『モンテッソーリ5分間観察記録』を実況中継!? | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

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中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

真剣にリコーダー練習中。邪魔してゴメンナサイ(9歳9ヶ月)

 

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小4娘の『2歳からのホームモンテッソーリ♡ときどき英語』。

よろしければ自己紹介もご覧ください。

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最近何よりも嬉しいのは『ホームモンテッソーリを始めてみます!!』とメッセージをくださる方々が増えたこと。その中でよくいただくご質問があります。

 

「何から始めればいいですか」

「子どもの敏感期はどうすれば分かりますか」

「援助って具体的に何をすればいいですか」

 

新たな世界に飛び込むと、疑問は次から次へと出てきますよね^^

母も未だに疑問の嵐で、一向に止む気配がありません(笑)。

 

そんな中、質問内容は違っても、母がいつもお答えするのはこちらです。

 

やはり、まずは「観察」から始めることだと思います。

 

 

「でも観察は毎日しているけど、我が子の求めていることが分からない」

 

そう思われる方も沢山いらっしゃると思います。

 

母自身も、「観察・観察」とお経のように唱えながらも、何をどう見れば良いか分からず、ひたすら迷い続けた時間でした。

※もちろん、今でも、さ迷ってます(笑)。

 

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突然ですが、以下は昨日のYuzyの5分間観察記録です^^;

 

【場所】
●母→ダイニング
●娘→リビング

 

【状況】
●学校から送られてきた音楽の動画を見ながら、リコーダー練習中。
●何かを思いついたように突然動画を止める。
●リコーダーの頭部管(ヘッド)を外そうとしているが外れない様子。
●母に近づいてくる。

 

【会話】
娘:「ママ、ヘッド部分を洗おうと思ったんだけれど、外れなくて…中心の部分(中部管)が少し回ってずれちゃったから、まっすぐに直したいんだけれど、回らないの。」
母:「あぁ、洗うのね。じゃあ、ヘッドを外せばいいってこと?」
娘:「とりあえず元の位置に直したいんだけれど。」
母:「OK。リコーダー貸してくれる?」
娘:「私がヘッドの部分を時計周りに回すから、ママは中部管を反時計周りに回してくれる?そうしたら、元に戻ると思うから。」

 

…文字に書き表してみると、まどろっこしい会話で状況を掴めていただけたか分かりませんが…(笑)。

 

この観察・会話で発見したことは2つ

 

①ヘッドを外そうかと提案しても、自分で再チャレンジしたい娘。

②リコーダを貸してと伝えても、手伝ってほしいのは最小限のみ。

 

相良先生の書籍のタイトルにもなっているモンテッソーリの言葉“Help me to do it alone”を思い出します。

 

 

数ヶ月後には10歳となる娘ですら、「繰り返したい」「自己訂正をしたい」という気持ちは強いようです。

 

子どもを観察する際、敏感期を探すことと同様、「ある傾向」を探すと、非常に観察がしやすくなるというポイントがあります。

 

そのポイントとは「人間の傾向性」と呼ばれるもの。

 

母は長年、このモンテッソーリ教育独自の難解な語彙のせいで、『理論よりもおしごと!』と誤った方向にばかり進み、結局どこにも辿り着かないということを繰り返してきました。でも、今だからこそ声を大にして言いたいのはのは、子どもの援助はこの理論の理解なしに成し得ないということ。

 

ご子息マリオ・モンテッソーリの講演録「人間の傾向性とモンテッソーリ教育[新版] (国際モンテッソーリ協会(AMI)公認シリーズ)」の注釈部分に、以下のような説明があります。

 

人間の傾向性とは、人間の内側から駆り立てる強い力で、人がより人間らしくなるため私たちを後押ししてくれる衝動のようなもの。

 

傾向性の例として、新しい環境を探求したり、自分が今いる場所、時間を正しく確認しようと見当識を求め、秩序を好み、他者とコミュニケーションしたいと思い、抽象化したり、想像したり、手を使って仕事をし、繰り返しながら、正確さを求め、自分で間違いを自己訂正し、予測したり作業の段取りを考える数学的頭脳を使い、もっとよくなろうとする自己完成に向かう傾向性(向上心)などが挙げられる。(「人間の傾向性とモンテッソーリ教育」、マリオ・モンテッソーリ、風鳴舎、2016、77頁)

 

 

 

時代、場所、社会状況に関わらず、一貫するこの傾向性をもとに構築されたモンテッソーリ教育。

これらのキーワードを元に観察をすると一気に見るポイントが絞れてきます。

 

この日娘は、無事にリコーダーのお手入れを終了し、気を取り直して練習に取り掛かり始めました。すると、画面の向こうでお手本を見せてくださっている先生の音と自分の音が微妙に違うということが気になり始めた様子。まさにこの時、「正確さ」を求めていた娘。再度パーツを組み立て直すという「自己訂正」を行い、やっと満足のいくリコーダーが手元に戻ってきたようです。こんな一つ一つの時間が、娘を作り出しているのだと感じます。

 

観察とは我が子を知るための手段。

共に過ごすだけでは気付くことのできない、心の中も少しだけ感じられる、モンテッソーリマジックの一種なのかもしれません♡

 

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