日本の緊急事態宣言は、ようやく来週の月曜日には全国的に解除される可能性が出てきました。日本は、新型コロナウイルスによる死亡者数が、人口百万人当たりで6人で、この数字はアメリカの50分の1、イギリスやスペインの約100分の1、ドイツと比べても15分の1以下です。

 

 日本は検査数が少ないからだとか、新型コロナウイルス以外の死因に整理されているのではないか、と云う人もいますが、あらゆる死因による死亡者数で見て、生命保険会社に聞いてみると、この1月から4月の期間で、昨年同月比で減っています。即ち、いわゆる超過死亡者数がマイナスなのです。ご存知のように、欧米に於いては、同時期の昨年比超過死亡者数はかなりの数字になっています。ですから、検査数がどうであろうと、日本に於ける新型コロナウイルス起因の死亡者数は、医療崩壊などを通じて発生する間接死亡者数を含めても、極めて少なく、欧米の状況とは比べものにならないのです。

 

英字メディアは、奇妙な成功などと書いたり、或いは奇妙で解明しにくいがいずれ日本の間違いを書きたい、などと云っていますが、はろ~、それはお門違いではありませんか?英字メディアに限らず、日本のメディアも、いやそれ以上に日本政府も、このことはあまり説明しません。私はアメリカやヨーロッパの人と電話やZoomで話すことが、今もほぼ毎日のようにありますが、一々上記のことを説明し、その度に「おぉー、そうなのか。知らなかった。さすが日本だね。」と云われます。

 

 なんでもっと日本政府はこのことを説明しないのでしょうか?国民の気が緩むから?ならば英語での対外説明だけでもいいです。アメリカ、中国には政府の報道官がいますが、日本もこの二国に続く世界的大国です。英語を話す専門職の政府報道官を、置いた方が国益のためではないでしょうか?

 今日は一日中座りっぱなしで、ずっとビデオ会議ばかりしてました。今回の緊急事態宣言期間中も、なるべく体を動かすようにして、座りっぱなしにならないように気を付けてきたのですが、この終盤に来て初めて、終日座りっぱなしとなってしまいました。イカンですね。しかも窓の外はスーパー曇天。今宵はほぼ新月(未満ですけど)、そんな時間帯なのかも知れません。

 

 この期間中、皆さんは健康管理はいかがされていますか?私は、三密を避けつつ、なるべく歩くようにして、週末も人の居ないところを散歩するなどして、一定量の運動を維持するように心掛けてきました。取材を受けたり、大勢の前で話したりすることがほぼなくなり、腹に気合いを入れて話す、と云う案外気力と体力を使う活動が激減したために、緊急事態宣言が出た当初は、一気にエネルギー放出量不足のようになってしまい、代謝を健康維持システムの基本としている私にとっては個人的緊急事態と云うことで、あの手この手で代謝を維持してきたのです。が、今日は止まってしまいました。まぁそんな日もあるかな。

 

 座って仕事をし続けるためのグッズなるものがあります。その名はMAMO。マモちゃんですね。これがやたら可愛い。何やら親友の名前と同じで、そこはかとなく雰囲気も一緒で。たまには彼と仲良くするのもいいか。そんなちょっと変わった一日でした。

 過去とはなんでしょう?フランスの哲学者アランは、「過去にも未来にも苦しむ必要はない。過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから。」と書きました。私が愛して止まない寺山修司は「作りかえのきかない過去なんかない」と云いました。二人ともとても優しいです。

 

 一方政治家或いはデマゴーグは、過去の痛みに大きなフォーカスを当てて、人のネガティブな感情を刺激し、利用します。優しくないですね。私は甘ちゃんではありませんが、優しくありたいと思っています。

 

 なべて、人のネガティブな感情を利用するのは、これは政治家に限った話ではなく、一部宗教とか、色々なところに存在するのですが、私は嫌いです。もちろん政治家の中にも温かい心をお持ちの立派なリーダーの方も大勢いらっしゃいますし、或いはいらっしゃいましたし、宗教も多くはとても優しいものです。

 

 ニーチェは「自分を尊敬せよ」と云いました。私はやはり、過去とかデマ情報とか不安の反響などに惑わされずに、合理的に自立する生き方をしていきたいと思います。

 

 外為法が改正されて、外国人投資家による投資に一定の制限が課せられる上場会社のリストも公表されました。外国人投資家による事前届出を要しない業種1698社、コア業種を除く指定業種1584社、そして指定業種のうち武器・原子力等のコア業種518社です。その具体的な内容を見ると、住宅デベロッパーやデリバリーサービスをする会社がコア業種リストに入っていたり、或いは同じメガバンクグループでも或る一社だけコア業種に入っていなかったり、はてなが満載です。はてなはしかし、安全保障等に関わるという理由で、何故そうなるかについての説明は、当該企業からも政府からもされないのでしょうか?安全保障は国家にとって極めて重要ですが、同時に、上場市場のルールと公平性、透明性を保つこと、それに例外を作る場合にはきちんとした説明がされることも、とても大切です。あらゆる投資家の皆さんをお客さまとして真剣に向かい合っている証券会社として、このことについては当事者意識を持って、改善に向けて意見を云っていきたいと思います。

 

 新しい週が始まりました。アフターコロナの時代では曜日感覚が希薄になりがちで、かつては月曜日だけは歴然と起立する曜日だったのですが、その月曜日でさえ、個性が落ちてしまいました。でも今日は月曜日です。

 

 日本に於ける新型コロナウイルス問題は、収束に向かっているように感じますが、萎縮した気持ちをどう拡げていくかは、中々難しい問題です。拡げるのも難しいですが、一気に拡げ過ぎるのも良くないかも知れないので、そのペースや形態の話は置いておくとして、私が気になるのは新しい出会いや刺激というものを、今後どのように獲得していくのか、ということです。

 

 新しい出会いや刺激が少ないリモートワークも、働き方を効率化していくことで、あたかも機械学習のように、進歩を続けることは可能だと思うのです。しかしやはり新しい出会いや刺激がないと、突然変異的変化は起きにくく、進化はしにくいのではないか、と思うのです。学習・進歩には限界がないとする一派と、混沌の中に生まれる突然変異からの進化の幅は進歩の幅を大きく超えるのだとする一派は、全く違う宗教のようなもので、相容れない部分が大きいと感じています。

 

 どんな人も双方が入り混ざっていて、片方のみ信奉!という人は、機械学習を本職としている方のうちの一部にいらっしゃるかも知れませんが、基本は混ざっています。私も混ざっているのですが、普段の生活は進歩が基本、しかし重要な成長はやはり進化だ!と思っている輩なので、新しい出会い・刺激は、とってもとっても大切なのです。

 

 日々の仕事は、営業を含めてもバーチャル・ミーティングで問題なく実行しているのですが、これらは全て今までの人間関係の蓄積があるのでその上に構築可能なので、新しい価値を生んでるようで、やはり限定的です。この部分、アフターコロナではどうするのでしょう?私だけの問題ではありません。社会の問題です。

 

 ま、しかし、大昔はペンフレンドとかあったしなぁ。どんな時にも、気持ちさえあれば方法はあると云うことでしょうか。新しい刺激に対する思いを、強く持って行きたいと思います。

 多感な頃を過ぎても、多感な頃の雰囲気は覚えています。でもそれは、目をつぶれば簡単に思い出せる訳ではなく、その頃に読んだ文章(詩とか随筆とか小説とか)を読むと、ふわぁーっと一気に甦ってくるのです。目をつぶっても或る程度は思い出します、黒白写真のように。しかし文章を読むと、色が付き、更に場合によってはあたかも匂いまでするようです。

 

 「多感な頃を過ぎても」と書き出しましたが、今でも感受性は思いっ切り十分にあると感じています。でも「多感な頃」は、辛い気持ちや悲しい気持ちを感じていたのですが、今は楽しい気持ちや幸せな気持ちを感じることが上手になり、明らかにその比率のバランスが、大きく変わったことに気付きます。「多感」とは、あやふやな概念ですね。

 

 それでもなお、本の中に昔の自分を垣間見るのは、懐かしいというか、これもまた極めてあやふやな表現ですが「甘酸っぱい」ような感覚を覚えます。ふーむ。感情とはなべてあやふやというかテキトーなものですね。今日はあやふやな話しで失礼しました!

 外出自粛の中で、体重が激減するワンちゃんがいるとのこと。え?なんで?どうやら子供もずっと家にいるので嬉しくて一日中遊んでいて、睡眠時間も短くなり、一方でエサの量は変わらなくて、単純にエネルギーの摂取量と消費量が大幅に逆転し、それで体重が大きく減るケースがあるようです。なるほど。それは盲点です。犬はちゃんと喋れないからなぁ。エディ・マーフィーのドリトル先生でも呼んで、何を云いたいのかを聞けるといいのですが。

 

 翻って考えるに、声を発せられない主体の声をしっかりと聞く努力をし、その声を想像することは、常に私たちの大きな責任です。またこの問題に帰結してしまい申し訳ないのですが、財源なき大盤振る舞いは、声を発しない未来の納税者に全てを背負わせることになるので、私たちは真剣にそれでいいのかを想像しなければいけないと思います。大盤振る舞いが悪いのではないのです。今はそれが必要です。しかし同時に、その財源をどうするかを、私たちは考えるべきだと思います。

 

 以前にこのつぶやきに書いたコロナ債のアイデアは、それを解決出来るひとつの方法だと思います。

 新型コロナウイルスに絡む補償。政府与党は初めのうちは「簡単には払えないんです」的な、悪く云えばケチな、良く云えば規律のある姿勢を見せていましたが、今となっては与党も野党もバンバンバンバン大盤振る舞い、いくらでも払うと云う感じです。しかし財源の話はほとんど聞こえてきません。

 

 国会はお金の使い方、どれだけ使うかを議論していますが、そのお金を誰からどう調達するかの議論をしていません。私たちに対する増税か、将来の世代に借金をより多く背負わせる他に、即ち将来世代に対する増税か、どちらかしか方法はないにも拘わらず、そのことについては一切議論がされていません。国会のこの姿勢は、あまりにも無責任ではないでしょうか。そしてそのことを私たちは、マスコミも含めて、もっともっと追究すべきではないでしょうか?

 

 新型コロナウイルス問題は、幸いにも収束していく雰囲気ですが、そのあとに巨大な問題が残る気がして、暗い気持ちになるのは私だけでしょうか?

 今全く投資ポジションがないとしたら、何を買いますか?との質問を受けました。で、咄嗟に答えたのが以下の内容です。私だったら、ゴールドとビットコインと、やはり米国株を買うのではないか、と。

 新型コロナウイルス問題への対応で、世界中の中央銀行がお金を刷っている=流動性を供給している。その規模と速さたるやGFC(リーマンショック)時の比ではない。これだけ大規模金融緩和が行われれば、どうしても資産インフレが起きる。金融緩和によって中央銀行のバランスシートが膨張する時、特にFED(米中央銀行)のバランスシートが膨張する時は、資産インフレが起きると共に、法定通貨に対する信認が落ちて、ゴールドが買われる。これは今までに何度も見てきたこと。それが今回も起きている。そして現代は、デジタルゴールドとも云えるビットコインにも資金は流れるだろう

 同時に、戦後最大、GFC時の規模を遙かに超えた流動性供給が行われる中、ゴールドとビットコインだけでは受け皿として小さ過ぎて、やはり余ったお金は企業のキャピタルストラクチャーの一番底に溜まる。企業を潰さないために供給されたお金は、先ずは給料の支払いに使われ、借金の支払いに使われ、運営費に使われ、救済する時の鉄則である余るまでのお金を供給した最後は(火事を消す時には消防車をありったけ出して水を撒くのに似ています)、キャピタルストラクチャーの一番底である資本の部に余ったお金が溜まる(消防現場が消火水浸しになるのに似ています)訳です。資本の部にお金が溜まるとは即ち、株価が上がるのです。

 今回も、史上最大の流動性供給が行われていますから、しかもアメリカのそれが桁違いですから、アメリカの企業の株価はいずれ上がるでしょう。テスラやネットフリックスやギリアドを買わなくても、インデックスでも上がると思います。なので、ゴールドとビットコインと米株インデックスを買うかなと、そう答えました。

 但し、世界の中央銀行の中で、FEDのバランスシートの拡大があまりにも突出しているので、要はドルをあまりにも多く刷っているので、ドルが安くなるリスクがある。そうするとゴールドよりビットコインかなぁ。あと米株インデックスを買うにしても、為替のリスクを少しでもヘッジする方法を考えるかな。とまぁそんなことも付け足しました。

 今は、もしかしたら戦後最大の投資のチャンスがあるかも知れません。丁寧に分析して、皆さんにご案内していきたいと思います。

 東京は一気に夏が近付いてきた感じがします。もちろんこれから梅雨が間に入ったり、天候は様々な変化をすると思うのですが、「春」はもう終わったのかなぁ、という気がします。ツツジの花は既にほとんど枯れていますし、藤の花もほとんど見ないうちにもう終わりつつあります。明らかに気温も湿気も上がってきていて、肌がちょっと汗ばむようになって来ました。Spring has come and gone という感じです。

 

 春という季節は、知らずに来て、しっかりと感じる前に行ってしまいます。特に今年は新型コロナウイルス感染予防のための様々な制限要請から、春を感じる機会も少なく、噛みしめる間もないまま、あっという間に過ぎてしまいました。残念です。春に着たいと思って買っていた服もいくつか着そびれました。春の味覚も大幅に逃したなぁ。

 

 当たり前のことが当たり前でなくなると知る、当たり前のことのありがたさ。これから来る季節、願わくは比較的早期に再開する友人・社員・家族との交流、それらをぼーっと逃さないで、ひとつひとつ大切にしていきたいと、そう思う今日この頃です。