『お手伝い』が『お手伝い』でない理由!? | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

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中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

 

「ホームモンテッソーリのお手伝い」をご受講いただいている方々の中には、お子さんがモンテッソーリ園に通われている方々もいらっしゃいます。

 

「教具は園にあるので家庭ではお手伝い程度しか出来ません」

 

時々、いただくそんなお声。

 

我が家も、10年前、娘の園選びをした際に、

 

「モンテッソーリ園に通わせるとなると家庭ではお手伝いしか出来なくなる」

 

そう思い、少し残念な気持ちに駆られたことを今でもはっきりと覚えています。

当時の母にとって「お手伝い」とは「家事の一部を担ってもらうこと」。

 

 

 

家事はワクワクしない!?

 

大人にとって「しなくてはならない家事」。

そんなどこかマイナスにすら聞こえる活動を我が子に手伝ってもらう。

それは、少なくとも当時の母にとっては、決してワクワクするようなものではありませんでした

 

しかし、モンテッソーリ教育を学び、モンテソーリ教育の五大分野と呼ばれる「日常生活の練習」の中で、家事全般に通ずる活動を子ども達が学ぶことで得られるものを考えると、『お手伝い』とは決して『お手伝い』ではないのだと気付きました。

 

モンテッソーリの「日常生活の練習」から子どもたちが学んでいるのは「ライフスキル」。

また、家族というコミュニティーの中で生きる子ども達が家事に参加するのは、共同体としての役割もあります。コミュニティーに貢献することで、帰属意識も高まるのでしょう。

 

 

 

アメリカの大学生活、大変だったのは家事!?

 

 

母の子ども時代は、それほど積極的に家事に参加する機会はありませんでした。

日常的に母が何でもやってくれていたため、残念なことに、子ども時代の自分は、これらの仕事は母の役割だと誤った認識を無意識的にも持っていたのかもしれません。

 

高校卒業後、家を出て海外で暮らし始めた時、習慣的にやってこなかったがために、アメリカの大学の授業よりも、すべてを一人で行わなければならない暮らしの方が大変だったことをはっきりと記憶しています。

 

今、子どもたちが行っている「お手伝い」と呼ばれているものは、すべてライフスキル。

 

今後の長い残りの人生に役立つものしかありません。

 

 

 

「お手伝い」は「お手伝い」ではない!?

 

もし、今日の夜カレーを作ろうと決めたのなら。

キッチンでお料理をするのはお母さんでも、冷蔵庫からニンジンを取り出すことをしてくれるのは1歳のお子さんかもしれません。

 

カレーを作るためには、料理という行為もニンジンを取り出す行為もどっちも必要。

だから、そこには優劣はなく、お母さんの「お手伝い」をお子さんがしているのではなく、2人とも同じように貢献しているのだと思います。

 

だからこそ、家族というコミュニティーを支えるためにお互いが貢献してくれたことに、お互いが感謝の気持ちを持てたらいいなと感じます。

 

12歳の我が娘。

母が苦手なことを片っ端から片付けてくれます(笑)。

1日何回ありがとうと言うべきか分からないくらい、お世話になりっぱなしの日々。

 

「ありがとう」と言わせてもらえることに、ただただ感謝です。

 

◆◆

 

先日ご紹介した以下の書籍にも、1歳からできる様々な日常生活の練習の活動が紹介されています。

 

 

 

1歳

「顔を拭こう」「歯を磨こう」「おもちゃを片づけよう」「おやつを作ろう」「洗濯を手伝おう」「ガーデニングをしよう」「お店にいこう」

 

2歳

「スポンジを使おう」「くつ下を下げよう」「注ごう」「髪を整えよう」「野菜を洗おう」「ペットの世話をしよう」

 

 

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