Babylon(2022 アメリカ)
監督/脚本:デイミアン・チャゼル
製作:オリヴィア・ハミルトン、マーク・プラット、マット・プルーフ
製作総指揮:トビー・マグワイア
撮影:リヌス・サンドグレン
編集:トム・クロス
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
出演:ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、ディエゴ・カルバ、ジーン・スマート、ジョヴァン・アデポ、リー・ジュン・リー、トビー・マグワイア
①下品で猥雑な原始ハリウッド
1920年代のハリウッド。映画業界の豪華なパーティーで雑用をしていたメキシコ人の青年マニー・トレス(ディエゴ・カルバ)は、スターを夢見る新人女優のネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)に出会います。パーティーで女優がドラッグで昏倒し、ネリーは役に抜擢。マニーはスター俳優のジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)に気に入られ、映画業界に足を踏み入れます…。
「セッション」「ラ・ラ・ランド」「ファースト・マン」のデイミアン・チャゼル監督の新作。
サイレント映画時代のハリウッドを舞台に、映画業界の内幕を描いた作品です。
ハリウッドについてのハリウッド映画。タランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」とか、フィンチャーの「Mank/マンク」とか。チャゼル自身の「ラ・ラ・ランド」もそうですね。
サイレント映画時代を描いた映画なら「アーティスト」とか。
本作はその中でも、ズバ抜けて騒々しい、狂騒的で露悪的なカオスのような映画業界を描いています。
ノスタルジーや情緒とは程遠い、酒とセックスとドラッグと暴力の、やりたい放題の世界。
悪徳と退廃の罰当たりな都市バビロンとしてのハリウッド。
で、チャゼル監督の描くバビロンは、超絶的に下品で猥雑です。
のっけから画面に向かって噴出されるゾウの大量のウンコ。
乱痴気騒ぎのパーティーで女優のオシッコを浴びる金持ちの男。
そして、「チェンソーマン」のゲロチューに匹敵するような、マーゴット・ロビーの清々しいまでに大量のゲロ!
だから、まあそういうのが苦手な人は要注意です。それは最初に言っときます!
②疾走感あるサクセスストーリー!
そういう直接的な下品さは目立ちますけどね。
基本的には、疾走感ある爽快な映画ではあります。特に前半は、夢に向かって走る若者のサクセスストーリーなんですよね。
スターを夢見るネリーと、「映画という大きなものの一部になりたい」と願うメキシコ出身のマニーが、黎明期の映画業界で成功へ向かっていく。
パーティーもはちゃめちゃだけど、当時は映画撮影も破天荒です。
スタジオ以前の荒野で、同時にいくつもの映画の撮影を隣同士で進行してて(サイレントだから)、セットではアスベスト撒き散らしてて、合戦シーンでは本当に死人が出る。
照明もないから、日が沈むまでの間に撮影しちゃわなければならない。
めちゃくちゃだけど、でも圧倒的に自由。コンプラも倫理も何にもなし。
規制がないから、今日初めてやってきた新人女優がいきなり抜擢されるなんてことも実際に起こる。
これはやはり、すごく楽しそうなんですね。
この楽しさを支えるのは、やはりマーゴット・ロビーの魅力。
明るくて元気で、下品だけど媚びてなくて強い。
露出度がすごく高いのに、エロさよりもむしろ、少年漫画の主人公のようにさえ見えるというね。
「アイ、トーニャ」や「ハーレイ・クイン」にも共通する、ぶっ飛んでてどこか病んでるにも関わらず、前向きで健康的にさえ感じる不思議な存在感。
そんな「マーゴット・ロビーらしさ」が完全に確立されましたね。本作のネリーは、むしろそんなキャラに寄せていっている印象さえあります。
③映画自体も自由で混沌
焦点を当てられるのは、マニー、ネリー、ジャック、シドニーの4人のキャラクター。
同じハリウッドの狭い業界を舞台にしつつ、微妙に別々のストーリーが並行して描かれていきます。
このスタイルは、黎明期のサイレント映画「イントレランス」にならったものであるそうです。
業界に混沌としたパワーがあって、無名でもいきなりスターになれるのが、黎明期のいいところ。ネリーはほとんど苦労もないまま、ジャックと同等のスターになってしまいます。
そのジャックは、サイレントからトーキーへの転換に対応しきれず、時代に乗り遅れ没落していく。
演技の素養がないネリーも、トーキーでセリフが重視されるようになると、あっという間に落ち目に。
一方で、その転換期にアイデアでチャンスを掴んだマニーや、映画に音楽が必要とされたシドニーは、入れ替わりに表舞台に立っていく。
そんな栄枯盛衰…なんだけど、本作は群像劇としては決してスマートとは言えないんですよね。
それぞれのストーリーが全速力で走っていく、そのペースもやっぱり自由で。
きれいに繋がっていくと言うよりは、あっちこっちゴツゴツぶつかりながら、ぎこちなく進んでいく印象です。
キャラクターごとに多くのエピソードが連なっていくのだけど、興が乗ると長くなっていき、脱線するように膨らんでいく。
ネリー大暴走で終わるパーティーのシーンとか、そこだけホラー映画みたいなギャングの一連のシーンとか。全体のバランスよりもその場のノリを優先して、エスカレートしていきます。
だから、それぞれのエピソードは非常に面白いんですけどね。
ギャングのドタバタシークエンスから切り替わって、ジャックのキャリアをめぐるシリアスなエピソードに繋がったりするので、観てると分裂的な気分になってくる。
「緻密な構成美」なんてものからは程遠い映画だと思います。
でも、自由で猥雑なカオスが描かれてきたという点では、統一が取れていると言えるかもしれない。
④「大きなものの一部になる」という夢
そんな混沌の中でもテーマとして浮上するのは、ネリーと出会った時に語られるマニーの夢。
「何か大きなものの一部になりたい」ということ。
映画を、あるいは音楽を、芸術を、多くの人々が連綿と築いてきた「大きなもの」と捉えて、その「一部になること」を個人の成功を超えた至上価値とする考え方。
これは、思えばデイミアン・チャゼル監督がこれまでも描いてきた価値観でした。
「セッション」はまさに、虐待のようなシゴキにあって、心身ともに破壊されてもなお、ジャズのために奉仕することに至上価値を見出す映画だったし。
「ラ・ラ・ランド」でも、男女が結ばれることをハッピーエンドとするのではなく、それぞれ映画や音楽の道に生きていくことを選んでいました。
「ファースト・マン」は芸術ではないけれど逆に顕著で、宇宙開発を人類全体が奉仕すべき「大きなもの」と捉えて、個々の宇宙飛行士はあくまでもその「一部」に過ぎないのでした。
時代遅れになり、失意のジャックはジャーナリストのエリノアからそれを諭されます。あなたの時代は去ったけれど、あなたの映画は永遠に残る。それを感謝しなさい、と。
ジャックはその言葉に納得するのだけれど、ジャック自身はその後、自ら命を絶つんですよね。
本人にとっては、完全なバッドエンド。それでもなお、ジャックは「映画という大きなもの」の一部になれたという見方をすれば、ハッピーエンドでもあるんですね。
⑤過去から未来へと続く「映画という時空」
時代が1952年に移って、すっかり落ち着いて妻も子もあるマニーは旅行でハリウッドにやって来て、映画館で「雨に唄えば」を観ます。
サイレントからトーキーへの転換期のドタバタを描いたMGMミュージカルの代表作「雨に唄えば」ですが、それを観ているマニーのトリップはただ過去の回想だけにとどまらない。
チャゼル監督お得意の、数分間のミュージカル的シークエンスに突入していきます。テーマは映画史タイムトラベル。
「NOPE/ノープ」にも出てきた「走る馬」に始まって、伝説的な「列車の到着」から、「月世界旅行」「アンダルシアの犬」「オズの魔法使」「2001年宇宙の旅」「レイダース」「トロン」「ターミネーター2」「ジュラシック・パーク」「マトリックス」「アバター」など。
サイレント時代どころか、劇中の現在である1952年も遙かに行き過ぎた近年の映画が次々に登場します。
いわゆる映画史的な高尚な作品より、いかにもチャゼル自身が少年期に親しんだような、ベタなヒット映画が多いのがご愛嬌ですかね。
あえてマニーのストーリーも逸脱してしまってて、メタというか楽屋落ちというか、時空を超えたトリップ。
映画史というメタ時空の旅。サイケデリックなのは、「2001年」のスターゲートも意識してるんでしょうか。
ここでチャゼルが(劇中の時空を捻じ曲げてまでも)試みたのは、マニーがその一部になりたいと語っていた「映画という大きいもの」を可視化すること、だったのでしょう。
一人一人は消えても、映画は残る。
サイレントの時代が去り、その時代の俳優たちが消えてしまっても、彼らが映った映画は残る。そして、その先も様々に形を変えながら(トーキーとか、カラーとか、シネラマとか、SFXとか、CGとか)、いつまでも続いていく。
それが「何か大きなもの」。その一部になることは、個人の人生を超えた喜びである…ということ。
本作は、「セッション」以来チャゼル監督が描いてきたこのテーマの集大成と言えるのかもしれません。
そこは伝わりましたけどね。ただやっぱり、現代の映画のコラージュを見せられるのは唐突だし、監督の自我が前に出過ぎだし、いびつな映画であることは否めない感があります。
⑥「ラ・ラ・ランド」と「バビロン」
「ラ・ラ・ランド」のラストが大好きです。
「あり得たかもしれないけれど、選ばなかった世界」を一瞬の夢として描いたあのラストは、時間の流れや運命というものを「個人の力では抗えない、何か大きなもの」と捉えているという点で、本作における「映画」と通じるところがあります。
メロドラマ的なラブストーリーを描きつつ、「ラ・ラ・ランド」が斬新だったのは、そんなクールな肌触りのある世界観が大きかったのではないかなと思います。
選べたかもしれないパラレルワールドを見せる「ラ・ラ・ランド」のラストは、でも決して選び直すことはできない、永遠に失われた可能性の世界であって。だからとても切ないのだけれど。
でも決して投げやりな気持ちにはならないのは、取り戻せない運命の中で懸命にあがき、必死で生きる人々の姿が前面に出ていたからだと思うんですよね。
「バビロン」で残念だったのは、ラストのシークエンスによって、そんな「人」の存在感が消されてしまっていたこと。
ターミネーターとかアバターとか、それまでの流れと何の関係もないブロックバスター映画の存在感が前へ前へと出てきてしまって。
一回だけの人生を懸命に生きたネリーやジャックの存在は、すっかりかき消えてしまっていた。
個人的には、ネリーが自らの意思で闇の中へ歩いて消えて行った、あのシーンがラストシーンだった方が、好きだったかもしれないな…なんてことを思いました。
テーマは伝わらず、カオスの度合いは更に増したかもしれないけど。
今回の広告ではほぼ黙殺されている、チャゼル監督の前作。ストイックでいい映画。
ブラッド・ピットとマーゴット・ロビーとハリウッド。さほどの既視感も感じさせないのは、さすがなのかも。
音楽が似てるのも結構気になったなあ…