Vermines(2023 フランス)

監督:セバスチャン・バニセック

脚本:フローラン・ベルナール、セバスチャン・バニセック

製作:ハリー・トルジュマン

撮影:アレクサンドル・ジャマン

美術:アルノー・ブニョール

編集:ナッシム・ゴルジ・テラーニ、トマ・フェルナンデーズ

音楽:ダグラス・カバナ、グザビエ・カウクス

出演:テオ・クリスティーヌ、ソフィア・ルサフール、ジェローム・ニール、リサ・ニャルコ、フィネガン・オールドフィールド

①登場人物の我が強いフランスホラー

パリ郊外のアパートで暮らす青年カレブ(テオ・クリスティーヌ)は入手した珍しい毒グモを逃してしまいます。クモはアパートの中で卵を産み、あっという間に繁殖。カレブからスニーカーを買ったアパートの住人がクモに襲われて死亡し、当局は伝染病を疑ってアパートを封鎖します。アパートに閉じ込められた住人たちを、大量に増殖した毒グモが襲います…。

 

フランス製のホラー映画。

フランスのホラーといえば、つい最近配信で観た「セーヌ川の水面の下に」がありました。あれはサメ映画。面白かった!

同じく動物パニック映画ですが、こちらはクモです。

 

2つのホラー映画を観て共通に思ったのは、登場人物の我が強いな!というところ。

そこは国民性でしょうかね。出てくる人たちがみんな気が強くて、前へ前へ出て主張するので、全体的に常にガチャガチャしてて騒々しい

恋愛映画なんかでも、実はそうなのかもしれないけど。

皆が命の危険に晒されるパニック状況になると、そういう我の強さが特に強調されるみたいです。

終始わーわーうるさいのは好みが分かれそうではあります。まあそこも、アメリカや日本と異なる面白みと受け取るのが良さそうです。

 

②ユニークな団地で展開される密室パニック

舞台となるのは、巨大な円型が目を引くユニークな団地です。まるで巨大なドラム式洗濯機みたい。

これはパリ郊外に実在するピカソ・アリーナと呼ばれる建物。ウズベキスタン出身の建築家によって1985年に建てられた低所得者向け集合住宅だそうです。

コスト重視で建てられそうな建物に、ここまでユニークな意匠を凝らすというのが、フランスらしい…と言えるのかな。

 

ここで暮らしているのは、移民など社会の最下層

映画だけじゃなく、実際にもそうであって、そこでロケしちゃうのが考えてみたらすごいですね。

最下層なので当局からの扱いがひどい。伝染病にしろ毒グモにしろ、脱出も許されず封鎖され隔離されちゃうというのだから。

この辺り、コロナ禍のパンデミックでの最下層の扱いも反映されているかもしれません。

 

監督的には、忌み嫌われ大繁殖するクモがそうした人々のメタファーであるという含みもあるようです。

外国で密猟され、勝手にフランスへ運ばれて、一方的に売買され、雑に扱われて繁殖する。そのあげく、社会に害をなすと言われて退治されてしまう。そんなクモの様子に、移民が重ねられている。

クモはただ生き延びようとしているだけであって、クモに罪はない…とも言えるんですけどね。

ただ、本作におけるクモは実際に人の命を奪う脅威なので、退治するしかないので。これを移民と同一視しちゃうのは、少々乱暴なメタファーという気もしないではないです。

③生理的嫌悪感を掻き立てるツボをついたクモ描写

クモ映画、数は多くないけど時々ありますね。「アラクノフォビア」とか「スパイダーパニック!」とか。

その中でも今回、なかなか良い出来だったと思います。クモが怖い!

 

本作におけるクモはそこまで極端に巨大化せず(最後にちょいデカいのが出てくるけど最後だけ)、むしろ物量作戦で攻めてきます。

要は、我々が普段家の中とかで出し抜けに出会ってビビらされる、あのクモの怖さですね。

足が多くて長くて素早く這い回る奴が、家具の隙間や排水口からするするっと現れて、音もなくいつの間にか忍び寄っている、背中がぞわぞわっとなるあの恐怖

大量の節足動物が群れてざわざわ蠢いている、生理的にイヤーってなるあの感じ

モンスターじゃなくても、そりゃ怖い!っていう身近なあの感覚を、上手いこと各所の見せ場に織り込んでいます。

 

音を立てずに歩くから、気づかないうちに近くにいる。

平べったいから、思わぬ隙間から不意に出てくる。

そして、いざとなったらめっちゃ素早い

まごまごしてたら、手とか足とかに這い上がってきて、うわーっ!ってなる。

 

僕は昆虫はまるっきり平気で、クモもそこまで怖くは感じない人なのだけど、それでもやっぱりぞわぞわしましたからね。

苦手な人は、相当にキツイんじゃないかと思います。

クモが怖いってこういうところだよね!というツボを、上手いこと突いてる映画です。

④みんなが意味もなく敵対的…というリアル

終盤、主人公たちはクモ退治に突入してきた警官隊と出会うのだけど、ここでも何やら常に敵対的なんですよね。

主人公たちは警官たちの言うことを全然聞かない。

警官隊の側も、主人公たちへの扱いがひどい。

あげく、わざわざクモを呼び込んで警官隊壊滅…みたいな展開になるのは、訳がわからないよ…という感がありました。

 

この辺は、移民差別のメタファーにプロットが引っ張られてるのかな。不自然な展開であることは否めない。

ただ、その一方で…グループの異なる人たち同士がまったく分かり合えず、分かり合おうともせず、互いに相手を敵とみなしたままで、意味もなく自滅していく…というような状況は、現代社会の写し絵としてはリアルであるような、そんな気もしました。

 

不自然といえば、現実の世界そのものがもっとも不自然であるような。

そんな「なんだこれ」な風潮を、パニック映画の背景に上手く落とし込んでいる…ような気もしましたよ。

 

 

僕のホラー小説にもクモ出てきますよ。ちょっとだけ…だけど。