12歳までのモンテッソーリ子育て | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

 
この週末の読書はこの2冊。
 
 
小学生以降のモンテッソーリ教育についてです。
 
日本では幼児教育の位置付けが強く、なかなか小学生以降のモンテッソーリ教育については知ることが難しいのが現状です。リソースも限られており、母もモンテッソーリ教師養成講座のエレメンタリーを受講するまで、正直どのような世界へと突入するのか全く分からずにいました。
 
実際に学んでみて最初に感じたのは、6歳以降の児童期とは決して幼児期の延長ではないということ。
 
この前提を理解していないと、個人差はあるものの、小学生となった我が子に面食らいます(笑)。
 
当時の記事を読み返すと、小学校に入学して3週間目にこんなことが書いてありました。
 
昨日まではお母さんの手をしっかり握り締めていた子どもたちが、急に子どもたちだけの世界へと飛び立ってしまった、そんな感覚を覚えます。
 
もちろん幼児期(3歳~6歳)という基礎の上に成り立っているのは確かなのですが、モンテッソーリ女史がこの時期を“new birth”と呼んだように、意識の発達の方向性が今までとは異なる…とでも言えばいいのでしょうか。
 
3歳から6歳までは、この方向性は自分の内部に向けられていたとすれば、6歳以降は外部へと発達してく。この部分を理解していないと、2歳のイヤイヤ期の娘を理解できなかった当時の母のように、また新たな悩みに直面します(笑)。まさに幼児期は自己を構築する時期だとすれば、児童期は外との関係を構築していく時期。
 
当初、エレメンタリー課程の受講を決めた際には、小学生以降どのようなおしごとが展開されるのか、それはそれは楽しみでした。けれども、実際始まってみて気付いたことは、おしごと云々よりも、まずこの時期の子どもたちの心理的な変化を知らないと、何も援助ができないということ。
 
モンテッソーリのエレメンタリーにおいて「グレートレッスン」は魅力的ですが、なぜこの時期にこのようなレッスンを展開するのか。どうこの時期の子どもの心理が、このおしごととマッチするのか。この背景の部分の理解が乏しいと、環境の整え方に後に迷うことになると知りました。
 
 
「幼年期」が畑を耕す時期だとすれば、「児童期」はその土壌にたくさんの興味の種をまき芽生えを促していく時期(p.122)
 
だと仰っています。
 
この時期の子どもに与えるべきものは限界がないというモンテッソーリ。幼児期にモンテッソーリ教育に出合った子どもたちは、すでに畑が耕されているため、小学生以降、自然科学、地理、歴史といった文化領域でも深く学ぶことが可能だといいます。大人によって選ばれた教科という範囲の決まっている学びではなく、子どもの前にすべてを並べるのがエレメンタリーモンテッソーリのスタンスです。
 
「なぜ宇宙なのだろう。」
 
そんなふとした疑問から始まった小学生以降のモンテッソーリ教育。
この時期の子どもたちの精神を育てるには、幼児期以上に、選択の自由が大切なのだと思います。
 
幼児期には教具棚に新たなおしごとを並べておけば、物珍しさから目を輝かせておしごとに向かってくれたもの。けれども、小学生以降の学びは、外から促された学びは、満足感にはつながらないことを本人が一番よく知っています。
 
宇宙から出発した世の中のすべてがおしごとの対象となっている小4の娘。
この境界線の存在しない学びが、学びの自由を保障し、モンテッソーリの言葉を借りれば、精神を育ててくれているのだと思います。

 

『人間の可能性を伸ばすために 新版』の中に、女史のこんな言葉が収められています。

 

人類の進歩は子どもの精神的な要求を満足させることにかかっている (p.154)
 
今日の満足が明日への平和へとつながるのだとしたら、モンテッソーリ教育を施さない手はないと心底感じています♡
 

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