ライジング -48ページ目

ライジング

脈略のない乱文・乱筆の嵐.....そう雷神goo

昨日、"ハッ" としたことが2つありました。

"ハッ"っていうのは気合を入れてるのでも敬礼してるのでもなくてビックリとかドキッとしたというような意味です。


1つはちょっと腹立たしい "ハッ"で、もう1つは気持ち悪い"ハッ"です。


まず1つ目は、

初めて行ったスーパーでの出来事。

買い物カゴを手に取り、さんざんいろいろと物色した後、野菜やら果物、惣菜をカゴに入れてレジに向かいました。レジではバーコードを通して、バイトの青年が「1219円です」と言ってきたので、”アレレ?”そんなに買ったかなと思いつつお金を払ってカゴの置ける台へ向かい持ってきた袋に全ての商品を詰め込んで家に戻りました。

家に着いて早速、さっき買ったばかりの品物を袋から取り出していくと見慣れないピンクのスティック糊のようなものが出てきました。


ここで ”ハッ” です。



”これ何?”と思いよくよく商品を見るとピンク基調の可愛らしい図柄のイチゴ香のするメンソレータムのリップスティックでした。おっさんは”いつの間にこんなものが入ったん?”とハテナが無数に目の前を飛び交う中、レシートを見るとしっかり計算されていました。いつ入ったのか皆目検討がつかず 、最初カゴを手に取ったときから入ってたのかなとも思いましたが、積み上げてあったので取ったときに分かりそうだし、食品を入れたりするときに気が付きそうな気がします。じゃあ、誤って入ったのかなとも思いましたが、リップがあるようなコーナーは通っていないし、いったいどこでどうなったんだろうと考えみるとまた”ハッ”することを思い出しました。間近に中高生くらいの娘がいたことがあって、ひょっとするとイタズラされたっていうこともあるのかなと思ったりしました。ただ、確証も無く自分の不注意かもしれないので、なんだかもやもやしたままのオチも何も無い話というただの情けな話になった次第です。っていうかこんなハデハデなパッケージ、帰ってくるまで気づかなかった自分に問題ありのような気がします。


もぎたて果実 摘みたてイチゴの香り



星 星 星 星 星 星 星



もう1つは、自室で起こったおぞましい出来事です。

食事中の方は気分を害するかもしれませんので気をつけて読んでください。


夜、こたつ机に足を延ばして座っていると、昆虫の羽音が聞こえたんです。窓は網戸になっていて、蛾か何か昆虫が光に吸い寄せられてパタパタしてるのかなと特に気にもせず、そのまま放っておいたんです。で、夜中、寝ようと思ってベッドに行こうとしたときです。


パタッ パタッ


とすんごい間近で虫の羽音がして


”ハッ”


と出入り口のドアのところを見ると真っ黒な昆虫みたいなのがじっとしていました。

最初、カブトムシかなと思って恐る恐る見ると


”うわぁぁぁ”


思わず出ちゃいました。


暗黒卿"ダースベーダー"が!!

いやいや "ゴキブリ"くん(男とは限りませんが・・・)が微動だにせずじっと我慢の子でいたんです。

自分の部屋は2階なんですが、一度もゴキブリ見たことないのに、よりによってこんな寒くなってきてからなんで突如出現したのか分からずオロオロしてしまいました。

あんまり殺生はしたくなかったんですが、申し訳ない気持ちのまま処分させてもらいました。


1階にはゴキブリ除けをあちこちに配備した結果、ほとんど見たことがなかった我が家で、何故、この時期に2階の自室でダースベーダーが現れたんでしょうか。2階まで飛んでくるなんてことあるんでしょうか。謎は深まるばかりですが、早速、ゴキブリ除けを設置します。


ちなみに我が家はブラックキャップを設置してて、よく効いてるみたいです。


ブラックキャップ 12個入り

2月堂から若草山を左手に見ながら春日大社をめざして進むと途中にお茶屋さんがありました。時代劇に出てくるような茶店がとっても心和ませてくれます。時間があれば寄って一服したかったんですが、とりあえず一枚撮って前へ進むことにしました。


 茶店
茶店


春日大社は768年、藤原氏の血を引く女帝、称徳天皇の勅命により、左大臣藤原永手(藤原不比等の孫)らが現在地に四所の神殿を創設したのが始りで、平城京の守護の為、藤原氏の氏神として創建されました。

春日大社という名称について、古くは「春日大神社」、「春日神社」、「春日社」と呼ばれてきましたが、明治4年、「官幣大社春日神社」になり、更に昭和20年、神社と国家の分離にり、翌昭和21年、宗教法人法に基づいて「春日大社」と改称されたそうです。


ちょうど女官の方が歩いていて、自然の中に溶け込むように佇む格式高い神社というオーラが出ていました。


 内侍門


この南門が出入り口となっていて、朱と白のコントラストが神々しい雰囲気を醸し出しています。

なんでも創建当初は鳥居だったのが、平安時代にこのような楼門に造りかえられたそうです。


南門 (重要文化財)


中門の向こう側に本殿があり、向って右(東)から、第一殿 武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、第二殿 経津主命(フツヌシのミコト)、第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)、第四殿 比売神(ヒメガミ)の四柱が祀られています。

中門から本殿に向かって拝もうとしたとき、ラッキーなことに結婚式をされていました。古式ゆかしい結婚の儀が目の前で行われいるのがとても不思議でとても幸せな気持ちにさせてくれます。


 中門・御廊 (重要文化財)


宝庫は校倉造で御本殿の神様の御神宝(鏡・刀・鉾・弓矢)が収められているそうで、3月の春日祭の時だけ扉を開けて飾るんだそうです。

この写真は宝庫の底の柱部分なんですが、真っ直ぐに引いた砂紋がありました。枯山水とかの庭園にはいろんな形の砂紋がありますが、これはどんな意味があるんでしょうね。枯山水では砂紋は水を表していて、川や海を表現していますが、この宝庫も水に浮かんでいるような表現をしてるんでしょうか。


 宝庫 (重要文化財)
軒下


この灯篭、ずっと昔は、毎夜火が点されていたそうですが、現在は、2月の節分の「節分万燈籠」、8月14・15両日の「中元万燈籠」という行事の祭に境内にある3000基の灯篭に火が入るそうです。


 吊燈篭


樹齢が600年で木の周りは3メートルもある木が、直会殿の屋根を斜めに貫いていてこれまで切られることなく自然な姿で残っています。

ちなみにこの木の隣に御神木があり、樹齢1000年、木の周りは9メートルもある大杉です。


 柏槙(真柏)


1日目はこれでタイムオーバーとなりました。

まだまだたくさん見たいところはあったんですが、詰め込みすぎて歴史に触れるせっかくの機会が希薄なものなってしまうのも悲しいので仕方ないかと思います。


ということで、これでひとまず旅行記を締めたいと思います。
長々と書きましたが、読んでくださった方に感謝です。

早々に興福寺参拝を切り上げて東大寺へ。

途中の奈良公園では鹿の角切があったそうですが、時間的にも無理なので諦めて、大仏様のほうへ向かいました。

奈良公園といっても総面積は500haもあり、寺社を取り囲んだ広大な公園で、鹿は約1200頭もいるそうです。

木々の緑や石畳の間を歩いてるととっても落ち着きます。と言いたいところですが、あちこちに観光やファミリーがわんさかで賑やかな公園になっていました。

と、早速、鹿クンに会うとあれあれ角が無くなってる。角切でやられちゃったんでしょうか。あちらこちらで鹿煎餅をもらってる姿を目にしましたが、中には煎餅欲しさにグイグイとプレッシャーをかけてる積極果敢な鹿クンもいて見ていて愛らしかったです。


 奈良公園



東大寺は、もともと728年に建てられた金鐘山寺が金光明寺と改名されその後、現在の地に大仏殿を中心とした大伽藍に改修されたものだそうです。"大仏造立の詔"を発した聖武天皇によって、大仏は752年に完成しました。

この東大寺も興福寺同様に何度も火災に遭い、その度に再建されています。現在の大仏及び大仏殿は江戸時代に再建されたものだそうですが、創建当時にはあった東西の七重塔、講堂、食堂などは再建されず今に至っています。


さぁ、いよいよ大仏殿のほうへ。

まず真っ先に目に入ってきたのが、あまりにも有名な南大門。ずっと前に来たときの記憶がほとんどなかったのですが、南大門ってこんなに古い建物だったっけといぶかしげに思ったのですが、これは、鎌倉時代に復興にされたものが火災を逃れてそのまま残っているからということでした。

以外にもこの門は木組みそのまま剥きだしになっていて柱には朱塗りされていたであろう跡がくっきり残っていて古い姿が妙にリアルに感じました。

そして左右で睨みをきかせている金剛力士像。筋骨隆々とした姿にただただ圧倒されます。吽形(うんぎょう)、阿形(あぎょう)という1対の像はまさに"阿吽の呼吸"で睨みをきかせて守っているんですよね。

像を見ててひとつ気づいたのが、昔、歴史の教科書に載っていた像の指は欠けていましたが、今はちゃんと治っていたことです。これは平成になって解体修理が行われてリフレッシュした結果なんですね。


 南大門 (国宝)


大仏殿はデカイ。現在の大仏殿は江戸時代に再建された時、以前より横幅が3分の2に縮小されたそうで、この姿で横に長いともっとスゴイことになってますね。

大仏殿ではなにやら工事らしき作業をしている人がたくさんいて何かなと思ったら、布袋寅泰がここでライブをするそうで、そのための準備だったみたいです。最近、寺社でライブっていうのをよく聞きますが、東大寺でライブって珍しいですね(初めてかな・・・)。


 金堂[大仏殿] (国宝)


大仏殿に入ると出ました。大仏様(当たり前ですが・・・)。

やっぱりこれまたデカイ。高さは約15メートルで日本最大の金銅仏だからデカイのは当たり前ですが、台座にしても光背にしても何もかもスケールが凄いです。

この大仏殿には多聞天像、広目天像、大仏の左右に菩薩像があるんですが、これまた大きい。大きいづくしの大仏殿内ですが、若干暗くて、細部が見づらいという部分もありました。大仏様を1周するように拝観していくと長蛇の列が現れてビックリ。柱に空いた穴を抜ける為に順番待ちしてる人達でした。この穴は大仏の鼻の穴と同じ大きさになっていて、この穴をくぐると無病息災のご利益があるということですが、この穴けっこう小さいです。子供や女性なら大丈夫だと思いますが、大人の男性はキツイんじゃないかと思ってしまいました。厚生労働省が出したメタボ検診の基準、胴囲85cmがデッドラインかな?

 盧舎那仏[大仏] (国宝)


時間もどんどん押してたんですが、せっかくだからと正倉院に向かいました。金堂(大仏殿)の裏側(北側)には講堂跡が森林公園のようにになっていてとっても気持ちよさそうでした。

正倉院は徒歩で15分くらいのところだったのですが、案内板を見て愕然としました。なんと土曜、日曜、祝日は休館だったんです。宮内庁の管轄だからでしょうか、休日は同じように休館だったんです。ちゃんと調べていけばよかったと後悔したのは言うまでもありません。


 講堂跡周辺(金堂北側)

失意の中、正倉院から急ぎ足で二月堂へ。

壁でジグザグに走る石階段とその先に見える二月堂とがなんとも情緒たっぷりで、


 二月堂へ


二月堂はなんといっても「お水取り」ですね。よく「お水取り」になるといよいよ春が来るといいますが、この行事は、奈良時代から毎年休みなく続く修二会(しゅにえ)という天下泰平を祈願する法会で、中でも「お松明」は松明に点けた炎が境内いっぱいになり、火の粉が舞い、松明を持った僧が駆けるという圧巻の行事で、いつもよく火事にならないなぁと感心しながらニュースなどで見ています。

ということで、二月堂の歴史を調べたら1667年に「お水取り」の最中に失火して全焼し、今の建物は2年後に再建されたものだそうです。それまでは火災を免れて創建当時のまま残っていたのに江戸時代に入ってやっちゃったんですね。

二月堂からは東大寺の大仏殿をはじめ、遠くには奈良市内も見えて絶景です。そんなに登ってきたような感じはなかったんですが、こうやって上から眺めると結構な高さに来てるんだと再確認します。


 二月堂 (国宝)
二月堂
 二月堂からの景観
二月堂からの景観


三月堂は東大寺の中で奈良時代の創建当時のまま残っている数少ない建造物です。ただ、老朽化が進んで、鎌倉時代に南側の部分が改修されて、奈良時代の寄棟造の正堂に鎌倉時代の礼堂が付設されるというおもしろい建物になっています。


 法華堂[三月堂] (国宝)

三月堂


 三昧堂[四月堂] (重要文化財)
四月堂



他にも国宝の戒壇院や転害門なども見たかったんですが、時間が無く、泣く泣く春日大社のほうへ向かったのでした。

午前中は平城宮跡から奈良市内の西方面を周り、午後からは奈良公園方面へ向かいました。垂仁天皇陵を見た時点で、予定より1時間くらい遅れていて、ちょっと焦りました。ということで、お昼ご飯はモスバーガーというジャンクフードで早々に済ませることにしました。


ひたすら東へ東へ進み三条通を進んでいくと道はホコ天になり左右にはお土産屋さんや食事ができるとところやたくさんのお店と人で活気に溢れていました。3連休の真ん中ということもあって、観光客があまりに多くだんだんと上りになっていくのとで自転車で進むのがキツクなってきて興福寺の手前あたりから押していくことにしました。

道を挟んで北に興福寺、南に猿沢池というあたりから建造物と池とのコラボにテンションも上がってきました。国宝館にある駐輪場に自転車を置いて興福寺へ行くとやっぱり人は多く、


興福寺はもともと藤原鎌足の病気平癒のために創建した山階寺が起源で、平城遷都のときに現在の場所に移した際に"興福寺"としたそうです。その時に移転を計画し開基したのが藤原不比等です。

この興福寺は何度も火災に遭っていて、創建当時の建物はありません。鎌倉時代初期に再建された北円堂が一番古い建物だそうで、火災の際にはたくさんの仏像や宝物が消失していて現在残っているものは鎌倉時代以降の復興時に作製されてものが大半だそうです。



 東金堂 (国宝)


この五重塔は室町時代に再建された6代目で、木造の塔としては東寺の五重塔に次いで大きいのだそうです。

まさに五重塔の王道という威圧感のある美しい姿を魅せてくれています。この辺りから、雲が厚くなって肌寒くなってきました。


 五重塔 (国宝)


興福寺の中央は中金堂を正面に広場にようになっていて、画像を撮っている手前の一段高いところにある柱の跡がある場所が中門跡です。この中金堂は2010年の創建1300年の事業として創建当初の姿に復原するそうで楽しみです。外側からは東金堂と同じような外観を見ることができます。


 中金堂 (再建工事中)


この南円堂は、10月17日から堂内が特別公開されるようです。今回の観光ではことごとく特別拝観は特別展の日程が外れていて残念の連続でした。ただ、この特別拝観を見てたらきっと計画はボロボロになってたと思うので、これも難しいところです。


 南円堂 (国宝)


ここ興福寺は時間が押していたせいで、走り走りの拝観になってしまいました。その為に、阿修羅像のある国宝館には東大寺、春日大社を周って時間があれば行こうということになってしまって、結局行けませんでした。ギチギチのプランだったので仕方なかったんですが、阿修羅像見たかったかなぁ。

なんでも来年、東京、福岡へ興福寺の国宝が出張するそうで、遠方で奈良に行けなかった人には朗報ですね。阿修羅像を間近で見られるチャンスです。





奈良の旅行記はとりあえず一服することにして、奈良で買ったお土産の疑問について書くことにします。

といってもすっごく陳腐な内容でお恥ずかしいのですが。


お土産の主は「奈良漬」です。

奈良漬というといろんな野菜を酒粕で漬けてあるというイメージで、ご飯やお酒のお供に最高ですが、今回の旅行で購入した奈良漬は、土産物屋の真空パックしたものではなく、お漬物屋さんで、袋に入った"うり"の奈良漬といろんな野菜がミックスされた奈良漬の2袋を買って帰りました。


家でさっそくと思って袋の中を見るとまだ酒粕にどっぷり漬かった状態で、何の疑いもなくどっぶり酒粕がついたまま頂きました。お酒がほんのり効いてて、こりゃあ美味だなぁって思いながら、ふと思い出したんです。


あれ?

奈良漬ってもっとツルンとしてて、酒粕なんて付いてなかったような気がするなぁ・・・


考えれば考えるほど結論が出ず、ついにネットの力を借りるべく、”奈良漬”画像を検索してみると出るわ出るわツルンとした"たくあん"の漬物のようないでたち。やはり糠漬けも食べる前には糠を落としてから食べるし、この奈良漬も当然取り除くんだろうなと決着しかかったときに、酒粕をつけたまま皿に盛られている画像が出てきました。


せっかく決着がつきかけていたのにまたスタートラインへ引き戻された気分で、とにかく


どっちなん?


の疑問符が天文学的に増えていきました。

とっても人には聞けないようなお恥ずかしい疑問なんですが、


まわりに付いている酒粕は取り除いて食べるんでしょうか。

それともそのまま。

どちらもあり。


何れなんでしょうか。

知ってる方教えてください。