順応〈あるいは適応〉は進化論及び社会学の術語であり、同化は生理学の 術語でありまして、この両語は事物の完成に必要なるところの物質的及び精神的作用を表す語であります。
しこうしてこの順応・同化の二つの作用の完全なる形 式が絶対服従であるのです。
しかしながら、最高道徳にいわゆる順応・同化及び絶対服従は慈悲の心に基づいて起こるところのものであるので、普通道徳にて自 利のために行う順応・同化及び服従は牛馬にても常に行いつつある道徳であります。
かくてこの絶対服従の理想は被治者側よりいえば、伝統(ortholinon《オーソリノン》)ならびに準伝統に奉仕する場合に限るのであって、何人 《なんぴと》に対してもかくのごとくせよというのではないのです。
次に治者側よりいえば、被治者側に対して同様の精神を持たねばならぬのであります。
すべ て最高道徳においては、治者・被治者・富者・貧者の関係をいえば、その義務実行の方法は異なれど、その義務実行の精神は相互的であるのです。
しかしなが ら、その相手方が最高道徳を知らざる場合には、自己の力の及ぶだけの至誠を尽くして止《や》むのであります。しこうして最高道徳はその実行の根本原理なら びに根本精神を表現する方法としては、この絶対服従を理想とするのであります。
ただしこの絶対服従の原理は、現代人の頭脳にはすこぶる奇異の感動を与うる ものなるをもって、その詳《つまびらか》なることは第一巻第十四章第七項及び第九項に述べたれば、必ずこれを参照せられんことを乞《こ》う。
広池千九郎WEBSITE格言の間より