭は疲れて鈍感になり



身体はどんどん力んでしまう



 



だから



ひたむきに楽器を磨こう


少しずつスリムになっていく月の傍に 夜もすがら明るい木星が寄り添っています
望遠鏡の写真などで見ると 木星って秋色ボーダーのモヘアで着飾ったよう
そういえば「木星柄」「ジュピター・ボーダー」なんて聞かないので ありそうでない柄なのでしょうか

すっかり暗くなった東の空 ビルを越えて
大きな月と柔らかな輝きの木星が なんだかとっても暖かな光を分けてくれました

いつもは母性を感じるお月さまですが
昨晩は木星の方がおかあさんで 独り立ちしようと天頂に向かう子を
遠目に見ながら心配そうに追いかけているよう

大きく 夜空にひときわ明るい光を放つようになった月でも
なんだか心細く 不安げに
ちいさなかあさまを 何度も振り返り
そのたびに かあさまに 励まされ 背を押され
少しずつ昇り続けていく月
「だいじょうぶ」「だいじょうぶだから」

かすかな声に立ち止まり いつまでも眺め続けていたい景色でした

the Bringer of Jollity のかあさまから愉快な喜びを教わって
今宵晴れたら 少しスリムになった姿で喜びの光を注いでくれそうです
いつも過ごす部屋や通いなれた道を素足で歩いてみると
柔らかそうな絨毯がチクチクしたり
カーペットが滑らかだったり
横切る芝のこそばゆいチリチリや
しっとり落葉の包むような柔らかさ
ほんの小さな砂利粒の厳しく尖った痛さ
水溜りのぬるりとした苔泥

たくさんの表情を感じることができて
祖先は手と同じ働きをしていたことに納得します
いや 手も昔は足だったのですね

触感も温度も湿度も敏感に感じ取る能力を
靴を履くことで封印したために
失ったものや得ることができなくなったものがあるのでしょう

時には素足になって 閉ざしていた扉を開けば
次の一歩が楽しくなるかもしれません

素足のこころを忘れず
こころも素足になることをためらわずに
あたりまえにできる自分であり続けたい
両足で大地を掴み
凛と立ち 歩むために