遠い昔 高校時代に吹奏楽班(そこでは部でなく班活動と言うんです)でサックスを吹いていました

寒菊祭という文化祭が終わると3年は事実上引退でしたが 後輩たちの練習の音がなんとなく落ち着くので かすかに聴こえる教室や図書室で問題集などやっていました

集中が途切れて行き詰ると 気分転換に 吹き手のいないバリトンサックスを取り出して 4階の長い廊下の隅でバッハの無伴奏チェロ組曲第1番を吹いたものでした ~ 試験前になると 思い出したように本を読みたくなったり 部屋の片づけしたくなったり それと同じですね

廊下の端は残響がとても長くエコーが効いて銭湯状態
彼方のビルの屋上を シルエットに浮き上がらせながら 茜に染まっていく空と廊下と僕の顔 「受検めんどくせー」なぞと思う心に やたらバッハが沁みました 「卒業かぁ」とため息ついたり

プレリュードという第1曲目
ひとつひとつの音が 校舎を駆け廻り 時に溶け込みながら秋に染み込んでいく
エネルギーは形を変えて保存され失われないのなら 奏でた音は何に変わっていくのだろう そんなことも考えた 懐かしい そして夕陽に今も思い出す時間です

こんな場面 ドラマであれば 離れた教室の影からそっと見守る2年女子とかいそうですが 現実にあろうはずもなく それでも 当時はそんな期待すら持たずに ただバッハを吹いていました

音楽でも芝居でも
奏で演じているときの感覚は独特です
読み込みの段階を過ぎると 自分という存在が薄れて 音楽や役の宇宙に包まれ 隔離されていくように感じます

演奏する時 「何かを伝えよう」と考えて演奏を企画しますし 演奏の直前までそのような気持ちがあるのですが 実際に演奏を始めると「何も考えていない」というのが正直なところです
なにかしらの情景をイメージするでもなく 喜怒哀楽のような感情も無縁で 音も自分も含めて「ただ音楽がそこにある」というのが一番近い感覚です

人により 感じ方は異なるでしょうが 表現の魅力は そんな一体感にあるようです