Brazil(1985 イギリス)

監督:テリー・ギリアム

脚本:テリー・ギリアム、チャールズ・マッケオン、トム・ストッパード

製作:アーノン・ミルチャン

撮影:ロジャー・プラット

編集:ジュリアン・ドイル

音楽:マイケル・ケイメン

出演:ジョナサン・プライス、ロバート・デ・ニーロ、マイケル・ペイリン、キム・グライスト、キャサリン・ヘルモンド、ボブ・ホスキンス、イアン・ホルム

①記憶に刻印される映画!

テリー・ギリアムの名前を我々の脳裏に刻み込んだ、記念碑的カルト作。

午前十時の映画祭にて。

 

オリジナリティあふれる世界の構築。

毒の効いた笑いと皮肉に満ちたブラックユーモアの世界。

そして、ぞっとするディストピアの恐怖

その鮮烈なラストによって、本当に記憶に刻印される映画です。

観た後、陽気な「ブラジル」のサンバのメロディが頭から離れなくなりますね。

 

最近の再上映では画質が向上してることが多いですが、今回の「ブラジル」は以前の印象のままでした。割とモコモコした甘い画質。

そういう意味では、記憶の中の印象と同じ。懐かしい悪夢をまた見た感じです。

 

あと、今回ふと思ったんですけど、「ブラジル」の構造って、これ「ラ・ラ・ランド」ですね!

最後に、「もしかしたらこうだったかも」の世界が流れる。セリフなしで、めくるめくように。

でも、その夢は覚める。そして、現実の中に取り残される…。

 

いや、まあ、ニュアンスは全然違うんですけどね。

甘い夢への渇望と、それが得られない切なさは共通していて、どちらの映画も後に胸に重いものが残るのは、この手法の効果かなと思います。

 

②いないテロリストを追い続ける世界

「ブラジル」が真に怖いのは、振り返ってよくよく考えてみると、この世界の中では犯罪行為は何も起こっていないということ。

爆発とかテロとか、なんかいろいろ起こってるように見えるのだけど。

それは目眩しで。実は、何も起こっていない。

 

冒頭で逮捕されるバトル氏は、ただハエの死骸によるタイプミスのせいでタトルと間違えられて逮捕されただけ。

なぜかテロリスト扱いされるジルも、ただ誤認逮捕に抗議していただけ。

テロリストとして指名手配されてるタトルにしたって、劇中の描写を見る限り、ただのモグリの暖房修理業者ってだけですよね。

何の破壊工作もしていない。むしろ、正規の業者より上手に修理できてしまう。

 

劇中では爆弾テロらしきものが何度も起こりますが、テロリスト自体は一切映りません。

この世界の機械メンテはいい加減で、あちこちで空調が壊れたり、掃除機が火を吹いたりしてる。

それを思うと、度々起こる爆発というのも、ただ機械の故障で起こってるだけで、爆破犯人なんてそもそも誰もいないのかもしれない。

というか、たぶんそうですよね。この世界のいい加減さを思うと。

 

映画の中では、悲惨なことが次々起こる。罪のない人々が逮捕され、袋に入れて連行され、拷問されて、処刑される。毎日大勢の人がそんな目に遭っている。そういうディストピアなんだけど。

実はテロも犯罪も何も起きていないのだから、そもそもそんな悲惨なことが起きる必要は何もない!何もないのに、止められない!という世界であるわけです。

 

というか、何もないからこそ、止められない。

テロリストが本当にいるなら、真犯人を捕まえれば終わりですけどね。いないから、永遠に終わらない。

拷問されても、誰も何も白状することがないわけで。拷問も終わらない。

 

最後の妄想シーンで、サムはタトルが率いるテロリスト集団が助けに来るのを夢見るのだけど、現実にはそんなの存在しないから、誰も助けに来る人はいないんですね。

当局が言うように悪人が本当にいるなら救いがあるけど、いないから救いがない、という。ブラック極まる状況なわけですね。

③今、ここの話

タイプミス一つで逮捕され拷問され処刑されるディストピア。役人側の人間だって、いつ自分が逮捕される側になるか分からない。足元をすくわれないように、常に恐々としてる。

拷問係のジャックも神経を病んでいて、拷問なんてやりたくないと思ってる。でもやめられない。

誰も得しない世界なのに、誰もそれを止められない世界なんですね。止められないシステムを、作ってしまってるから。

 

システムに反対する者を犯罪者と見なして逮捕するシステムだから、誰もシステムに反対できない。

システムがガタガタで欠陥だらけと分かっていても、誰もそれを指摘できない。指摘した時点で逮捕だから。

なので、欠陥システムは永遠に続いていく。

 

「ブラジル」の世界では、ヘルプマンという人がいちばん偉い人として存在しているんだけど、彼も決して独裁者というわけではない。ただ、役所の部門の長であるというだけですね。

つまり、仮にレジスタンスがいたとしても、ヘルプマンを殺せばすべて解決…というわけでもない。別の誰かに置き換わるだけ。

機械を壊しても、ダクトを破壊しても、どうにもならない。

人々を縛っているのはシステムで、それは形のないものだから。

 

この世界で生き延びるためには、欠陥に気づいていても指摘せず、改善しようともせず、とりあえず首をすくめて波風立てずにやり過ごす。それに尽きます。

そして、そういう処し方というのは、考えてみれば我々自身の現実の生活の中で、いくらでも身に覚えがあるわけです。

日ごろ文句を言ってる仕事とか、会社とか、社会問題とか政治とか、大抵はコレですね。

 

本作が普遍的なのは、架空の異常な独裁国家を描くのではなく、人が自ら作ったシステムによって抑圧される様を描いているから…ですね。

それによって「ブラジル」は、異世界の話でも、今はまだない未来世界の話でもない。

まさしく「今、ここ」の話になっているんだと思います。