明治政府による琉球藩王冊封および琉球藩設置の背景には、内政と外交の両面からの要因が存在します。以下にその主要な背景を挙げます。

1. 明治政府の中央集権化政策
明治維新後、日本政府は中央集権化を進めるため、各地の藩を廃止し県を設置する「廃藩置県」を行いました。これにより、地方分権的な旧来の体制を一掃し、統一的な国家体制を築くことが目的でした。この中央集権化政策の一環として、琉球も日本の一部として組み込む必要がありました。

2. 琉球王国の地位変化
琉球王国は1609年から薩摩藩の支配下にあり、日本と中国に朝貢を行っていました。しかし、明治政府は琉球を日本の一部として明確に統治する必要があると考えました。そのため、1872年に琉球王国を琉球藩に改組し、琉球王・尚泰を琉球藩王として冊封しました。これにより、琉球の地位を日本の一部として公式に位置づけることを狙いました。

3. 国際情勢と外交圧力
19世紀後半、アジアでは欧米列強の影響力が強まりました。特に琉球は中国との歴史的な関係が深く、清朝との外交関係が続いていました。明治政府は欧米列強の影響を受ける前に、琉球を自国の領土として確保することが重要だと認識しました。

4. 琉球の独立性の抑制
琉球王国が日本と中国の間で独自の外交関係を持つことは、日本の統一国家形成にとって障害となりました。明治政府は琉球の独立性を抑制し、完全に日本の統治下に置くことで、国内の統一と安定を図ろうとしました。

5. 薩摩藩の影響
薩摩藩は琉球王国を支配していましたが、明治維新後は薩摩藩も他の藩と同様に廃藩置県の対象となりました。薩摩藩の支配が終わった後、明治政府は直接琉球を統治するために琉球藩を設置しました。

これらの要因が組み合わさり、明治政府は琉球藩王を冊封し、琉球藩を設置するに至りました。この動きは、琉球を日本の一部として完全に統合するための第一歩であり、その後の「琉球処分」による沖縄県設置へとつながりました。