$鬼瓦権蔵の心の叫び 言葉遊び 道徳


TIME タイム


アンドリュー・ニコルらしくないですよね?

らしくないっていうか、

アイデアはいつものニコル節全開で

秀逸だと思ったんですよ。

『時間が通貨の役目を果たし、

腕に残り時間が表示され、

時間が途切れたら死亡。

生きる為には時間を稼がなければならない』つ

ー未来社会のルール構築なんて流石面白いな~、

と感心してたんです。

そこは問題ないと思うんです。

ただ何つーか、

それだけに頼り切った物語運びだったなー。

ハッキリ言ってしまえば「雑」。

何でもっと丁寧にストーリー語れなかったかなー、

ていう。

そういう未来社会だから管理だって

キッチリ行われてなきゃならない筈なのに、

どうにもセキュリティが甘いし、

時間銀行の警備もやたらザルだし、

それにあと貧困層の描写。

真っ先に時間切れで死んでくんだから

時間奪うぐらいの暴動が起きたって

不自然じゃないだろ、

とか、貧民の嘆く姿が何だかぼんやりしてて

本当に切迫した雰囲気醸してないよなあ、

もっと色々細かく描写出来た筈なのに、

それをしてない。

敢えてなのかどうなのか分かりませんが。

勿体ないなー、

敢えてそうしたなら

“今回は俺流のアイデアで以って

純粋な娯楽アクションに仕上げてみたぜ”

ってことなんでしょうかね?

まそういう向きで観るのだったら

悪くはないと思うんですが。

アマンダ嬢のルックスは目の保養になったし。

カーチェイスもなかなか見応えあったし。

ただねえ。

ほら、アンドリュー・ニコルですから。

もっと凄いの期待してしまう訳ですよ。

『トゥルーマンショー』や

『ガタカ』や

『シモーヌ』級のやつを。
Nさんは挨拶を苦手としていました。

いつもひと呼吸遅れてしまったり、

業務に集中するあまり

返事をしないこともあるのです。

同僚から指摘を受けることが度々でした。

ある日、先輩から、

「苦手なことを避けるのは簡単だが、

真正面から取り組んで乗り越えた

時にこそ成長があると思うよ」

と教えられました。

さらに「先手で挨拶をしてごらん」と

アドバイスを受けました。

先に挨拶をしてしまえば、

遅れることはないという理由からです。

Nさんは挨拶に苦手意識を感じていることから、

無意識に挨拶を避けていたのかもしれないと

思い至ったのです。

翌日から、

Nさんは先手の挨拶を実行していきました。

一ヵ月後、

Nさんは挨拶で悩むことがなくなり、

なるほど、

苦手なことがあるから成長があるんだと

実感したのでした。

先手で挨拶をすることで、

業務に積極的に取り組めるようになったのです。


$鬼瓦権蔵の心の叫び 言葉遊び 道徳


ものすごくうるさくて、

ありえないほど近い


少年オスカーのトーマス・ホーンが素晴らしい。

長台詞もこなし、

この作品の実質的な主演にあたる。

これはエンドロールで、

トム・ハンクスと

サンドラ・ブロックが一緒なのに対し、

直後にトーマス・ホーンの名が

単独で出ることからも分かる。

オスカーは、

父の死に於いて大きな十字架を背負っている。

母親はもちろん、

誰にも話したことのない重い十字架だ。

母親をはじめ、周りの大人達は、

オスカーの心が不安定なのは、

父親のことを忘れられず、

父親の死を受け入れられないからだと思っている。

もちろん、

そうなのだが、

根はもっと深いところにある。

オスカーにとって、

偶然見つけた鍵は、

父親の遺品であり、

父親との絆を繋ぎ止めてくれる

たったひとつの拠りどころだ。

何がなんでも、

鍵の秘密を解き明かしたい、

そのエネルギーは十字架の重さにもがき

苦しむ反動によるものだ。

だが、オスカーは独りではなかったのだ。

いつだって母親が見守っていた。

オスカーが気がつかなかっただけだ。

ものすごくうるさくて、

ありえないほど近い存在。

母親とはそういうものかも知れない。

そしてまた、

オスカーも母を辛さから守り通したのだ。

だからこそオスカーが歩きまわった軌跡を、

母親と共有できたシーンには、

喉に塊ができてなかなか落ちない。

「何かが分からないよりは

何かが判っただけでもよかった」。

オスカーの負の心が解き放たれ、

思考が前向きになった証しだ。

前向きな人の前にはサプライズも待っているものだ。

そして、

祖母と間借り人が楽しい。
物事を成就させる秘訣の一つとして、

後始末の大切さが挙げられます。

旅館業などの接客の世界では、

「出迎え三歩、見送り七歩」

という言葉があります。

お客様を見送る時は、

出迎える時より倍以上ていねいに

するくらいでちょうどよい、

ということです。

後始末のポイントの一つは、

最後まで緊張を緩めないことです。

具体的な後始末には、

「整理整頓をする。

清掃をする。

道具の手入れをする。

業務完了の報告をする。

収支を明らかにして支払いをする」

など様々にあります。

気を緩めて、

「明日にしよう」

「まとめてしよう」と思うと、

先延ばしになり、

うまくいきかけていた物事も崩れていくのです。

最後まで気を抜かずに終止符を打つことが、

次の仕事のスタートをより良いものにしていくのです。

慌しい時こそ、

心の張りをしっかりと保ちながら、

これまで以上に一つひとつの仕事に、

けじめの良い終止符を打っていきましょう。
本日はひな祭りです。

女の子の成長を祝う、

世界でも類を見ない、

ゆかしい行事です。

桃の節句ともいわれ、

その起源は平安時代まで遡ります。

当時の日本には、

五つの節句がありました。

人日(一月七日「七草の節句」)、

上巳(三月三日「桃の節句」)、

端午(五月五日「端午の節句」)、

七夕(七月七日「笹の節句」)、

重陽(九月九日「菊の節句」)です。

貴族にとって、

節句は季節の節目の身の穢れを祓う大切な行事でした。

「上巳の節句」は、

陰暦の三月の巳の日に摘んだ薬草で、

体の穢れを祓い健康と厄除けを願うものでした。

また、

魔除けの力があるとされた

桃の咲く時期でもあります。

川に人形を流して厄災を祓う

「流し雛」の風習、

貴族の子女から始まった人形遊びなど、

様々な要素が融合し、

現在のひな祭の形となったのです。

「我が子のために形として祝いたい」

という親の心情は、

昔も今も変わりません。

そこに日本人のやさしさ、

奥ゆかしさの原点の一つがあるようです。

長い時を経て伝わる伝統文化を、

大切に受け継いでいきたいものです。