「ブランクーシ 本質を象る」
これまで自分にとっての彫刻作品は、ただぼんやりと眺めるだけの存在だったように思う。
今回、収蔵品を含め様々なアーティストの彫刻作品が展示されていて、彫刻だけに集中する時間を持つことができた。どのように作品を鑑賞するのか?自分なりの鑑賞軸を持てたということで、とても貴重な展覧会見学になった。
「接吻」1907-10
初めてアーティゾンを訪問した際、印象に残った数少ない彫刻作品の1つ。美しい、素晴らしいというより、可愛らしい作品だなと。その後も訪問するたび、場所は移されていても毎回見掛けていて、とても馴染みのある作品。
展示室に入ると、卵形に象られた様々な顔。
やはり最初に「接吻」が展示されている。オリジナルは石への直彫りとのこと。こちらは石膏製。彫刻の森美術館にもあったが、かなり黒ずんでいたように思う。
開館と同時なのでぼっち環境で鑑賞できる。
「眠る幼児」1907(1960/62鋳造) 豊田市美術館
今回の展示会で唯一の写実的な作品。ロダンの助手だったことがあるらしい。1、2か月で辞めてしまったのだそう。その後、
「眠れるミューズ」1910-11頃 中之島美術館
写実的な作品として制作を始め、最終的にこの様に単純化された作品になったのだそう。この時期からミニマル・アートの先駆者としての活動が始まる。
「眠れるミューズⅡ」1923(2010鋳造) 個人蔵
いずれの作品も、単純化されていることで、鑑賞者側も自由に感じることができる。ブロンズが磨かれていて、より曲線が柔らかだ。
「魚」1924-26(1992鋳造) ブランクーシ・エステート
こちらは円盤の上の魚。鑑賞者側で自由に感じられるのは良いのだが、今回の展示会は意図的にタイトル表示が一切ない。いつも通りに手ぶらで見学していたので、かなりキツかった。
何となく気になって写真を撮った作品だが、タイトルを知るとより深く入り込める。水面と魚、光の反射や映り込みは波の煌めきだろうか。
「レダ」1926(2016鋳造) ブランクーシ・エステート
白鳥になったゼウスだそう。
「雄鶏」1924(1972鋳造) 豊田市美術館
天に向かう雄鶏がイメージされる。全体をトサカを連想する形状で表現されたのだろうか。
「空間の鳥」1926(1928鋳造) 横浜美術館
展示室で作品を観て感じ、今あらためて作品名知り写真を眺める。空間を切り裂くように飛ぶ鳥の全体像と腹が見えてくる。色んな角度から観たらどんなだろう。気になって仕方ない。
ちなみに下の円筒形と十字の台座まで、ブランクーシ自身による制作とのこと。台座も作品の一部なのだろう。
アトリエルーム
ブランクーシのアトリエは真白だったそうで、そのイメージで構成された部屋。
左端の「王妃X」の本質がこれか?と思わせる形状。今タイトルを見てそのギャップに驚いた。あとあらためて写真を眺めると、一番右の「洗練された若い女性」が気になる。
「ポガニー嬢Ⅱ」1925(2006中像)
顔だけでなく胴体や腕までを緩やかに一体化させている。「ミューズ(1918)」のコンセプトから更に進化している。
この後、収蔵展でより写実的な作品を観て、彫刻作品をどのように観るのか、ようやく鑑賞の軸が分かってくる。その自分がブランクーシを観たらどう感じるのだろう。再訪してじっくりと鑑賞し直そうと思う。
ブランクーシはご自身の作品を写真に撮られたようで、それらも数多く展示されていた。今はその意図が分かるように思い、次回は写真展示も時間を掛けて見学したい。
以下は、ブランクーシと関係するアーティストの作品。初めて知る関係性ばかりで興味深い。
デュシャン「トランクの箱シリーズB」1952
デュシャンはブランクーシの作品をアメリカで売って生計を立てていた時期があったらしく、アメリカでのブランクーシ評価にも貢献したのだそう。
イサム・ノグチ「魚の顔 No.2」1983
ブランクーシの工房で助手をしたことが、抽象彫刻家となるきっかけとなったのだそう。後に「素材に表現を従わせる」ことをブランクーシから学んだと語られているらしい。
モディリアーニ「若い農夫」1918頃
なぜかモディリアーニの作品。どうやらモディリアーニが彫像作品を制作したのは、ブランクーシの勧めだったらしい。モディリアーニの卵形の顔は、ブランクーシとの共有要素だったのだそう。
オシップ・ザッキン「ポモナ(トルソ)」1951
なぜかザッキンの作品も。ある意味トルソも人間のミニマルな姿かもしれない。交流があったのかは分からなかったが、活動は同時期のようだ。