----現場保育士たちの絵本研修まとめより----
絵本を通して聞こえる声や体温から、子どもは大人に『愛されている』と全身で感じ、それが情緒を安定させ、心を伸びやかにし、以後その子の生きる支えとなる。
本は心の栄養。
生きる力となる。
石井桃子さんの言葉
『子どもたちよ。子ども時代をしっかりと楽しんでください。大人になってから、老人になってから、あなたを支えてくれるのは、子ども時代の「あなた」です。』
※石井桃子:著作『ノンちゃん雲にのる』
保育園や幼稚園は、今まで行事に追われることが多く、子ども達にとっては大きな負担となってきました。
その大きな理由は、それ自体が園の評価や保育者の評価、子ども達の評価になり、保護者の視線を気にして見栄え(派手)を気にした物になっていたからです。
見栄えを気にする(派手になる)ということは、保育時間がそれの目的だけに割かれるということです。
保育時間は、子ども達にとってかけがえのないあそびの時間(学びの時間)です。
行事は子どもたちの日々をより豊かにするきっかけでなくてはなりません。
運動の会をきっかけにして、親や友達と身体を動かすことで運動が好きになったり、励みになったり。
あくまでも、子どもが「やりたい」「楽しい」ものでなくてはなりません。
だからこそ必要なのは、行事の準備や練習で日常の保育時間を犠牲にせず、行事を無理なく日常のあそびに盛り込ませ、行事の後にもつなげていくということなのです。
日本では、子どもの「生きる力」の基礎を培っていくよう20年余り前から言い続けられてきました。
それは、予測困難な世の中になり(例えば異常気象や大規模災害など)、子ども達を生きる未来がより良い未来になるように考えて行動していける人間に育てなければならないからです。
「生きる力」を育む取り組みは、20年余りも言い続けられていながら幼稚園・保育園の中でなかなか進んでいきませんでした。
そしてやっと日本でも平成30年に幼稚園・保育園の指導内容が見直され、近年現場でも「生きる力」を育む保育がされるようになってきました。
しかし、この変化は保育現場の話で社会全体ではまだまだ理解されていません。
それはなぜか・・・・。
「生きる力」は目に見えないものだからです。
そして「生きる力」=非認知能力(頑張る力や我慢する力など)が培われているかの結果は「今」出ないからなのです。
「困った!」と思う時には時すでに遅しかもしれません。
日本では、多くの大人が、「一斉保育」でクラス全員が同じことをする。そこからはみ出してはいけない指導の中で大きくなってきたのではないでしょうか。又は「自由保育」という言葉が独り歩きし、何でも子どもが自由にやっていいという、園や学校が無法地帯化した時代に育っているかもしれません。
その後、学校でのクラス崩壊等が問題視されるようになり、乳幼児期の育ちから改めて考えるきっかけとなりました。
そして、「生きる力」とは何かを改めて考え、平成30年度に保育指針が改定になったのです。
人は皆、自分が育てられたようにしか子どもを育てることができません。お手本となる物は自分の育ちしかないのですから。仕方ありません。しかし、この改定によって自分が思っている子どもの育ちや、保育園・幼稚園の指導に対する固定概念を変えなくてはならない時がきました。
自分が小さいころ、園で経験した運動会や発表会などを思い出してください。いつも先生から与えられたものを、先生から言われたように行い、保護者に観てもらっていたでしょう。
そこに子どもだったあなたの気持ちは繁栄されていましたか?
その行事をあなたはいつも楽しく行えたでしょうか?
その行事の練習にあそびの時間は費やされていませんでしたか?
果して、その時、子どもだったあなたはその行事や行事にかかる練習を本当にやりたかったのでしょうか?
そのようなあなたを、保護者の立場から考えてみましょう。
本当に見たいのはお子さんの何だったのでしょう? いつもの姿? 成長した姿?
どちらにせよ、見せるように作りあげられたものを見ていたのではないでしょうか。
この改定により、改めて保育園とはどんな場所なのかを考えなくてはならなくなりました。
保護者にとってどうなのかではなく、子ども中心に子どもにとってどうかという観点で考えなくてはなりません。
大人が子どもを中心に考え育てることが出来た時、子どもが自ら主体性をもって活動できるようになっていくのではないでしょうか。
主体的に子どもがあそぶ中にこそ「生きる力」の基礎があるのです。
本当に育てたいのは、『こんなに○○ができるようになったよ』という目に見えるものではなく、子どもの心がどう動いて、どんな学びがあり、どう次につながっていったかという、目にこそ見えないけれど子どもの豊かな心の育ちにあるのではないでしょうか。
コロナ禍でもあり、なかなか園の保育を伝えていくのは難しいですが、園便り・クラス便り・Twitter・掲示等で、一見、子どもがただあそんでいるように見える水面下での学びや育ちをお伝えして、どうしてこの環境やあそびを保育園が選択しているのかを伝えていけるように心がけていきたいと思います。
子どもの主体性を伸ばすには、愛着関係が特定の大人と形成されていることや、自己肯定感が育まれていることが土台となっていることは前回のブログでお伝えしました。(特定の大人とは・・・親でなくても良いとされていますが、親であってほしいと思います・・・)
親子の愛着関係を築く上で、「過保護」や「過干渉」は気になるところではないでしょうか。
漠然と同じ意味合いで使ってしまいがちな言葉ですが、この二つは違う意味を持った言葉なのです。
過保護・・・子どもが望んでいることをやってあげ過ぎること
過干渉・・・子どもが望んでもいないことをやり過ぎること
どちらにしてもやり過ぎることですが、望んでいることをやり過ぎることと、むしろ嫌がっていることをやり過ぎることでは大きな違いがあります。
「過保護だとわがままになってしまうのでは?」と思いがちですよね。もちろん欲しがるものや要求される物をむやみに与えるのは「甘やかし」になりますから、控えてもらいたいことです。
しかし実際は子どもが満足するまで望む通りにしてあげれば、子どもの心が満ち足りてどんどん自立していくのです。
ですから子どもの心を満たしてあげると考えれば、過保護は決して悪いことではないのです。
過干渉とは過剰干渉のことです。もちろん危険なことや人に迷惑をかけることに対しては禁止の言葉を使う必要があります。しかしそれ以外、子どもが望んでもいないのに手や口を出すことは、自分で物事を決められずに大人や周りに依存する子どもに育つ可能性があります。
親が言うことが自分の想いと違っても、子どもは愛情を失いたくない思いから、自分の意思を抑えて親に言われるがまま従います。その結果、自分の想いは伝えられないまま、どうすれば愛され褒められるかばかりを気にする評価過敏な子どもになってしまいます。
そんな子どもが思春期を迎えた時、どうなっていくのでしょうか・・・・。
過干渉の親の心の奥には、親の価値観や理想、親の思い通りに子どもを育てたいというコントロール願望があるのかもしれません。子育てに対して熱心な人ほど陥りやすく気づきにくいものです。
親の期待が大きく、子育て方針も具体的に「〇〇方式」などと決めている方もいるかもしれませんが、親がいいと思っていることが子どもにとっていいことなのか、望んでいることなのか、家庭環境に合っているのかは別なのかもしれません。インターネット情報に惑わされることなく子育てしてもらいたいと思います。
何もかも親が決めたり先回りするのではなく、子どもが自分で決めてやること、その中で失敗も沢山経験させて、子どもが助けを求めた時にはさっと手を差し伸べられるような子育てをしたいですね。
心の発達で最も大切なのは、【自分が大切にされていることが実感できること】、【自分に対して自信を持てること】。
物で満足させるのではなく、本当ではないことを並べ立て納得させるのではなく、時間も手間もかかりますが、子どもの想いを受け止めて、話を沢山聞いてあげることです。そうすれば子どもは自ら成長していくのです。
子どものやりたいをかなえられる親であってもらいたいと思います。
また、こどもがやりたいをかなえられる保育園でありたいと思います。
子どもの自主性や主体性は、子どもがやりたいことの中でしか育たないのですから。
平成30年度より保育所保育指針が改定され、乳幼児期の保育と教育の重要性がうたわれるようになりました。
科学的には幼児期の保育や教育が人生における生活の質と大きく関係していることが、『ぺりー幼児期プログラム』という人の50年間を追い続けるという壮大な実験で実証されています。
この人生を大きく左右する保育や教育の質とは、早期教育(読み書き・計算・英語教育など)ではなく、困難な場面に直面しても折れない心・不思議だな何でかなと考える探求心など目に見えない力(生きる力)をいかに育むことができるかを指しています。
教育や保育の質とは、目には見えない心の中で、いかに生きる力を育てるかということなのです。
生きる力は、様々な経験の中で、子どもが【自分で・・・したい】【自分が・・・したい】(これを主体性という)という感情が芽生えた時や叶えられた時に育ち、その成果や結果は大人になったとき現れるのです。
考えてみれば恐ろしいことです。10年~20年後、いえいえいもっと先かもしれないのですから・・・
では、主体性は皆が持っているものなのか・・・何もしなければ自然には育ちません。
とっても難しい話ですが簡単に説明すると、愛着関係が特定の大人と形成されていることや、自己肯定感が育まれていることが土台となって主体性は発達していきます。(特定の大人とは・・・親でなくても良いとされていますが、親であってほしいと思います)
つまり、主体性の育ちは0歳からはじまっているのです。
平成30年より前には、「愛情は時間ではないよ。深さだよ。」と働くご父兄に伝えてきた私ですが、今は「愛情の深さを伝えるのは時間だよ」と伝えるようにしています。愛の深さを伝えるにもその子一人一人と向き合う時間の確保は大切だからです。
そして、その時間をどう向き合ったかで子どもの一生が決まると言っても過言ではありません。