自然・生命の教育 vs. 知識偏重教育 | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

 

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小4娘の『2歳からのホームモンテッソーリ♡ときどき英語』。

よろしければ自己紹介もご覧ください。

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いつもとは違う夕方の散歩道。
 
どこからか漂う高貴な香り。そこには美しいセンダンの花が沢山咲いていました。
 
 
足元を見ると、まとまって落ちている花たち。
可哀想だからと、家に持ち帰るという我が家の9歳。
 
 
彼女は、アサリのお味噌汁の後の貝殻までも大事にコレクションしたい性分(笑)。
自然への畏敬の念は、まさに敏感期ゆえのものだと感じます。
 
モンテッソーリ教育には「文化教育」と呼ばれる領域が存在します。「音楽」や「美術」、そして「宗教」などといった分野だけでなく、「生命」という主題が扱われるモンテッソーリ教育。地球の生命は、子どもたちにとって必要不可欠な題材。
 
自分が住んでいる世界をよく知るためには、自然と人間の関係を理解することが、とても大事だと感じています。
 
…という母は、自分の子ども時代、自然とは無縁の生活でした。首都圏ならではの激しい車の往来をシャットアウトするために、二重ガラスの窓を閉め、ピアニストになる夢という名の期待を背負い、練習に打ち込んだ子ども時代。
 
ルーメル先生のこの言葉に、ハッとさせられた瞬間を今でもよく覚えています。
 

自然や生命に対する無関心、無知は、感受性の開花チャンスを妨げてしまう。開花のチャンスが妨げられた子どもは、地球の生態系や宇宙の秩序に対しても無関心になり、自分がこうした自然界の一員であるという自覚すらもてなくなってしまう。(「モンテッソーリ教育用語辞典」、クラウス・ルーメル、学苑社、2011、259頁)

 

子どもの発達段階を無視した知識編重の教育は、「感性の浪費」さらには「知性の発達の妨害」だと否定したモンテッソーリ女史。教師養成講座でも、いつも聞かれた問い。

 

「その学び、子どもの妨害になっていませんか」

 

学びに妨害なんてあるのかと最初は疑問に感じていた母でしたが、モンテッソーリ教育に触れて、その真意が少しずつ理解できるようになってきました。親がさせたいことと、子どもがやりたいことのバランスを失いかけた時、いつも正しい方向へと導いてくれる言葉です。

 

★★

 

最近、嬉しいことに、「今すぐに始められるモンテッソーリ教育」でご紹介したListening Walkに出かけているというメッセージを立て続けにいただいています。

 

 

我が家も散歩道、いつも何が聞こえてきたかと娘と競い合っています(笑)。最近は、聞こえてくる小鳥のさえずりが、一体何の鳥なのかと娘と探る日々。アプリを使っちゃうのはもったいないからと必死の親子。

 

子ども時代、失い続けた自然との時間を、娘を介して取り戻しています。やはり、彼女は今日も母の教師です。

 

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