覚悟を決めれば、権力に「無抵抗」で抗うことはできる。最終的には、選挙で投票し変えることにはなるが | 清須市発、来る清須市長選、政権与党イコール悪を忘れず、投票を。

覚悟を決めれば、権力に「無抵抗」で抗うことはできる。最終的には、選挙で投票し変えることにはなるが

落雷の瞬間を見たことある?

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 落雷だったか?ただの雷だったかは覚えていないが見たことはある。
 
 自然のこうした大きな力は、人を大きな力を持つ上位の存在を意識させる。落雷に打たれてなお生き残る人もいるというが、その人の生き方もまた一変するということもあるようだ。
 
 

 

  半分以上、この本を読んでやっとガンジーさんの無抵抗主義といわれる行為の発端の部分に入ってきたようだ。

 

 サッテイーヤグラハと銘打たれた行動で、南アフリカにおける暗黒法と呼ばれた法の下、これまでの政府登録とは別の登録をしないと、その地域に居住することもできず、取り締まられる法ができたことから始まったようだ。

 

 これに対して、その法に従わない。そのためにあえて、捕まり、留置されることを望んだという行動。これが、ガンジーさんのやり方であり、賛同したものらの行動だった。

 

 私のやり方もまた同様であり、行動自体は間違っていなかったようだ。悪法も法といわれる通りなのだが、悪法には従わないという決意と行動。それにより、逮捕、投獄されることは、恥ではなく誉だと。

 

 これが、権力機関である政府を変えることになったのは、多数の人がガンジーさんに賛同し、行動したから。

 

 私一人がしていたとしても、権力機関は動かない。たくさんの人が、賛同し動くことによって、権力機関も動かざるを得ない状況にならなければいけないということなのだろう。

 

 鉱山の契約労働者も、行動に加わり、仕事をやめ、鉱山主にあてがわれた住居などのインフラの整った状態から出ていくことは、生活の糧を安定的に得ることを放棄することにもなる。

 

 組織したガンジーさんは、彼らに必要な食料を与えるということもしていて、これは今の私にはできないことだ。

 

 そして、今の日本人の大半が、安定した仕事を望み、離れてまで悪法に従わないという形での無抵抗という抵抗をするのは難しい。

 

 それでも、できることはあると私は思う。

 

 いつも書いている通り、選挙での投票はもちろん、立候補することもまたほとんどすべての人にできることに挙げられるだろう。確かに、立候補は金が要るし、没収がないとは言えないからリスクの高いものではある。地方議員からであれば、中古車一台くらいの値段でできない範囲では無かろう。

 

 消費税、インボイスに反対するのであれば、納税拒否であえて摘発されるというのはありかもしれない。罰金となれば、彼らを利することになるが、罰金を払わず、労務所に入るという手もなくはない。

 

 罰金の代わりに、拘置所に入り一定の作業を一定期間するというもので、罰金を払いたくない場合にできるものだ。

 

 そもそもが罰金刑なのだから、禁固以上の刑とはされないだろうし、公民権停止や、司法試験後の司法修習にも差支えはないはずだ。

 

 ただ、その間は仕事ができなくなるわけだから、師匠のない収入形態を持っておくか?それを相殺できるだけの資産を持っておく必要があるかもしれない。

 

 多くの人が、罰金を払わず、留置所に入れば、政府の側にとっては収入となるべきものが負債となり、支払いが生じるのだから、芳しくない。

 

 無抵抗の中で、この選択肢を取ることには意味がある。多くの場合、詐欺で多額の金を得たものの罰金刑の場合に使われる例が多いようなのだが。

 

 労務所は期間が限定されており、記憶によれば半年以上は、拘束できないはず。一日当たりの日当相当額も少ないが、期間以上は拘束できないということなので、罰金の金額が高い、不当な利得が多い場合も損得勘定から得をする場合がある。

 

 ただ、罰金の金額が少ない場合は、拘束される日数が多くなる。それでも、彼らは食事を与える必要が出てくるのだから、悪法に抵抗するために使える手段ではある。

 

 手段としての労務所ということは、言葉足らずかもしれないが、あるということを書いてきた。

 

 ガンジーさんの行なった行為に関しては、高い精神性が伴っているものであり、この精神性に動かされて行動する限りは、拘束されるのもまた誉と自覚できる行動になるだろう。

 

 そこまでできる人は少ない。

 

 方法を知っておくことはいいだろうし、そこまでできなくても選挙に行き投票するくらいはできるだろう。立候補することもまた、手の届く範囲だろうし。

 

 できることをし、今の反社自民党政治を住んでいる清須市から、市長を変えること、議会の多数派、与党会派政清会にノーを突きつけることから始めよう。

 

 犯罪者集団が、政治を牛耳り続けていいはずはない。

 

 

 

 

 

 
 役所の無駄は、その付け回しをさせられ続けている国民、住民の負担に直結する。無駄をなくすための監視のための公職が、無駄なことをやらせ、その無駄の中に利権を見出す今の構造は、変えなければいつまでたっても報われない。
 
 自分に関係ない請求書の付け回しをさせられ続けているような状態をいつまで放置するのだろうか?

 

  公職のものというのは、負担をさせられるもののための代弁者ではないのか?付け回しだけを押し付けられるだけのような政治はいらない。

 

 最低限選挙で、投票し、自民党政治はいらないという意思表示をしよう。今の体制、清須市の市長、議会の多数派を占める自民党政治を排除しよう。

 

 恐れる必要はない。権力を失えば、何も危害を加えることはできない。自民党こそが、この国、地方、清須市に巣くうガンそのものなのだから。選挙に落ちれば、ただの人という言葉通りであることを知るだろう。