Beau Is Afraid(2023 アメリカ)

監督/脚本/原案:アリ・アスター

製作:ラース・クヌードセン、アリ・アスター

製作総指揮:レン・ブラバトニック、ダニー・コーエン、アン・ロアク

撮影:パベウ・ポゴジェルスキ

美術:フィオナ・クロンビー

編集:ルシアン・ジョンストン

出演:ホアキン・フェニックス、ネイサン・レイン、エイミー・ライアン、スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン、ヘイリー・スクワイアーズ、ドゥニ・メノーシェ、カイリー・ロジャーズ、アルメン・ナハペシャン、ゾーイ・リスター=ジョーンズ、パーカー・ポージー、パティ・ルポーン

①主観に徹した世界観

非常に面白かったです!

ツボにハマりました。めちゃ好みでした。

 

これまでの「ヘレディタリー」「ミッドサマー」が、際立った個性はあれど実は正統派のホラー映画だったのに対して、本作はかなりシュール寄りの作りです。

最初から最後まで、常識を逸脱した不条理な出来事が次々と起こっていく。

だから一見、難解なアート映画のようにも見えるのだけど。

 

でも、よく見てみると本作も、基本的には「ヘレディタリー」「ミッドサマー」とやってることは変わらない。

もっとも親密であるべき肉親が最大の呪いをかけてくるという、絶望的な悪夢。最初から最後まで救いのない地獄のような有り様を描く、暗黒のホラー映画です。

 

違いは、本作では一貫して主人公ボーの主観で描かれているということ。

本作で描かれていることは、すべて「ボーにとって世界はこんなふうに見えている」という主観的な体験です。

 

「ミッドサマー」で、主人公が「仲間たちに置き去りにされ、嘲笑われる」体験を夢に見るシーンがありましたね。

あれは夢だったけど、その夢を見ている時には、当人はそれを現実とまったく変わらないものとして体験し、恐れたり、悲しんだり、絶望したりすることになる。

また、「ミッドサマー」でトリップした主人公が体験する「植物が動き回り自分自身を侵食してくる世界」も同様です。客観的現実ではないけれど、本人にとっては現実と何も変わらない。

 

「ヘレディタリー」でも「ミッドサマー」でもその片鱗は描かれていたけど、今回映画の全編を使って全面的に押し出されているのは、「世界の有り様は主観によって変わる」ということ。

世界がどういうものであるか…美しく安らぎに満ちたものであるのか、恐ろしく圧迫的なものであるのか、それは世界を体験する主観によって変わる。

僕が体験している世界と、これを読んでいるあなたが体験している世界は、きっとまったく違っている。

その次元で、本作は「ボーが体験する世界」に徹している。そこがまずユニークで、魅力的なところになっていますね。

 

②現実を歪ませる世界への恐怖

そして、そのボーの体験する世界は、ひたすら「世界への恐怖」に満ちている。

ボーが住んでる家の周りには死体が転がり、ヤク中や狂人がうろつき、常に犯罪が起こっていて、悲鳴と怒号が飛び交っている。そんな世紀末的様相な訳ですが。

いくらアメリカでも、こんな北斗の拳みたいな状況であるはずがないのであって。

これもまた、「世界はとても恐ろしいものであって、常に自分を攻撃しようとしてくる」というボーの思い込みに基づく「見え方」である訳ですね。

 

世界に苦しめられているのはボーだけではなくて、ロジャーの家にいた戦場帰りで精神を病んだジーヴスも同じ。

ジーヴスにとっては、彼は今も恐ろしい戦場の中にいて、周囲を敵に取り囲まれていると感じている。

人は、まったくの客観的な世界というものは体験できず、人が見聞きする世界というのは、自分自身の主観を通した世界のみである。これは、世界がこうなっている以上仕方ない、原理的な問題です。

 

「ヘレディタリー」では呪われた家族が恐怖であり、「ミッドサマー」では北欧のカルトな共同体が恐怖だったので、究極そこから逃げ出せば脱出できるのだけど。

本作においては、自分自身の主観そのものが恐怖だから、自分自身の主観で体験する人生が全部まとめて悪夢であるということになる。

これはもう、完全に逃げ場がないですね。さすがアリ・アスター。容赦がないです。

③ママがこわい!

そして、ボーに世界への恐怖を植え付けたのは、ママ。

ママの過剰な愛情と人生への干渉、我が子を守ろうとするあまりの支配と束縛が、ボーの精神を完全に歪めてしまっています。

「ママの過剰な愛情で息子が狂う」のはそれこそ「サイコ」からのお馴染みのテーマで、本作は伝統的なホラーのモチーフに忠実であるとも言えます。

 

何しろ、誕生の瞬間からトラウマですからね。

闇とちらつく光、不快なノイズ、苦痛に喘ぐママの悲鳴。

医者を罵る悪意に満ちたママの声。赤ちゃんが死ぬ!という恐怖の叫び。

こんな中で、世界に出て行かなくちゃならない。産まれると同時に呪いを一身に浴びるようなもんです。

 

夫を失っていることで、ママは過剰に心配症になり、息子を危険から遠ざけることばかり考えるようになる。

息子に病弱だと言い聞かせ、世界は恐ろしいところだと思い込ませ、温室で隔離して育てようとする。

この辺り、「千と千尋」の「坊」も思い出しましたよ。「おんもは体に悪いんだぞ!」って奴。

ボーの名前の由来は「坊」…ってそんなことはないか。アリ・アスターは当然「千と千尋」も観てるだろうけど…。

④罪悪感と自罰意識の世界

ボーにとっては、当たり前の日常ですら恐怖に満ちた状態。そんな苦痛に満ちた人生にしてしまったのはママであることを、ボーは内心で自覚しています。

だから、カウンセラーに対しては、母への愛憎半ばする気持ちを口にしています。

父の命日に母に会いに行こうとして、様々な妨害が入ってボーは行けなくなるのだけど、これはボーの「母親に会いに行きたくない」という気持ちの現れでしょうね。

「会いに行きたかったけど、不可抗力でどうしても無理だったのだ」と、ボーは自分に言い聞かせなくてはならない。だから、あんな素っ頓狂なトラブルが起こることになる。

(そして、このことはボーが自分で気づきたくないことなので、後でママ当人から容赦なく指摘されることになります。)

 

母を憎み、母から逃れたいという思いと、母を愛し、母の愛情に応えなければならないという思い。その矛盾する思いがボーの中には同居していて、ボーを引き裂いてしまっています。

あれほどに恐怖に満ちた世界になってしまうほどにママへの恐怖は強いのだけど、ママを愛さなくちゃならないという抑圧も同じくらいに強い

その結果、ボーは強い罪悪感と、自分は罰せられなければならないという自罰意識を感じ続けることになります。

Guilty(有罪)という言葉が、映画の中のあちこちに散りばめられていますね(カウンセラーのフレーズからママの叱責、ポップソングの歌詞まで)。これこそが、ボーが自分自身を規定するキーワードになっています。

 

抑圧と自罰意識に囚われた主人公という点では、「エヴァンゲリオン」も思い出しましたよ。エヴァの「神罰的に崩壊する世界」は、悩める14歳であるシンジくんの自己嫌悪と自罰意識の投影です。

「エヴァンゲリオン」でも、子供にとって自分を抑圧する親は恐ろしい神のような存在。

ボーにとってのママは理不尽な神罰を与えてくる荒ぶる神で、だからママに会いに行く旅は神に会いに行く壮大なオデッセイになっていく訳ですね。

⑤導かれる陰謀論の物語

ボーのママはMW社の創業者にしてオーナーで、MW社の商品はあらゆる分野に及んでいて、ボーの生活を取り囲んでいます。電化製品から薬、冷凍食品に至るまで。

MW社は大企業で、実際に世界に大きな影響を及ぼしているし、ボーの生まれてからの人生はMW社の製品と共にある。ボーの実感として、彼の人生はMW社に支配されているように思えるでしょう。

 

そこから、ボーの中に生じてくるのはママとMW社を中心とした陰謀論の物語。

出会う人たちがみんなどこか怪しくて、何かを隠している。

実は彼らはMW社の社員であって、ママの命令でボーを見張っている。

監視カメラですべてが見張られ、謎の機械で追跡され、過去も未来も見張られている。

ママの死さえも、陰謀で偽装されている。

ボーはそんな物語に巻き込まれていくのですが、それはアパートで起こった出来事と同様、ボーが自分でこしらえた「言い訳」なんでしょうね。

 

人が陰謀論にハマるというのは、そういうことなんだろうなあ…とも思わされます。

恐怖に満ちた毎日が辛く、ママの過剰な愛情が辛い。

それはすべて「ママが憎い」という自分の感情が原因なのだけど、それを自分で認められないものだから、矛盾を正当化するための物語をでっち上げる必要が生じてくる。

もともと矛盾を埋める物語だから、どんどん異常になっていって、最後にはあの「屋根裏の怪物」にまで至ってしまうんですね。

⑥カタルシスも救いもない絶望的なエンディングの快感

抑圧された主人公が通過儀礼のような旅を通して、抑圧を乗り越えていく…というのがよくあるパターンなのですが。

本作では、ボーは抑圧を乗り越えない。最初から最後までボーは変わらず、ママのプレッシャーを跳ね除けることはできません。

ということは、最後は必然的にボーは自分の有罪を受け入れて、裁きを受けることにならざるを得ない訳ですね。

 

「人間はそんな簡単に成長もしないし、変化もしない。それこそがこの映画のテーマでもある」とアリ・アスターは語っています。

リアルだけど、カタルシスには背を向ける作劇ですね。

ママに抑圧されていた主人公が、最後に反旗を翻し、ママを殺してしまうなら、主人公にとってはバッドエンドだけど、映画としてはカタルシスになるので、観客はスッキリすることができるのだけど。

本作では、死んだはずでも生きてるし、殺したはずでもまたよみがえり、結局裁かれることになってしまいます。

 

本作は従って、カタルシスも救いもない絶望的なエンディングを迎えることになります。

カタルシスも救いもないんだけど…でも、このラストは大好きでしたね。

アリ・アスターの名前が出るタイミング、完璧でした。本当に素晴らしい。

 

「カタルシスも救いもない絶望的なエンディングの快感」って、あるんですよね。理屈であんまり説明できないけど。

例えば「未来世紀ブラジル」。今回のエンディングは、個人的に「ブラジル」以来の気持ち良さでしたよ。(ルックスが似てるというのもある)

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」までいくと苦手なので、ただバッドエンドであればいいって訳でもない。そこはちょっとしたバランスとしか言いようがないのだけど。

 

本作はいろいろと意味はわかんないし、カタルシスはないし、3時間もあって絶望にしか行き着かないという、意地悪にも程があると思えるようなヒドい作品なんだけど。

でもなんか気持ちよくて、強烈な中毒性があるという。

客は選ぶけど、ハマる人は絶対ハマる映画です。たぶんまだ何回か観にいくし、ネタバレ解説も書くと思います!

 

ネタバレ考察その1はこちら! 時系列に沿って本作を考察しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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