思いがけない出来事に戸惑う。
反射的に平静を装う手段を探した結果、ひと呼吸おいて、ゆっくりとその女性に
顔を向けた。

正面から見た女性の顔は、店に入って来たときの印象とは随分違った。
目鼻立ちはしっかりしていて、派手な印象ではあるが、柔らかい雰囲気に包まれ
た、かわいらしい女性だった。
年齢は、30代後半だろう。

「はい?あ、はい。今のところ一人です。」

「あぁ、待ち合わせなんですね?」

「いやいや、夕方までは一人なんですけどね。」

「さっき、山下公園で見掛けました。気持ち良さそうに海を眺めてませんでし
た?」

「えっ?ああ、いたんですか。」

「この店に入ったとき、あれ?と思って。思わず話し掛けてしまいました。ごめ
んなさい。」

「いえいえ、奇遇ですね。」

「ホント。奇遇です。・・・。」

私はコーヒーをもう一杯注文し、その女性はメニューも見ずに紅茶を注文した。

その後、断続的に会話が続き、その女性も友人と待ち合わせしていて夕方まで時
間があること、東北から出て来て数カ月であること。そして、既婚者であること
を聞いた。
30分ぐらいかけて、当たり障りの無い範囲での一通りの自己紹介や、約束の時間までの暇の潰し方について話した。

「フランス橋まで散歩しますか?」

「はい。是非。」

予想を軽く超えた、好意的なトーンだった。

早速店員を呼んで、会計を済ませる。



- 私が20歳そこそこの学生の頃、夕方頃から仲間3~5人と地元の海へ向かい、遠方から泊まりがけで遊びに来ている女性達を狙って声をかけるという”アソビ”に
労力を費やした時期があった。
空振りの日は、その夜、一日の傾向と対策を話し合って、翌日に臨んだ。

ひと夏で、5組程の女性達と知り合った。純粋に女同士の旅を楽しんでいるグルー
プもあれば、我々の様な輩を目的としたグループもあった。

夜の食事に誘い出すことに成功したら、一時解散して各自帰宅。準備をして各自の車で集まる。
女性達の宿泊先の近くで食事をした後、車で30分程の海岸での花火遊びに誘う。食事中の各自の振る舞いを観察し、暗黙のうちに各自のねらいを把握、共有する。

私は、100%の確立で、自分のねらいを助手席に乗せた。

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あの頃とよく似た気持ちの高揚ぶり。


社会人になってからも、女性と知り合う機会は沢山あったが、あの頃の気持を思い出したのは初めてだった。


旧友との中華街は、どうでもよくなっていた。



そして、私の人生が軽く狂い始めたのは、ここからだった。


数年前。



軽く私の人生を狂わせる女性と出会った。



休日、高校時代からの友人と中華街で食事することになり、夕方にみなとみらい

線の出口で待ち合わせることにした。

前日、週末だというのに珍しく寄り道せずに帰宅した私は、翌朝平日と同じ時間

に目覚める。カーテンを開けて一切の混じりない青の空を見て、約束の時間まで

は半日ほどあるにも関わらず、早々に出掛けることにした。



快晴。

山下公園の海辺のベンチを陣取った。読みごたえのない雑誌に辟易した後、芝生

で走り回る子供達の屈託の無い笑い声を聞きながら、クイーンエリザベスの航路

のためにとんでもない芸術品を作ったもんだとベイブリッジを眺める。

ユルイ時間。



何にも変えがたいユルイ時間を過ごしたあと、市役所方面へ歩く。



老舗のイタリアンレストラン。

空腹では無いものの、メニューボードの魅力的な活字に誘われて店内へ。

明らかに、中途半端に形だけ西洋を模倣した雰囲気では無い。映画でしか観たこ

とがないはずなのに、何故か本物であることを確信させ、懐かしさを感じさせる

造りとレイアウト。

調度品の全てが洗練されていて、程よく使い古されている。





テーブルの6割程度がカップルや外国人、女性の団体で埋まっている。



奥の席に案内される。


一人なのに広いテーブルを占有することに対し、全くの筋違いの優越感を感じながら、メニューを開く。



何処でもいつもの通り。ビールとペペロンチーノ。




昼間からアルコールを口にすることに特別な感覚を覚えた頃が懐かしい。

今では、休日ともなると、朝目覚めてすぐに冷蔵庫の前で缶ビールを開けている始末である。




料理が運ばれてきた。


特筆すべき程ではなく、オーソドックスな美味しさ。


それがこの店に似つかわしい。全てを肯定させる空間。


とても気に入った。




・・・。


またしてもユルイ時間を過ごしていると、一人のお客が店に入ってきた。






女性一人。


30歳半ばぐらい。目鼻立ちがハッキリしていて、整った顔。


胸元の開いた、白地に紫色の柄が入ったブラウスに細身のジーパン。中背ではあるが、旧型日本人としては、トップクラスのスタイルの良さ。




私の隣のテーブルへ案内される。私同様、大きなテーブルを独占。




正直、あまり興味のないタイプだ。


スタイル良く、胸も大きい。顔も申し分ない。身近の男は何らかのアクションを起こすであろう。




ただ、どこか凛としない。内面から押し出される張りが無い。魅力を感じられない。




大きなお世話。だが、この感覚は大体において、正しい。嗅覚とでもいうのか。


興味がない女性だ。


先方も、こちらは全く眼中に無いといった感じ。


お互い様だ。






ふと我に返り、携帯電話の時計に目をやると、約束の時間まであと2時間ほど。


以前、雑誌か何かを読んで初めて名称を知った”フランス橋”という人道橋を渡り、港の見える丘公園を往復すればちょうどよい頃だろうか。






食後のコーヒーを飲み干し、店を出る準備をしていたら、隣のテーブルに座っている例の女性から、意外なアプローチ。




「お一人ですか?」

改札の外は小雨。

背後に重い影を引きずりながら、いつもより早足で改札を抜ける。



週明けということもあり、終電間際の乗客は少ない。

家まで10分。暗く静かな並木道。今日は途方も無い距離に感じる。



駅を出て5分。相変わらず、背後に気配がある。ヒールの音。

淡い期待が薄れ、嫌な予感の濃度が高まる。

心当たり?

女装した屈強な男に追けられる心当たりは無い。



街灯で照らし出される小雨が、アスファルトの鈍い暗さと対照的に、異様に繊細に見える。

神経が敏感になり、視覚が研ぎ澄まされているのか、目に入るもの全てが超現実的に映る。



背後の気配は、一定の距離を保ったまま。



駅を出て街のメイン通りを真っ直ぐ。ここまでは、同じルートでも珍しくはない。

次の交差点。点滅信号を左に曲がれば自宅まで1分かからない。

交差点で曲がれば、同じルートの可能性は低い。



交差点に差し掛かる。

思わず小走りになってしまった。

背後の歩調も速くなる。一気に距離が縮まる。

半ば諦めた気持ちで振り返りながら、身構える。武道の心得が無いわけではない。





電車の中で目が合った女性(?)では無かった。

30代後半とみられる質素な感じの女性が、交差点を曲がらず真っ直ぐに小走りで過ぎ去って行った。



安堵感と共に、自分の小心ぶりに情けなくなる。





だが、例の女性(?)とは、後日再び遭遇することになる・・・。