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かいマムと申します指差し

 

 

3人兄妹と共働きアラフォー夫婦のドタバタ珍道中を書いております。

 

 

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アメンバーはコメントを交わして仲良くなった方を承認させてもらっています。ご容赦ください。まずは気軽にコメントをどうぞ〜にっこり

 

 

どうも、マムです。

 

 

 

マムにとってブロ友さんとはママ友であり、いや幼稚園や学校が同じでないぶん本当に利害がないのでむしろ心の友というやつかもしれない。

 

 

 

 

長くお付き合い頂いてるブロ友さんには子育てミドル世代、親の介護まではまだ少し猶予あり、という方が多く、最初妊娠出産ジャンルにいたので、中には、生まれておめでとう!!一年たつごとに大きくなったね、と勝手に親戚のおばちゃんみたいな気持ちになったりもする。

 

 

 

 

 

ちゅけの壮絶な闘病録から読んでもらってる方はきっとうちの子たちのこともそんなふうに思ってくれてるんだろうな、と(勝手に)思ってる。

 

 

 

 

 

 

 

そんな中、ブロ友さんたちが、母として、一人の女性として、社会人として次々と切実な記事を書かれていた。勝手に貼っても怒られないだろう方の記事を貼らせてもらう。

 

 

 

 

 

 

 

毎日のように、読むたびに、ああ、私も書きたいことがある、と思わされてしまった。

 

 

 

 

 

幼少期にきょうだいじとして親にネグレクトされ、阪神淡路被災をきっかけに、生きてるんだから死ぬつもりでなら、なんでもできるんじゃない?と奮起した。

 

 

 

 

 

 

 

そこから自分の人生は全て自分で切り開いてきた。

国立大に入り、大学院まで行って、国費留学もさせてもらった、20代にして仕事が評価され、年の半分を海外に呼ばれて出かけている状態になった。新聞や雑誌やテレビやラジオにも出演していた。一人で仕事場兼家を買おうかな?いやそれとも資金を元に海外移住する?と思うくらい稼いでた。

 

 

 

 

 

 

きのこさんの記事でいう羨まれる側だったと思う。

けど、本当に100%自分の努力だけでやってきたという自負があったから、羨む/羨まれるという気持ちがひとかけらもなかったし、人を羨んでる暇があるくらいなら、その分努力することに必死だった。妬むという気持ちのない人は妬まれても、実は大して苦にならない。もちろん気持ちのいいものではないのは確かだけど。

 

 

 

 

 

 

チャンスが巡ってきて、いよいよネグレクト親と障害児の姉を見捨て、仕事の拠点を完全に海外に移そうとしたときに夫に出会い、日本に縁ができてしまった。

 

 

 

 

 

親からの愛情を十分に得られず、愛着障害のあった私は、子供を産むことが死ぬほど怖かった。だから結婚も子供も自分には無縁だと思っていた。もし虐待してしまったら。いやそもそも虐待以前に(極論ですが、虐待をする親の根っこには愛情があると思ってます。)関心すら持てなかったら...それにもし障害のある子が生まれたら、私はトラウマで子供を愛せないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だって、もらった覚えのない愛情をどうやってあげたらいいというのか。

 

 

 

 

 

男女の愛においても私の愛情はとても刹那的だったのではないかと思う。

 

 

 

 

 

でも、夫は私が愛情に溢れた人間だということを知っていた、多分。それを知った上で、「もし無理やったら俺がシンパパになるから、全部捨てて元の生活に戻ったらええやん!」(逆立ちしてもできないくせに言うだけは言う凝視

 

 

 

 

と言ったのだ。

 

 

完全にヤツの作戦勝ちだ。

 

 

 

結果、三人もの子供に恵まれた。

一人目の子供ができた時に私は産後1年で海外赴任した。なんなら妊娠の回復期であり、新米母としてのスタート期でもある1年の間に実父の闘病と、看取りと、葬式と、融資という名の焦げ付いた借金だらけの会社の整理も全部した。数年語に債権者が起こす裁判を想定して、相続の段階から弁護士の準備もしていった。並行して渡米準備も全部セルフで。もし、夫に日本に引き止められなかったら、私はこれらを全部見捨てていただろう。

 

 

 

 

 

子供の時に見捨てられていたことの意趣返しとして。

 

 

 

 

でもそれは本当に人生に禍根を残さない行為になっただろうか?

 

 

 

と、思う。

 

 

 

anyway,子育てもキャリアも私ならどちらも完璧にできる、という挑戦を私はしたかったのだ。アメリカで所属した研究所にはヨーロッパから子連れで来ているフェローがいっぱいいた。日本では珍しいことだったとしても、私は国際スタンダードありたかった。実際長男のきぃまるがとてもおとなしい子だったので、お荷物なのは語学のできない、海外生活自体初めての夫だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

きぃまるは発語は遅かったが、とにかく言語理解能力が高く、言葉で説明して、マムがそばにさえいればとても落ち着いていてなんでもOKな子だった。アメリカを拠点にヨーロッパにも仕事を広げていった。マムはハッキリ言って子育てを舐めていた。きぃまるは”特別な子”だったのだ。(後でうんと手がかかることをこの時のマムは知らない。)

 

 

 

 

 

夫くんの会社の育休の限界が来たので帰国せざるを得なくなった。

きぃまるで味をしめてしまっていた我々夫婦は(だから後でうんと手がかかるんだけどね...)兄弟がいたらいいよね、と思ってしまった。マムも海外で実績を作ってきたところだから、また2年くらいはペースダウンしても、それくらいは巻き返せると思っていた。

 

 

 

 

 

 

そこにポッター症候群という大病と共に次男がやってきた。

 

 

 

きぃまるが生まれて、私は親にもらえなかった愛情を存分にきぃまるに注いでいた。仕事だって諦めずにバリバリ前進して、もう愛着障害を抱えた寂しい子供だった私はいない、何もかもが完璧だと思っていた。

 

 

 

 

けど人生って甘くない。

 

 

 

次男は生存率0.1%の大病と共にやってきたのだから。

 

 

出産のためにずいぶん早く管理入院した。管理入院する直前に納めた大きな仕事がひょっとしたら最後の仕事になるかもしれない、と覚悟した。生まれた後にも1年間生死の境をフラフラ長期入院し、幼稚園に入園したばかりのきぃまるも通常発達ではないし、毎日病院に付き添いもあり、仕事どころか日々の生活ですらキリキリ舞だった。

 

 

 

 

 

私の本職は正直人気商売なところがある。

こんな形で仕事が途切れてしまったらもう二度と社会に戻ることはできない、私は一生専業主婦なんだ、そう思うと蝕まれた。

 

 

 

 

 

 

人生は甘くないけど、努力はいつも自分を助けてくれる。

 

 

 

 

 

これまでのキャリアを十分なものとして、大学に教員として求められた。出身大学ではないけれど、過去の努力がちゃんと世間に評価されていたのだ。今最前線を走れてなくても、まだ走れるんだよ、そう背中を押してもらった。第三子を産んだばかりだったけど、サポートするので大学に来て欲しいと言ってもらえた。

 

 

 

話が第三子と前後するが、

 

 

 

次男の育児は、命の奇跡と何度も対峙する育児だった。

 

 

 

完璧な育児とか

 

 

理想の育児とか

 

 

良き母とか

 

 

そんなのどーでもいい、と知った。

 

 

 

生きている間に子供に掛け値なしで愛してるって伝えられたら、それだけでいい。

 

 

 

 

これはもう私の中でブレない。

 

 

 

 

第三子のあーたんの妊娠の時には

 

 

自分が死ぬか、子供を殺すかを選ぶ局面まで追い詰められた。

 

 

 

私は耐え切った自分を誇りに思えた。

 

 

だってこの子にも愛してるって伝えたかった。

 

 

 

 

みんなに毎日大好きって言える今が幸せです。

 

 

 

 

 

 

そして不思議なことなんだけど、もうできること全部100%やり切ってると今止まっている本職の方もいつか子供の手が離れたらもう一度始めるんだろうな、という確信が私の中にあるのです。そして、もしも子供を持たずに仕事を続ける道を選んでいたら、たらればの話だからわからないんだけれども、私は世界の半分の愛も知らずに仕事を続けていたんだな、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

子が親を愛してくれるという愛の強さはすごい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親に愛されなかった子供の心の隙間を埋めてしまうほどに。

 

 

 

 

 

私は教養を身につけることで視野を広げ、この世界の輪郭をなぞろうとしてきたけど、子供たちは私に愛をくれることで別の側面の輪郭を教えてくれました。

 

 

 

 

 

それを知らなかった時の私も、まだ私の中にいるし、それを知った後の私もここにいる。子どもを持つことが素晴らしい、正しいということじゃなくて、子供を産み育てたことがある人とそうでない人が捉える世界の輪郭の差を知ったこと、それは私にとってとても重要な意味のある出来事でした。

 

 

 

 

できない自分や子供を責めたり、

自分よりできてると思って落ち込んだり、

 

 

 

 

そんなことないよ!

 

 

 

 

ほんとにただ、そう言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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