他人からしたらどうでもいい事が

私にはいつも引っかかってしまう

悪気無く言った言葉が

揶揄う何気ないセリフが

私のコンプレックスとして 長く心に居座ることになる

 

その一つに文字を読むことのコンプレックスがある

 

受験で根詰めし過ぎた弊害か、はたまた元よりこうだったのか

気が付いた時には人一倍文章を読むのが遅くなっていた

頑張れば人並より少し劣るぐらいの速度で読むことは出来る

しかし、それはしっかりと文章を理解するまでに至らない

 

その事に気付いてからは、

また、ちゃんと人付き合いを意識するようになってからは

読書をすることがとても億劫になってしまった

人より読むのが遅い事が酷く気がかりで自由に読めなくなってしまった

 

悲しきかなそれでも本自体は大好きなのだ

誰かの考えに触れたり、知らない世界に旅立てる本は

私には想像もつかないような事象に満ちていて、とても魅力的だ

しかし、どうしたって一冊読み切る事に一苦労要する

気軽に手に取って読んでいた過去の自分が羨ましい

 

良くも悪くもそれが人付き合いに気に掛ける事なのだとしたら

いっそのこと一人で生きていけばよかったとも後悔してしまう

 

どうしたらかつてのように、気軽に楽しく読書が出来るのか

今はまだ思索している

 

お久しぶりなので似た記事を書いたかもしれないことご了承ください。

 

 

私の身の周りは優しい人ばかり

 

優しくて私を信じる人ばかり

 

私は私の事が信じられないのに

 

私を信じる人ばかり

 

それが薄気味悪くて

 

それが居たたまれなくて、逃げ出したくなる

 

それが心苦しくて、いっそ嫌われたくなる

 

皆みんな私に裏切られて

 

私に期待はずれな事をされて

 

”見損なった” ”そんな人だったんだ” ”なんて忌々しい”

 

そう言って貶してほしい

 

見下して、蔑んで

 

そうしたら私は居心地がいいの

 

私はその方が私でいられる気がするの

 

高望みでごめんなさい

 

どうかこんなわたしを許して

今回は趣向が少し違います。

 

少しばかり趣味に走るので私の思っているここの使い道とはズレるのですが、思考整理だったり、自身の考えについての事なのでまあよしとしましょう。

 

今回は曲の解釈をちょっとだけ書きます。

先日公開された、いよわさんの「アプリコット」という曲について。

解釈は聞けば聞くほど深まると思いますし、人それぞれあるので、あくまでも個人的に気づいた部分のみ書きます。

まだ公開されて数時間程度の楽曲ですので、後々気づくこともあるでしょう。

気づき次第この記事に追加していく方式で書きます。

 

曲をまだ聞いていない人はぜひ聞いて一度自分の世界を持ってから見ることをお勧めします。

他人の解釈を知るとそれ以外の見え方が出来なくなる恐れがありますので。

 

リンクはこちらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいですね?

では解釈に移ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曲の大まかな解釈

 

全体的にどんな話か言うと、「子供で在りたかった少女の成長」ではないかと思います。

 

きらきらとなんでも楽しく可愛くいられた少女時代が終わり、大人になって現実と向き合わねばならない自分を、未だに受け入れ切れていない。

そんな、いわばアダルトチルドレンのような大人になり切れず、子供であろうと縋りつく。

そんな印象がこの曲です。

 

 

少女の成長描写

 

この少女は4回に経て成長していく描写があります。

 

00:00~はまだ小学生くらいでしょうか。幼くて一番表情が柔らかいのです。

 

1:27~は少し成長します。鏡を持つ手とリボンの映り具合と髪の長さの違いを見てもらえると分かりやすいのですが、持つ手は大きく、リボンの角度は下向き(つまり少女の身長が大きくなっているのです)、髪の長さは少し伸びて鏡から垂れ下がっています。

そしてここの歌詞は「小さくなった公園へ」から始まります。

つまり、この歌詞は”自身が大きくなったことで公園が前より小さく見える”という意味の歌詞だと言えます。

 

その後、1:42~にはもう、また成長しています。髪は伸び、顔立ちも始めより大人びました。

ここにきて少女は「大人になるだけの日が(このまま)来るでしょう」と悟ります。未来への希望や夢に満ち満ちた毎日が輝かしく美しい日々はもう一生訪れず、容姿もこのままあとは老けていくだけ。その事に絶望したのでしょう。

大人は大人なりの楽しさや希望があると、どうしても前向きにはなれなかったのでしょう。そこが彼女の未熟さだったかもしれません。

 

次に出てくるのが2:22~です。2:06~で鏡を割る前までは二つ縛りなのが、2:22~は手で隠れて見えないようにしていますが、一つに纏めています。

二つ縛りは幼い印象を与えやすい髪型です。それを一つに纏めることで一人の女性になった少女を表していると考えられます。

また、それを手で隠しているのも、顔を少し覆っているのも、自身を受け入れたくないがためだと考えます。目つきもすこし険しいですね。

 

2:50にはもう鏡は割られてしまいます。幼少期から大事にしていた鏡です。「ごめんねとは言わないで」とは割ったことを悪く思わないでくれという意味でしょうか。

ここまで曲を聴きながら書いて気づいたのが、恐らく彼女が受け入れられないのは成長した自身の顔なのではないかと思います。宝箱にいつも詰めていたのはこの鏡でしょう。

 

最後、幼少期の自分が「大好きとは言えないわ」と言います。

昔の自分の顔は大好きだったんでしょう。あるいは子役タレントだったりしたのかもしれません。

かわいらしさがなくなってしまって誰からも、自分からも好かれない顔が嫌で鏡を割ってしまったのだと思いました。

 

また、曲中のミクの声にも注目すると、最初と最後では声質が全く違います。

これも少女の成長を表現していると考えると流石いよわさんです。

抜け目なく表現しきっています。

 

アプリコット

 

曲中にも出てきますが杏の事です。

あんずの花言葉は「臆病な愛」「乙女のはにかみ」「疑い」「疑惑」「乙女の恥じらい」「早すぎた恋」「不屈の精神」「慎み深さ」「遠慮」「気後れ」だそうです。

曲名になるほどなのでこの曲に出てくる少女とゆかりが深いものと言っていいでしょう。

 

杏も美しい花ですが、桜を主役として、目立たない脇役に徹するような、慎ましい印象の花言葉がつけられています。

この特徴からも少女は控えめな性格であまり自己主張する方ではなかったのではないかと少し思いました。

アプリコットの花を見ると分かるのですが、まとまって咲いている様がまさに少女の後ろに現れる大量の風船の群れだと思います。

あの風船はアプリコットの花を模しているのだと言えます。

 

 

とりあえず、今のところ考えたことは書きました。また追加があれば随時書きたいと思います。

至らない点が多いかと思います。またこれが正しいとは本当に言えないのであくまでも私の自己解釈として受け止めてくれると幸いです。

 

 

参考文献

 

杏(あんず)の花言葉の意味・由来・誕生花|花言葉のシャルロー (charlor.net)

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ忙しいには忙しいのですが、書きたい事が出来たので。

 

私は高2の秋ごろ、真面目な私を殺しました。

 

というと大袈裟にも思えますが大真面目に書いています。

 

毎日友達の前で笑顔を絶やさず、部活でもチーフとして後輩に丁寧に指導し、課題も遅れずにやって、学校にも毎日通う。同好会の会長として会も開く。

 

友達の誕生日とあらば手作りのケーキを一週間前から準備し、夜更けまで作っていて父親に怒られ、それでも毎回毎回、遊びに行くときも作って持っていく。

 

全部好きでやっていました。私はそうしている私が好きでした。

真面目に授業も聞いていました。

しかし成績が伸びずに悩んでいました。

 

毎日、勉強する気はあるのに気付いたら時間が過ぎていて、

定期テストではいつも成績不振でした。

 

1年次の担任の先生のクラスは、特別な頭の良いクラスでした。

そのクラスに必ず帰ると、その先生と約束していたため、なんとしても成績をあげたかった。

 

勉強以外、頑張っている事は、挙げてみればたくさんあったのですが。

私はこんな怠惰な自分なんて死んでしまえばいいと毎日自分を呪いました。

学校ではずっと笑顔ですが、帰路につくと毎日泣いていました。

 

そうしてだんだんと心身を病んでいきました。

失敗ばかり目について気にしていました。

 

友達とカラオケに行った日に、作ったケーキが持ってきた時にはぼろぼろでした。

”楽しみにしてくれていた友達を落胆させてしまった”

そのことが恐ろしく申し訳なかったため、ずっとその気持ちを引きずったまま一日過ぎました。

 

次の日が学校でした。提出のプリントをやり終える前に寝てしまった私は、友達に「見せて」と言われて自分も終わってない事がまた恐ろしく申し訳ないと思い、すぐに取り掛かりました。

しかしその日はプリントが多く終わりません。

 

 

終わらないうちに出る時間が来てしまいました。

 

英語のプリント。

 

厳しくて私が心から慕っていた、元担任の先生の授業のプリント。出さないと叱られます。

 

外は小雨が降っています。

 

考える間に、刻刻と時は過ぎていきます。

 

 

 

その時、私の中で何かが壊れました。

 

もう、どうにでもなってしまえと思いました。

もう、友達も先生も親も裏切ってしまおうと。嫌われてしまおうとおもいました。

 

そして、学校とは反対方向の電車に飛び乗りました。

 

 

 

解き放たれて、私は自由でした。

誰からも何も言われることは無い。

好きなものを好きだと言って良くて、好きな時に休んでいい。

とても楽しかったです。

 

色んなものを見て、歩き疲れました。

夕方、19時頃に母から電話が来ました。

無断欠席に次いで、家出でもあったので、本当は帰りたくもありませんでしたが

仕方なくその日は家に帰りました。

 

 

 

 

 

 

 

こんな話を突然して何かというと。

わたしはこの日を転機に、動作が全てゆっくりに、思ったように動けなくなりました。

また、締め切りが近くなると諦めがちになりました。

頭のもやはだいぶ晴れましたが、もやによって記憶力も下がったような気がしています。

 

 

でも、今日の心理学の授業を聞きながら一つ思いました。

 

 

おかしかったのは、”それまで”であって”今”が正常ではないかと。

 

 

私は以前も話したように、小中と様々なところからいじめを受けました。

それの後遺症のようなもので、解離状態になっていたのが”それまで”だったのではないか、

と、今日の授業中にひらめきました。

 

過剰適応により周囲の期待に添いすぎる、自分の意思が分からない解離状態

 

これはしかし、これを当たり前として毎日過ごしていれば、自動でたくさんの情報をすぐに処理し、相手に答えるがするする出来るようになるわけです。

これが普通だった以上、いきなり「真面目に生きるのやめた」と、他の人からの期待に添わない人生を歩みだすと、赤ちゃん並みに自分の意思が分からないので路頭に迷います。

 

どう行動していいかわからなくて、どうやって受け止めたらいいか分からなくて。

 

そうしてすべてゆっくりになったり、記憶力、というかきっと処理能力です。処理能力が落ちてしまっている状態が”今”なのです。

頭のもやは恐らく自分の思考や行動が把握、理解できない事によるものでしょう。

 

そう考えると、自分に対しては良い行動を起こせたわけですし、力が衰えたという事ではないのだと思います。

 

 

 

ここまで書いて、一番書きたかったことは、

高2の頃がいまだに理想であると思っているのは勘違いだという事です。

今から新しく自分を構築していくんであって、あのころに戻ってはいけないのです。

 

 

以上、久々のブログでした。

課題がとてもやばい時間

そんなときにブログ開くな^^

眠くて判断力がおちてる

そして睡眠がとれない事で精神が心配

 

ここんとこ精神状態が悪くなるという事が多いので

ん~~薬お前どこに作用しとんじゃこの野郎という気分でいる

毎日また強烈な不安が襲ったら困るな~~と思いながら過ごしている

一昨日も軽くパニックだった、すんげえどうでもいい事で大人げなく泣きじゃくった

恐らく別に病名つくまでいかない程度の不安や恐怖の一時的な反応がランダムで起こる

この前は幻覚みたいな妄想みたいなのだったし

この前は萎縮して全てのものに怯える小動物に成り果てたし

一昨日はそうやって泣いてたし

そろそろ次の通院なのでまぁそれまではこれで良いかと思う程度なので安心してほしい

ごく普通に生きてます^^

ただちょっと自律神経が長らく機能してないだけでしてね

眠い

あとだいたい睡眠がやっちまってる時(徹夜)にそんな感じだった気がするので

不摂生が原因だったりする

他に逆に問題ないくらい平穏なんでな

問題は課題の量とついつい夜中まで友達や恋人と話しちゃうのと

あとなんかゲームやってたり無駄に起きてたり

そんなんばっかなんだがこれもADHDのせいって言ったら間違っちゃない

いまだにそう言う事に抵抗はあるが。

 

だって自分の責任ってことで自分が悪いってしてしまった方が潔くない?

私の、結局私自身の性質のせいならつまりそれは私のせいだわな?

どうもこうしてADHDをどこか負のレッテルのように捉えてしまってどうしようもない

障がい者差別するつもりないのだけど、もとより偏見がつよいから差別を無意識にしているらしい

なんかそれはそれでなんとかしたいって意味では、自分がその当事者になれたことを喜んでもいいかもしれないとか、思ったりとか、しつつも

眠い

まぁいいんだもうちょっとずつ自分に慣れるさ、まだ生まれたての20歳だぞこちとら

20でやっと人生の転換期だと感じているんだ。なんか本当に生まれなおしたぐらいの気持ち

恋人にもカウンセラーにも出会ったので。良い大学にも行かせてもらってるので。

なんて幸せなんだろうなって。

なんか人生まだこれからじゃん?

あと80年も生きるじゃん?

20で一旦幸せで辛い毎日経験出来たら最高じゃね?

なんかそれくらいのマインドで居る

 

そうだよ、昔からこれはそうなんだよ

昔の事を記事に書いたが。正直昔から苦しみも喜びも「楽しい」んだよ

全部楽しい。だから前を向ける。楽しいから頑張れてきた。

楽しいなぁ。ありがたいなぁ。

苦しめる、喜べる、悲しめる、怒れる。

それだけで素敵だよね。

そのくらい感情豊かだった気はしないけど

基本笑っていたんだから、まあそういう事にしようや

辛い過去にしたら過去が報われないなって、後々気づいたんだ

今からしたらそりゃ辛い

でも今だってつらい事たくさんある

それをさ、「あの時より弱くなった」とか

分からんじゃんそんなの!

知らんじゃん自分だってそんなこと!

だから言わなくていいんだよな

だから、良いかって思って

なんかもう別に何でもいい

今どうなのかだけでいい

今めっちゃ幸せ

それを噛みしめないで、いつか消えるかもしれないそれを

忘れないように心に刻むことを

毎日毎日しないで

…そんな風にしてたら後悔しちゃうから

後悔しないように

毎日大切に「幸せだ」って感じておくの

もしこれが最後の幸せでも、その先の人生の糧になるように。

 

 

 

 

あ、読みにくい文章でごめんなさいでした。とにかく早めに課題仕留めますわ^^