都内の花菖蒲見頃2選

久しぶりの投稿で、戸惑いながら作っています。

さて、今回は都内の花菖蒲を巡るウォーキングに出かけました。

出かけた先は、江戸城と小石川後楽園です。いずれも花菖蒲が見頃でとても良い半日遠足が叶いました。

まずは江戸城。東京駅から出発です。

 

丸の内仲通りを抜けて、江戸城(皇居)に向かいます。

 

外国からの観光客が随分と来ていました。これまでは中国人が一番多かったのですが、今はアメリカからの観光客が一番多いようです。

 

江戸城に入るには、東京駅からだと大手門が一番近いです。手荷物検査に無事パスをして早速入城です。

 

折角なので、久しぶりの江戸城内を巡ります。

 

皇居東御苑に菖蒲園があります。江戸城の菖蒲園の良さは何しろ、土日でも、特別の混みがないこと。ゆっくりと花菖蒲を楽しむことができます。

 

最近のスマホの画質の良さにビックリ。

 

次は、小石川後楽園です。入口にびいどろ茶寮という歴史的建物の食事処があります。

 

風情ある歴史建物なので庭園を眺めながら食事を楽しむことができます。

 

小石川後楽園は、都内で一番古い日本庭園です。

 

後楽園の花菖蒲も満開でした。

 

今回は試しにYouTube動画を作りましたので良かったらご覧ください。

 

 

日本橋「福徳神社」は宝くじ運アップのパワースポット

 日本橋「福徳神社」は、"宝くじ"を当てたい、"推しのライブのチケット"が欲しいを叶えるパワースポットとして人気の神社。

 周辺には「コレド室町」やカフェ、人気レストランが建ち並んでいて、散歩するのも楽しい場所です。

 散歩がてら、この辺りの梅の咲き具合もチェックしてみましょう。

 

 日本橋「福徳神社」の歴史は古く、貞観年間(859〜876年)にはこの地に鎮座していたようです。

 江戸時代には幕府公認の「宝くじ」を発行する神社の一つで、金運のパワースポットにもなっています。

 

 神社の境内には梅が少し咲いていましたが、蕾がほとんどで、満開は今週末かもしれませんね。

「薬祖神社」には薬の神様が祀られています

 福徳神社の奥には「薬祖(やくそ)神社」があります。薬の神様が祀られていて、「無病健康」「病気平癒」にご利益があるそうです。

 この日本橋本町の辺りには江戸時代から薬に関する商人が多く住んでいることから「薬の町」と呼ばれてきました。

 日本橋には今でも「アステラス製薬株式会社」や「第一三共株式会社」などがあります。

 大阪にも薬のまち「道修町」に「少彦名神社」があります。「神農さん」の愛称で親しまれていて、日本医薬総鎮守として信仰されています。

 薬祖神社の囲いを見ると、「株式会社ツムラ」「東邦薬品株式会社」「エーザイ株式会社」「浅田飴」「龍角散」の文字が見られます。

 

 「コレド室町」の中通りでは「old new market」なるものが開催されていました。

器(うつわ)や装飾品の制作者がそれぞれの作品を売っていました。

「おかめ桜」がほぼ満開

 日本橋の裏通りに行くと、濃いピンクの桜がほぼ満開でした。調べてみると「オカメザクラ」だそうです。カンザクラとマメザクラを交配してイギリスで作られた品種で、花が下向きにつくのが特徴です。

 樹高は成長しても3メートル程度だそうですから、毎年こうした風景が見られるということですね。

 

「STARBUCKS」を背景に撮ると、映えますね。

松尾芭蕉が8年間住んでいたところ

 路地を進むと、何やら「石碑」がありました。

「発句也 松尾桃青 宿の春 (ほっくなり まつおとうせい やどのはる)」と刻まれています。

 1年の初めは歌仙(いわゆる連句)に例えれば、発句(最初の句)。今、私の草庵にも春が来た。この正月は私の俳諧人生の発句ともいうべき。迎春の心意気を高らかに読み上げた、とされています。

 

 説明板によると、松尾芭蕉は1672年、29歳の時に故郷の伊賀上野から江戸に出てきました。そしてそれ以降1680年、37歳までの8年間、このあたりに住んでいたようです。

KITTE丸の内「回転寿司根室花まる」

 今日は、妻がご馳走してくれるということなので、KITTE丸の内にある「回転寿司根室花まる」に来ました。

 KITTE丸の内は、昭和6年に竣工した旧東京中央郵便局の旧舎があったところですが、今は東京駅前のランドマーク的な賑わいのある場所となっています。

 

 「根室花まる」は人気店なので、結構待ちます。整理券をもらい、KITTE丸の内の中をぶらぶらします。

 4階には旧東京中央郵便局の郵便局調室を当時の状態に復元した部屋があります。

 

 6階には屋上庭園があって、東京駅の景観を楽しむことができます。翌日(3月5日)には「東京マラソン2023」があるので、この辺りも会場づくりが行われていました。

 

 漸く、順番が来ました。特にホタテと本マグロ赤身が美味しかったですね。

ご馳走様でした。💕

 

羽田エアポートガーデンがオープン

2023年1月23日、コロナの影響で延期されていた羽田エアポートガーデンが開業しました。

この羽田エアポートガーデンは、第3ターミナル(国際線)に直結していて、商業施設、ホテル、バスターミナル、天然温泉などが入っているところが見どころです。

家が近いということもあって、ちょっと覗いてきました。

 

コロナの影響で、私自身も飛行機の旅は、2年前の北海道函館に行ったとき以来です。海外なんて、いつ以来だろう。

羽田エアポートガーデンのオープンに併せてつくられた駐車場に車を停めて、こちらから入ります。

 

建物に入ると、いきなり吹き抜けの空間が目の前に広がります。1階はレストラン街で2階はショッピング街という感じです。オープンから間もない日曜日の割には人がまばらですね。

この商業施設は主に外国からの観光客をターゲットにしているので、コロナの影響が続いている日本の現状ということでしょうか。

 

フロアーの案内は下で。

 

 

こちらは、「しゃぶしゃぶ但馬屋」。極上の神戸牛を食べさせるお店です。ランチメニューを見ると、国産豚(1,780円)、国産牛(2,980円)、和牛(4,980円)。

神戸牛食べ放題コースは、90分で特選神戸牛コース8,800円、神戸牛コース5,800円でした。美味しそうですね。

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高級感のある飲食店だけが入っていると思っていたら、親近感がある「カレー屋」さんの看板もあって、ちょっと嬉しい。

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2階のショッピング街です。総理だった安倍さんがオバマ大統領来日の時にプレゼントしたことで有名になった「獺祭」の日本酒のお店もありました。

 

その日本酒の四合瓶を和紙で作った着物で包んだお土産品が売っていました。綺麗ですね。でも、お値段もそれなりでした。

 

2階のショッピング街はあまり興味がなかったのでスルー。

この通路は、第3ターミナルに続いています。通路の左側には、包丁や器、和菓子など「和」を感じさせる店舗が並んでいます。

 

第3ターミナルに入りました。到着ロビーです。ここは京急線の改札口です。現在、羽田の鉄道アクセスは、京急と東京モノレールになっています。京急は、横浜駅や品川駅には直結、東京モノレールはJR浜松町駅まで行っていますが、いずれも東京駅、新宿駅などには乗り換えが必要ですよね。

 

そこで、JR東日本では「羽田空港アクセス線」を開業して、東京駅、渋谷駅に直接乗り入れようと計画しているようです。

計画では、東京駅まで18分でつなぐようです。もちろん、京急も手をこまねいているわけにはいかないので、東急と新たな路線開拓を考えているみたいです。すごく便利になりそう!

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また、羽田エアポートガーデンには高速バスターミナルが併設されていて、関東圏内の所要都市以外に、仙台や甲府、富士山まで結ばれています。

 

せっかくなので、夕焼けに染まった羽田の国際線を眺めます。ここには結構、見学する人がいました。やはり、出掛けたいのですよね、外国に、本当は。でも、円安の影響もありますし、まだまだ空港運賃が高いですからね。

 

暫し、眺めます。

 

今日は、ここで夕食にしましょう! という妻の一言で、1階の唯一庶民的なフードコートに直行。ハンバーグ定食をいただくことに。

 

とりあえず、ビール。

 

これで十分です。美味しくいただきました。

 

よろしければ動画もご覧ください。古いスマホで撮影しているので画像はイマイチ。

 

築地本願寺カフェでランチ

先週の日曜日、中央区築地にある「築地本願寺」に行ってきました。目的は、初詣を兼ねて、「築地本願寺カフェ」のランチです。本当は、大人気の「18品の朝ごはん」を食べたかったのですが、午前10時30分までのメニューだったので、次回に持ち越しです。午前11時、「築地本願寺」に到着です。

 

ここで、「築地本願寺」について簡単にご紹介します。

築地本願寺は、京都の西本願寺の別院として元和3年(1617年)に浅草横山町に建設されますが、明暦の大火で焼失。その後、海を埋め立て、延宝7年(1679年)、現在の場所に再建されます。「築地」の地名は海を埋め立て築いた土地ということから付けられています。

 

 

お詣りをして、早速少し早いランチです。

もうすでに「築地本願寺カフェ」は満席状態。カフェ入口で順番待ちになるのですが、カフェ横にある「築地本願寺オフィシャルショップ」でオリジナルグッズを見ていると時間を持て余すことはありません。

ちなみに、オフィシャルショップの店内には仏教関連の書籍や国内の伝統工芸品、和菓子、トートバックとセンスの良い品物が並んでいます。奥さんが今年の干支のウサギの置物を購入していました。

 

10分ほどでカフェの席に案内されます。注文はテーブルに立てかけられた、このQRコードから選択します。

 

早速、スマホでQRコードを読み込んでメニューを開きます。スマホを持っていることが前提のサービスなんですね。進んでいますね。でも、お年寄りとかにはどうなのかしらと思ったりもします。下のメニューから定食を選びます。

 

 

私は、鳥の唐揚げ定食(1,200円)に、奥さんは和風ハンバーグ定食(1,300円)を選択。とても美味しかったですよ。

 

 
今回は、動画も撮影していたので、カフェの様子があまり撮れませんでした。
そこで、よろしければ動画(1分32秒)の方でご覧下さい。(限定公開中です)

 

築地本願寺の境内に「土生玄碩墓」

築地本願寺の境内に「土生玄碩のお墓」があります。土生玄碩は吉村昭の記録小説「日本医家伝」でも題材にされているので知っていました。

玄碩は、家業を継いで眼科治療法について研究を続け、後に広島藩医となります。その後、徳川将軍家斉の謁見を受け、奥医師を拝命するまで上り詰めます。優秀で、真面目だったのでしょう。

文政9年、玄碩65歳の時、長崎のオランダ商館の医官シーボルトが商館長の随行として江戸にきていました。

玄碩はその席でシーボルトに瞳孔を開く薬の成分を聞くと、「貴方の持つ葵の紋服が欲しい」と交換条件を出されます。その紋服は将軍家拝領のもので、無論外人に渡すことは固く禁じられていた。が、玄碩は治療に役立つものを得たい一心で紋服を贈り、その薬の作製法を入手するのです。

しかし、三年後、シーボルト事件が起こり、その荷のなかに青いの紋服が発見されて、玄碩は捕らえらるのです。

息子の玄昌も職を奪われ、拝領地、住居地、私有地など家財のことごとくを没収され、深川の木場で淋しい蟄居生活を送ります。

漸く、玄碩が家族との交流を許されたのは82歳の時でしたが、掟にしたがつて医業に携わることは厳禁されていました。

土生玄碩が死亡したのは嘉永元年8月17日、行年87歳でした。そして、最期の地、深川に近いこの築地本願寺に埋葬されたのだそうです。

 

浅草かっぱ橋道具街

奥さんのリクエストで「浅草かっぱ橋」に車で移動しました。流石に、正月というといつもそうなんですが、浅草界隈は車の駐車に困るんです。この日も何回もこの通りを往復することに。こういう時は電車に限りますね。
 

 

約1キロにわたって、調理道具のお店が並んでいます。問屋街なので、当たり前ですが

品数が豊富で目移りしてしまいます。外人観光客も結構いました。

 

 

奥さんは、この店で気に入った皿類をいくつか購入していました。

 

 

このお店は「刷毛」の専門店のようです。

 

 

食器類は手頃な値段なので、ついつい手が出ます。

 

 

私は、このお店で、突起がついているゴム手袋を買いました。ジャガイモや魚のウロコをゴシゴシして、剥けるという優れものらしいのです。

 

 

浅草に東本願寺がありました。

かっぱ橋道具街の近くに東本願寺があります。

先ほど、ランチをした築地本願寺や京都の東本願寺とどのような関係にあるのか、気になったのでインターネットで調べてみました。ウィキペディアなどによりますと、次のように書いてありました。

開創は慶安4年(1657年)に京都の東本願寺の別院として神田に建立されたのですが、明暦の大火で焼失し、浅草に移転し、「浅草本願寺」と称されるようになったそうです。その後、京都の東本願寺が本山の真宗大谷派から独立し、東本願寺派の本山となっているそうです。

 

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明治元年(1868年)には、上野寛永寺に蟄居していた徳川慶喜を擁護するため、旧幕臣らによる「彰義隊」が結成されますが、その拠点になったそうです。本堂は、鉄筋コンクリート造り。

 

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山門の横に建てられたスチールの案内板を読むと、江戸時代に友好国として対等な関係を持っていた朝鮮から「朝鮮通信使」が来ていましたが、浅草本願寺は朝鮮通信使が江戸に来訪した際の宿館だったと記されていました。

 

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ここも奥さんのリクエストで、帰りがけに、浅草で有名らしい「永久堂」で「ソフトbateer」を購入しました。早速、運転席で食べてみましたが、なるほど美味しいお菓子でした。

 

 

こちらが「ソフトbutter」。

 

 
ということで、何気ない日曜日のゆるいドライブの様子でした。

 

朝ドラ「ちむどんどん」の舞台、鶴見潮田を歩く

 昨年、ハマったドラマといえば、NHK大河ドラマの「鎌倉殿の13人」、そして、昨年12月に最終回を迎えたフジテレビ木曜10時の「silent」、我が家のご近所の横浜鶴見が舞台のNHK朝ドラ「ちむどんどん」でした。皆さんはご覧になりましたか?

 

 今日は、「ちむどんどん」の舞台となった鶴見潮田界隈に初詣を兼ねて歩いたので久しぶりに記事にしました。今回の写真はスマホです。

 

 

 「ちむどんどん」を観ていない方もいるので、簡単にあらすじを言いますと、昨年、本土復帰50年を迎えた沖縄にスポットを当てて、ふるさと沖縄の料理に夢をかけたヒロインと、支え合う兄弟たちの50年の歩みを見つめる家族の物語なんですが、そのヒロインが住んでいたのが、沖縄の人たちが集住している「鶴見潮田」というセッティングなのです。でも、ドラマの舞台であって、実際にロケが行われた場所はそんなににはなくて、大抵はスタジオのセットでしたね。

 

 今回ご紹介する場所は、自宅から3キロほど離れた「潮田神社」「東漸寺」「仲通商店街」です。

最初に向かったのは、初詣ということで「潮田神社」。この神社は大正9年にできた神社で、昔からある御嶽社と杉山社が合併してできた経過があリます。

 大正時代というのも、京浜工業地帯の生みの親でもある浅野総一郎が渋沢栄一らの支援を受けて大正2年から潮田の先にある遠浅の海を埋め立て、京浜工業地帯を形成させていったことにもつながっているのです。というわけで、大正から昭和にかけて、沖縄も含め日本全国から労働力として多くの人がこの地に移住してきたのです。当時、町は潤い、活気に満ち溢れていたことでしょう。

 

 

 町の発展とともに、その中心にある潮田神社は、誕生のときから地域に根差し、現在まで地域の人々に愛され続けているのです。

 

 

 次に向かったのが、真言宗智山派の「東漸寺」です。開基は寛治元年(1087年)と歴史があります。

 

 

 お寺の境内に入ると正面に「故大川常吉氏之碑」があります。

この碑は、震災直後の混乱していた時期にデマによる朝鮮人の虐殺が各地で起こりましたが、当時、鶴見警察署長だった大川常吉氏が労働者として地域で働いていた朝鮮人ら300人を命懸けで守ったことから建てられたものです。

 

 

 この東漸寺から200メートルほどのところに「鶴見沖縄県人会会館」があります。この辺りは沖縄から移住してきた人々が集住しているところで、「リトル沖縄」と称されています。会館の1階には「おきなわ物産センター」や沖縄料理のお店が入っています。周りにも沖縄の郷土料理のお店が点在しています。

 流石に、お正月はお休みでした。「ちむどんどん」の人気もあって、遠くから来訪される人が多かったそうです。この時も訪れた方をこの女性が案内されていました。朝ドラの影響は大きいですね。

 

 

 どんなところなのか、この写真ではわからないので、昨年の夏に行った時の写真を掲載しました。こんな感じです。

 

 

 右側が物産センターで、左側に沖縄そばのお店があります。そして、通路の奥にも沖縄の飲食店が並んでいます。

 

 おきなわ物産センターに入ると、沖縄の食料品や飲み物で溢れています。正面には泡盛がたくさん並んでいます。

 

 

 こちらは沖縄の飲料水やオリオンビール。

 

 

 沖縄物産センターの近くに沖縄そば「ヤージ小」があります。ここは、普段並ばないと入れないお店です。とても美味しい「沖縄そば」が食べられます。

 

 仲通り商店街には、沖縄そば屋と同様に、ブラジルやペルー料理店が並んでいます。

 かつて沖縄から南米に移住した方が多くいましたが、1990年以降、その子孫が日系移民2世・3世として日本に労働者として来日してきます。その際に身寄りのある鶴見潮田に生活の場を求めた方が多く、自然にこの界隈に南米系のお店が増えていきました。

 

 

 この鶴見潮田を舞台にしている映画が昨年から作られています。B級映画なんですが、1作目が「だからよ〜鶴見」で、今、ロケ中なのが2作目の「なんでかね〜鶴見」です。いずれもお笑いコンビのカレッジセールの川田広樹さんが出演していて、ロケも全て鶴見なんです。

 地域の人も資金援助していて、先日はエキストラも募集していました。とても地元密着型の映画なんです。今年いよいよ公開です。機会がありましたら、是非ご覧ください。この映画ポスターは前回のもの。