下の娘の絵が飾られているというので、こどもみらい館で展示されている「京都市立幼稚園こども展」に行ってきました。
京都市内の16の市立中学の活動を報告する展示会なのですが、実にユニークで面白かったです。

ご存知の方も多いかとは思いますが、京都の市立幼稚園は一切お勉強はしません。
基本、「遊んでいます」。そこからさまざまなことを学ぶというスタイルをとっています。

廃校となった待賢小学校に併設されている待賢幼稚園も、1学年17名と少ないですが、実にのびのびといろいろなことを学んでおります。
特に園内の畑でピーマンやピーナッツなど様々な作物を作っており、うちの娘も少なからず良い経験をさせて頂いております。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-待賢幼稚園のジオラマ

これが待賢幼稚園の発表でして、畑の作物や様子を紹介しています。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-娘作ダイコン

で、これが娘作のダイコンの模型

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-こんな感じ

展示、全体はこんな感じです。もちろん、ごく一部ですが。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-サツマイモの絵

で、うちの娘の作品が、これ。
サツマイモなんです。
自分で収穫してみて、思ったより大きかったのでびっくりしてこんな絵を描いたそうです。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-砂の絵

実はこの写真展示の砂の絵も娘作なんです。
砂に絵を描いて遊ぶなんて子供らしいでしょ。

娘も、毎日が楽しいって言ってくれています。
ちょっとだけ遠い幼稚園なのですが、嫁も「入れてよかった」と言ってくれています。

花が咲き、実がなり、虫が飛びということにちゃんと触れ合える幼稚園ってほんと素晴らしい。
こういう幼稚園をちゃんと次世代に残してゆきたいですね。
何度かこのブログに登場しておりますが、斎藤星次というのは私の父親でございます。
40年間教師一筋で勤め上げ、今は福井県鯖江市で隠居しておりますが、その生涯二作だけ童話を世の中に発表しております。
ひとつは「まぬけなリュウの話」(ポプラ社刊)。
こちらのブログ でご紹介したこともありますが、人形劇団のかわせみ座さんが長くその作品を上演していただいていますので、僅かですが世の中に知って頂いております。

実はもう一作、その「まぬけなリュウの話」の話より5年前、昭和46年に発表した「ケラとヨトウムシ」という作品があります。
この作品は、当時、洛英社という出版社から発刊された中部日本児童文学選集3「モクモク町のある一年」に収められている、父35歳の時の作品。

舞台は日当たりのよい丘の上の小さなじゃがいも畑。
その畑には、キリギリスや蝶、アリマキなどたくさんの昆虫が住んでいました。
その中で他の虫たちからこばかにされていたのは美しく鳴けないケラでした。
そのケラでさえ、蔑んでいたのが農作物の根を切る「根切り虫」とも呼ばれるヨトウムシでした。
そのヨトウムシは、害虫ゆえお百姓が畑を消毒して退治されてしまい、やっと気の弱い一匹だけが生き延びていました。

あるじゃがいもが真っ白な花を咲かせた日、畑の虫たちは浮かれてお祭り気分。でも、すぐに宴に飽きてしまい「何か面白いことはないか」と騒ぎ始めます。
そんな中ケラは他の昆虫に気に入ってもらうため、ヨトウムシに、じゃがいもの花を切らせて見物しようと言い出します。
虫たちはいつも蔑んでいるケラが面白いことを言い出したので、乗り気になりました。

ケラはヨトウムシを騙してじゃがいもの葉の上に連れてきて、花を切らせようとします。
ところが、ヨトウムシはかつて自分が生まれてはじめてダイコンの小さな根を切ったときダイコンの苦しむ声を聞いてしまったため、二度と植物の根を切れなくなっていたのです。

ケラがどんなに脅してもヨトウムシは花を切ろうとしません。
ついに悲しくなったヨトウムシは泣きながらお月様に「僕をたすけてください」と祈り始めます。
ケラはヨトウムシが泣き出したのを見て、自分も悲しくなり泣き出してしまいます。
キリギリス達や他の虫たちはいっこうに花切りが始まらないばかりかケラまで泣き出したので、つまらなくなり家へ帰ってしまいます。
月夜にケラとヨトウムシはじゃがいもの茎の側にいつまでも佇んでいました。

というお話です。
斎藤星次作品の特徴はハッピーエンドではないこと。
ただ、ハッピーエンドではないし、弱きものが強きを挫いたりもしない代わりに、弱きものは弱いまま心優しく強いことを描いています。
「まぬけなリュウの話」でも、弱い者(村人たち)は強きもの(侍)に取り入るため、心優しきもの(リュウ)から爪を奪い、あげく蔑みます。
でも、その最も弱きものは実はどこまでも心優しく、自分を失わず、心を変えずに生き続けます。

これこそ発表から40年の時を超え、できれば多くの人に知って頂きたいと思う父の作品のエッセンスです。
かわせみ座さんは「あまりに悲しすぎるから」と「まぬけなリュウの話」のラストを少し変えていますが、本当は変えないほうが作品の真意は伝わりやすいと私は思います。

息子である自分の身内の身びいきである部分は、多分にあるかと思いますが、ちょっとだけ知ってほしいなと思い、長々と書かせていただきました。
機会あれば、どこかで紹介させてもらいたいなと思います。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-斎藤星次作品

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、年末年始は例によって私の故郷鯖江に帰っておりました。
昨年は久しぶりに親族で他界したものがおらず、明るいお正月でしたが、親族の数も少しずつ減ってゆくのがさみしくあり、また、久しぶりにあう、いとこの子供たちの成長が目覚ましくもある正月でした。

齋藤家は私が一人っ子でかつ、父を養子をとった私の亡母が一人っ子という、2世代連続一人っ子一族のため、極端に親戚が少ない家族です。
ですので、わずか親戚づきあいをしているのが父方の親族と、亡祖父(実は養子)の後妻(あーややこしい)である祖母の親戚ぐらいしかおらず、まあ親戚づきあいの煩わしさとは無縁の一家です。
その分、父方のいとこたちとの結びつきが強く、いとこの子供は甥っ子姪っ子のような感覚で付き合っております。(どーでもよい話でした。)

さて、この正月鯖江は少し雪が降りました。
子供達も嫁も(笑)千葉の生まれ育ちのため、雪が珍しく大はしゃぎ。
私なんぞは「ヤレヤレ・・」とうんざりなのですが・・・
特に下の娘は大はしゃぎで、僅か降った雪で爺ちゃん連れ出して雪だるまを作っておりました。

上の娘といえば、これまた元教師である爺ちゃん作の英単語ドリルで苦手の英語の大特訓。
普段の怠けっぷりが嘘のようにがんばっておりました。
(まあ、京都へ帰って来ていきなり怠けておりましたので、先ほど一喝しておきました(笑))

実は、「鯖江出身です。」と言ってはおりますが、鯖江に住んでいたのは48年の人生のうちたったの8年です。10歳から18歳までの8年間。
鯖江を飛び出してもう30年が経ちました。
それでも、子供たちが鯖江に年に数回帰ってくることを楽しみにしてくれるのはありがたい話です。
そして、帰って来れる場所があるというのもありがたい話です。

後、どれくらい続けられるかわかりませんが、帰省できるうちはし続けたいと思います。

写真は下の娘が作ったへんてこな雪だるまです。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-ゆきだるま
皆様、今年も私の拙いブログをお読みいただきありがとうございました。

今年は私にとってはかなり変化の多い年でした。
3月末に千葉から家族を呼び、京都に本格移住し、3年間の単身赴任生活にピリオドを打ちました。

7月には会社が下京区から伏見区に引っ越しし、10月にはWeb部門から、印刷の新規開拓部門に異動と仕事関連も大きく変化しました。

プライベートでも、大学1回生時以来となるライブをやらせていただき、それがきっかけで、大坂城ジャグバンドにカホンで参加させて頂きました。
音楽に関しては、正直拙いというよりまだまだ相当下手糞でして、お聞きいただいた皆様には随分と申し訳ない次第なのですが、長い間沸々と抱えていました表現活動への憧憬の思いを抑えきれず、始めてしまいました。

ただ、やはり再び芝居をやりたいという思いは募るばかりです。
「お前、今更何言ってるねん!」と特に同世代で長く苦労した皆さんからは突っ込まれること必然かと思うのですが、時間がかかっても何とか芝居をやる機会を探したいなと思っております。

さて、ブログですが、今年は家族を京都に迎えたこともあり、観劇記も前年の43本に対して、29本と少なくなりました。来年はもう少し少なくなると思いますが、できるだけ決まった劇団ではなく新しい劇団やユニットも観たいなと考えております。

ということで、またツラツラと書かせていただきますので、来年もぜひともよろしくお願いいたします。




いやはや・・・・反省の山でした。

京都円町のカフェバーRue Riberaでのクリスマスパーティライブで、FMトリコさんの前座という形で、5月の7周年記念パーティ前夜祭以来の行徳善哉(ゼンザーズ改め)のライブを行いました。

こちらは、もともと坂本さんがギター&ボーカルで、私がボーカル&カホンという二人のユニット。
ところが今回は当日飛び入りゲストで私の会社の同僚のT君がパーカッション、そして、T君のお友達のKさんがベースで参加し、なんと4名の大所帯。

なんと、当日ライブの2時間半前から初めて合わせるというドタバタでした。

当日参加した二人はかなりライブ慣れしているのですが、私と坂本さんはブランクが長く、特にメインボーカルの私はそれ加えて経験がかなり浅いこともあり、正直緊張してしまいました。

合わせて、当日、ライブがあることを知らずにいらっしゃったお客様もほんの少しですがいらっしゃって、ちょっとだけアウェイな感じだったことも災いし、肝心の私がミス多発・・・
(アウェイな感じに慣れていないほうが悪いのですが)

自分のパートを1オクターブ上で歌いだしたり、
歌いだしを見失ったり・・・
カウントを見失ったり・・・(気づいた人少なかったかもしれませんけど)

一番最初の曲(チャコの海岸物語:ちなみにこれはネタ)とラストの「ずっと好きだった」はなんとか無難に収めましたが、ちょっとしんどい5曲のライブでした。
まあ、それでも結構楽しみましたが。

しかし、すごいのはFMトリコの三人です。
ライブスタート時はかなりガヤガヤしたアウェイな感じをものともせず、しっかり1時間超、自分たちの世界をつくり上げていました。
特に、今回、まきはらさんのCDに収録されていた「レイトショー」を初めて三人で演奏してくれまして、特にこの曲は私大好きなので、曲名のコールの後に「おー!」と声を上げてしまいました。

それ以外も「つむじ」「ジプシーズハイ」「あたたかくしておやすみ」などなど素敵な曲を連発。
この時期にしかやらない曲「半人前のサンタクロース」も聞けました。
アンコールは名曲「来夢来人」・・
いやあよかったー。

まあ、比較するのはとてつもなく申し訳ないのですが、やっぱりFMトリコはすごいなぁ・・いいなぁ・・と思います。

ということで、結構私のほうはダメダメなライブでしたが、なんとかどこかでまたリベンジできたらと思います。坂本さんやメンバーにも迷惑をおかけしちゃったし。

さて、そんな状況で写真を撮る余裕ゼロでして、以下の写真は唯一撮影した写真。
ボーカルのマヤちゃんがブレブレですが、FMトリコのライブの様子です。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-FMトリコ in Ribera