ブランクーシ展を再訪。前回の見学で彫刻の魅力に少し気づけたかもしれない。
彫刻作品の正面とは?作家にとっての、また鑑賞者たちにとっての正面はみな同じであるべきか?あるいは全てが正面なのか?それとも正面という感覚自体が不要なのか?そんなことを思いながら、ブランクーシを始めとする作品をもう一度観てゆく。
「接吻」1907-10
女性側から見てみる。
「ポガニー嬢Ⅱ」1925(2006中像)
今回の展覧会で最も気に入った作品。左正面。
右正面から。
右横顔。
当然ながら後方には髪が描かれていた。果たして鑑賞側の自由度は高いと言えるのか。謎は深まるばかり。
「レダ」1926(2016鋳造) ブランクーシ・エステート
ブランクーシは自身の作品の写真を数多く撮られている。作家自身が自作品を二次元に切り取る行為は、彫刻鑑賞において、何らかの示唆を与えてくれるようにも思う。
「雄鶏」1924(1972鋳造) 豊田市美術館
こちらの作品も写真があった↓
「空間の鳥」1926(1928鋳造) 横浜美術館
ロダン「考える人」1902
ブールデル「弓を引くヘラクレス」1909
絵画鑑賞に対する意識も変わりそうだ。
【補足】
カルダー「単眼鏡」1947
前回全く気づかなかったが、昨日観たカルダーの作品が展示されていた。見えないものが見えるようになる。何事も体験・経験だなと。