新型コロナ感染不安が払拭できない日が続く中
iPS細胞研究でノーベル賞を受賞された山中伸弥先生が
新型コロナウイルス関係の情報発信をされているサイトで
ジョギング時もエチケットとしてマスクを…
と注意喚起されておられました。
ということで、
コロナパニックに後手後手対応の政府要請より
ジョグ愛好者でもある山中先生の呼びかけには
数段真摯に応えねばならぬと思い
初夏の暑さの中での息苦しさもありますが
マスクを着用して走ることにしました。
ジョグ中は運動時激しくなる呼吸による飛沫拡散
をケアして最低2m間隔を開けるべきとのご指示。
都会の皇居周りのお堀のように混雑するコース
ではないので神経質になる必要はないのですが
ごくまれに他のランナーと接近するときは
距離をとるように気をつけています。
息苦しさを感じながら走る中で
エチケット及び感染防御以外にマスク着用のジョグの
メリットがないか考えてみますと…
1)虫除け…林の中のコースで遭遇する蚊や蜂の類(双翅・膜翅目)
特にユスリカの蚊柱やぶつかってくるコバエ等のブロック
2)低酸素トレーニング…高地トレーニングと同様の効果で登山の訓練にもなる
経済開発優先の森林伐採拡大で来る低酸素社会にむけた訓練にもなる
3)日焼け止め…効果のほどは定かではないが白いマスクなら白色光を反射できるかも
4)微粒子異物のブロック…細菌やウイルスの侵入は許してしまいますが
花粉やPM2.5はブロックできる(手持ちの不織布マスクの表示によると)
5)無精ひげ隠し…これはランニング中だけでなく全ての社会活動に効果あり
6)鼻呼吸に慣れる…マスク着用していると鼻呼吸の割合が多くなる雰囲気がある
睡眠時も雑菌を吸い込みやすい口呼吸より鼻のフィルターで異物
を防御する鼻呼吸が習慣になってリスクが減るかもしれない
こんなくだらない考察はさておき、
色々考えながら走ると息苦しさから気もそれて
スムーズにアクテイビティをこなせる印象もあり、
暗記課題を思い出しながらのジョグが好きです。
例えば、歴史だと徳川将軍十五人や歴代アメリカ大統領、
古文だと徒然草、方丈記、枕草子、論語の名文、
化学だとアミノ酸の名称、周期表等を呟いて復習、
体力&記憶力の減衰に抗がう合わせ技で
頭と身体を刺激する運動の一助にしてます。
5月中旬のある日、
いつものジョグコースの折り返し点の
遠州灘の海岸に到着。
まだ緊急事態宣言発出中にかかわらず
サーファーや釣りの愛好者の人たちが
結構な人数見られましたが、
それぞれエリアをシェアしながらそれなりに
距離を隔てて住み分けて楽しんでいるように見え
新生活モードで秩序を守っている国民性に
少し感心しながら眺めました。
投げ釣りする人がいる海岸
一方、自主要請を受け海岸近くの公共の無料駐車場は
地元行政の判断で閉鎖中で
ジョグ小休止中に開放感ある大自然を満喫したいのに
海沿いの道に縦列駐車の車列を作って
幅員の狭い道に車が三密なのが気になります。
そして、
個々人の基本的人権にいちゃもんつける
つもりは毛頭ないのですが、なんとなく
プレートをチェックし県外ナンバーはいねが?…と
無意識に探してる自分にハッとしました。
というのも、緊急事態下の同調圧力ともいえる
「自粛警察」の話が取り沙汰され
自ら正義の味方との思い込みで県外ナンバー車に
嫌がらせするこのような事例に嫌悪感を覚えたのですが、
自分も根っこには同質の心理があるなと気づいたから。
もちろん、
車体を傷つける、タイヤをパンクさせる等の
ハラスメントまで実行する間違った正義感は
持ちあわせていませんが、
人はどうあれ自分は不自由な自粛生活の中でも
おおらかにいこうと改めて自戒する思いになりました。
さて、そんな思いで休憩ながらストレッチしている時
たまたまサーファーでも釣り人でもない学者風のシニア男性が
照葉樹の木立を興味深げに眺めているのに気づき、
その植物の名前を知っているか尋ねようと思ったのですが
次の刹那、ソシアルディスタンスを思い出して躊躇、
相手も面と向かってしらぬ人と会話したくないかなと思い直し
グッとことばを呑んで結局声をかけずに諦めました。
元来、寅さんのように旅先に限らず何処でも
フランクに声をかけられるような広く浅い交友も
好きなほうなのですが、
コロナ対策の新生活様式に従いシリアスな時代になり
自意識も変わったと思いつつジョグに戻りました。
そういえば、専門家会議の副座長の尾身先生が
記者会見か国会の参考人質問の際、
感染防止の基本の1つとして
各自2m以上の身体的距離の確保が大事だとコメントされ
英語ではソーシャル・ディスタンスというより
フィジカル・ディスタンスの方が意味としはフィットしている
みたいなことを仰ったのが耳に残っています。
その時はなるほどと思ったのですが、その後
フィジカル・デイスタンスという言葉も定着せず
身体的距離という硬い音感の熟語より
ソーシャル・ディスタンスが一般の会話で
使われている印象を持っています。
尾身先生も言及されていたように
英語のソーシャル・デイスタンスは本来の意味だと
経済格差や宗教、思想、人種、地域、ジェンダー、
身体障害等社会的マイノリテイへの差別といった
人間の心の距離のことと解釈されるようで
感染予防の身体的距離の意味で使うなら
たたしくは当初使われていた気もする
「ソーシャル・ディスタンシング」とが正解のようです。
そんなことで先程
図らずも県外ナンバーを探していたことも
知らない人に植物の名を訊けなかったことも
広義に解釈すれば心の距離を開けざるを得ない
コロナパニックの無言圧力がつくる状況の現れの1つ。
身体的距離も心理的距離もいつまで続くことになるのかと
コロナに翻弄される不安な心持ちのままの日々です。





















