日本では、子どもの「生きる力」の基礎を培っていくよう20年余り前から言い続けられてきました。
それは、予測困難な世の中になり(例えば異常気象や大規模災害など)、子ども達を生きる未来がより良い未来になるように考えて行動していける人間に育てなければならないからです。
「生きる力」を育む取り組みは、20年余りも言い続けられていながら幼稚園・保育園の中でなかなか進んでいきませんでした。
そしてやっと日本でも平成30年に幼稚園・保育園の指導内容が見直され、近年現場でも「生きる力」を育む保育がされるようになってきました。
しかし、この変化は保育現場の話で社会全体ではまだまだ理解されていません。
それはなぜか・・・・。
「生きる力」は目に見えないものだからです。
そして「生きる力」=非認知能力(頑張る力や我慢する力など)が培われているかの結果は「今」出ないからなのです。
「困った!」と思う時には時すでに遅しかもしれません。
日本では、多くの大人が、「一斉保育」でクラス全員が同じことをする。そこからはみ出してはいけない指導の中で大きくなってきたのではないでしょうか。又は「自由保育」という言葉が独り歩きし、何でも子どもが自由にやっていいという、園や学校が無法地帯化した時代に育っているかもしれません。
その後、学校でのクラス崩壊等が問題視されるようになり、乳幼児期の育ちから改めて考えるきっかけとなりました。
そして、「生きる力」とは何かを改めて考え、平成30年度に保育指針が改定になったのです。
人は皆、自分が育てられたようにしか子どもを育てることができません。お手本となる物は自分の育ちしかないのですから。仕方ありません。しかし、この改定によって自分が思っている子どもの育ちや、保育園・幼稚園の指導に対する固定概念を変えなくてはならない時がきました。
自分が小さいころ、園で経験した運動会や発表会などを思い出してください。いつも先生から与えられたものを、先生から言われたように行い、保護者に観てもらっていたでしょう。
そこに子どもだったあなたの気持ちは繁栄されていましたか?
その行事をあなたはいつも楽しく行えたでしょうか?
その行事の練習にあそびの時間は費やされていませんでしたか?
果して、その時、子どもだったあなたはその行事や行事にかかる練習を本当にやりたかったのでしょうか?
そのようなあなたを、保護者の立場から考えてみましょう。
本当に見たいのはお子さんの何だったのでしょう? いつもの姿? 成長した姿?
どちらにせよ、見せるように作りあげられたものを見ていたのではないでしょうか。
この改定により、改めて保育園とはどんな場所なのかを考えなくてはならなくなりました。
保護者にとってどうなのかではなく、子ども中心に子どもにとってどうかという観点で考えなくてはなりません。
大人が子どもを中心に考え育てることが出来た時、子どもが自ら主体性をもって活動できるようになっていくのではないでしょうか。
主体的に子どもがあそぶ中にこそ「生きる力」の基礎があるのです。
本当に育てたいのは、『こんなに○○ができるようになったよ』という目に見えるものではなく、子どもの心がどう動いて、どんな学びがあり、どう次につながっていったかという、目にこそ見えないけれど子どもの豊かな心の育ちにあるのではないでしょうか。
コロナ禍でもあり、なかなか園の保育を伝えていくのは難しいですが、園便り・クラス便り・Twitter・掲示等で、一見、子どもがただあそんでいるように見える水面下での学びや育ちをお伝えして、どうしてこの環境やあそびを保育園が選択しているのかを伝えていけるように心がけていきたいと思います。