あんまり熱量もなくなってオリンピックも観てないんだけど
ちょっと気になる話題が・・・
スポーツの祭典となると、やっぱり引っかかる問題って出てくる
・・・ってのが私の感想なんだけどさぁ
スポーツでみんなが差別について神経質になってくると
トランスジェンダー問題って避けて通れない
これって前にも私が問題提起したんだけど、
男として育った人が、心が女性だからと
女性のスポーツに参加すれば、やっぱり勝っちゃうよね
それが差別のない平和の祭典っていうのであれば
根本的にオリンピックという今の制度が成り立たなくなる
だって大抵のスポーツは、男女で色分けされている
男女には、あきらかに身体能力の違いがあり
一緒に競技すれば勝負にはならない
分けて競技することでどちらにも均等にチャンスが与えられるのだ
それがみんなにとって平等な社会だと考えられたからだ
そこに第三の性であるトランスジェンダー問題が出て来た
これをどう扱うかにスポーツ関係者は頭を悩ましている
困りましたよね(笑)
無視すれば差別だと叩かれ、黙認すれば今までのスポーツの歴史が無茶苦茶になる
差別って言葉を聞くたびに、思うんですけど、
差別はダメだけど区別ってやっぱり必要でしょう ってね
この辺のところを一緒くたにするから話がややこしくなる
物事は区別がはっきりつけられることによってのみ
明確な差別や不平等が分かるようになるのだ
そこを差別や不平等だけに神経を尖らして、区別を疎かにするからおかしくなる
区別することは人間社会では必要な事なのにそれを差別と混同して非難する人がいる
みんなが差別や平等って言葉に振り回されてるような気がする
平等な社会や差別のない世界を目指す姿勢は間違っているとは思わないが
現実、差別は無くならないし、人間は平等には生まれついてない
私が言いたいのは、理想を目指すことはするべきだが
現実に目を瞑ってもなんの発展もない
じゃ具体的にこの問題にどう対処していけばいいのだろう?
私の意見としては、
男子スポーツ、女子スポーツ、トランスジェンダースポーツ
と3区分に区別してゆくべきだと思う
それが現状で叶わないことであるならば、
それまでの間、オリンピックへの参加はできないということで仕方ないと思う
そんなことをしたら、
トランスジェンダーの人が可哀そうって言うかもしれないけど
じゃ血のにじむような努力でオリンピックに参加している女子選手はどうなの?
みんな差別って言葉に敏感になりすぎて、区別をつけるってことを忘れている
平等な社会も差別のない世界も、ぜんぶ区別の先にあるんもんだと思う
現状スポーツ競技に差別があったとしても
トランスジェンダーを男子スポーツか女子スポーツかに
振り分けようとする姿勢のほうが公平じゃないし、はるかに差別だと思う
この問題は確かに難しい判断ではあるが
目の前のことに蓋をしてしまうようなやり方がどうも納得いかないのである