First Man(2018 アメリカ)

監督:デイミアン・チャゼル

脚本:ジョシュ・シンガー

原作:ジェイムズ・R・ハンセン

製作:ウィク・ゴッドフリー、マーティ・ボーウェン、アイザック・クラウスナー、デイミアン・チャゼル

製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、アダム・メリムズ

音楽:ジャスティン・ハーウィッツ

撮影:リヌス・サンドグレン

編集:トム・クロス

出演:ライアン・ゴズリング、クレア・フォイ、ジェイソン・クラーク、カイル・チャンドラー、コリー・ストール、キアラン・ハインズ、パトリック・フュジット、ルーカス・ハース

 

①「ライトスタッフ」の話

いきなり違う映画の話ですが、僕は「ライトスタッフ」(1983)という映画が大好きなんですよ。オールタイムベストと言っていいくらいで。

それ以来、「宇宙開発もの」は大好物になっています。

 

「ライトスタッフ」はマーキュリー計画を描いた映画。今回の「ファースト・マン」はそれに続くジェミニ計画とアポロ計画を描いた映画なので、いわば「ライトスタッフ」の後日談に当たります。

 

アメリカの宇宙開発は、1959年のマーキュリー計画から始まります。そのきっかけは、1957年にソ連が世界初の人工衛星スプートニクに成功したこと。冷戦の真っ只中、ソ連に遅れをとってはならじとNASAが設立され、ソ連と競い合うようにロケット開発に突き進んでいくことになります。

マーキュリー計画は人間をカプセルに乗せて、ロケットで地球周回軌道まで打ち上げ、再突入して帰還させるもの。マーキュリー・セブンと呼ばれる7人が選ばれ、アメリカ初の宇宙飛行士になりました。

ソ連に追いつき追い越せだから、計画はいろいろと拙速で、飛行士の安全や尊厳も後回しにされがち。

そんな中でもパイロットとしての誇りを失わず、高い理想を持って命を賭ける男たちを描いて、大変燃える熱い映画になっているのが、「ライトスタッフ」でした。

 

この映画で知ったのは、「宇宙開発って面白い」ということ。

地球が開発され尽くした中で、残された最後のフロンティアが宇宙ですからね。スタートレックで毎回言ってたみたいに。

宇宙開発というのは、未知の領域を探検するその最前線だと言えます。

それは当然最新の科学、緻密な計算に支えられているんだけど。でも、すべてが初めて挑戦することだから、なんでもコンピュータ制御で安全快適、というわけにはもちろんいかない。

計算通りにいかないことの方が圧倒的に多い。しかもソ連との開発競争があるから、現場では結構「まあいけるだろ」程度の間に合わせだったりして、いちかばちかのバクチだったりします。

結局最後は、命知らずのパイロットが度胸で乗り切る力技だったりもして。最先端の科学と、やけに人間臭い個人の勇気に頼る部分が、ないまぜになった世界なんですね。

 

宇宙開発って、多額の国家予算が必要で、庶民の生活には直接関係ないことが多くて、批判もされがちなんだけど。

その根底には、未知の領域があれば探検して解き明かしたいと思う、人間の本質的な欲求がある。

そして、人間の力で不可能も成し遂げていけるという、面白みがある。

国家の威信だ科学の進歩だ…となんのかんの言っても、根底にあるのは「未知のところへ行ってみたい」「困難を成し遂げるのは面白い」という極めてシンプルな人間の思い。

だから、この分野はとても面白い。観ていて盛り上がるし、熱くなるものになっています。

 

…という宇宙開発ネタの話を、デイミアン・チャゼルが撮る。というのは、これは最高の取り合わせじゃないかと思ったんですね。

デイミアン・チャゼルは何よりも、アガる映画を作る人だから。「セッション」でも「ラ・ラ・ランド」でも、終盤に怒涛の盛り上げを見せて、大いに気持ちをアゲてくれる、そういう映画になっていました。

そういう人が、世紀のイベントであるアポロの月面着陸を描く。

そりゃもう大いに熱く盛り上がる、アガる映画になるに違いないと、激しく期待が高まったのです。

 

②月への飛行を疑似体験

長々と前置きを失礼しました。ここからが「ファースト・マン」の感想になります。

まずは何よりも、臨場感が素晴らしかったです。

IMAXで観ましたが、見事な臨場感。まるで同じ狭い宇宙船に一緒に乗っていて、月への飛行を一緒に体験しているような、凄まじいまでの臨場感がありました。

というか、今回は本当にそこに集中してる。

ステータスを臨場感に全振りした映画、という印象でした。

だから、その分犠牲になっているところもあるんだけど。それは後述します。

 

冒頭から、実験機で超高度を目指す飛行シーン。ニール・アームストロングが操縦する実験用飛行機の、狭いコックピットの中に視点が固定されています。

限られた視界、狭いコックピットに押し込められた圧迫感。閉所恐怖になりそうな密室感の中で、激しく視界が揺れる揺れる。

臨界を超えた実験機の、常軌を逸した振動。それが延々と続きます。

この映画、MX4Dで観ちゃダメだと思いました。絶対に酔う!

(それが好きな人には、最高に楽しいかもしれませんが。僕は無理だと思う…)

 

ロケットでなく飛行機で大気圏突破を目指す、超高度実験飛行。これ、前述した「ライトスタッフ」のクライマックスにも出てきます。

時代が宇宙開発に移り、取り残された感のある往年のパイロット、チャック・イエーガーが、誰にも注目されないまま、一人で自力で宇宙を目指す…というシーンです。

それと同じ飛行から始まるのは、「ライトスタッフ」へのオマージュなのかなと思います。

 

それ以降も、打ち上げられるロケットの先っちょについた小さなカプセル。入ったが最後身動きもできない、ほとんど棺桶みたいな狭苦しい空間にカメラを固定して、宇宙飛行士と同じ視点で描写されていきます。

狭い空間、小さな窓。秒読みが進み、エンジンが点火されて、激しい轟音と強烈な振動が湧き上がってくる。

そして、身動きもできないまま、圧倒的な力で上へ上へと打ち上げられる、強烈なGの感覚。

 

今回のポイントはここなんですね。宇宙飛行士の主観視点に寄り添って、宇宙飛行の疑似体験をさせること。

今やいろんなことが手軽に体験できる時代と言えるけど、さすがに宇宙飛行だけは、そう簡単には体験できない。未知の世界じゃないですか。

未知の世界を体験させるという、映画というメディアの基本的な素晴らしさ。それを全面的に感じさせる映画になっています。

 

クライマックスはもちろん、アポロ11号の飛行。そのほぼ全貌が、じっくりと描かれていきます。

月面着陸って、結局アポロ以来長らく実現されていないわけで。50年前の出来事と言っても、全然古びていない。最近の宇宙ステーションとかのミッションともまた全然違う、まさしく未知の体験なわけです。

それをこんなに鮮明に、まるで同じ着陸船に乗っているかのごとき迫真的な臨場感でもって、まるごと体験させてくれる。もうそれだけで、たまらないものがありました。

 

ずっと宇宙飛行士の視点にこだわってきたこの映画ですが、アポロ11号のシーンではそれが更に突き詰められています。

それまでの飛行シーンでは合間に差し挟まれていた、地上シーンが一切ない。

ヒューストンの管制ルームでモニターして、宇宙船に指示を与える地上スタッフたちのシーン。

自宅でテレビを食い入るように見つめて、夫や父の無事を祈る奥さんや子供たちのシーン。

街頭テレビやラジオなどを通して、世紀のイベントを固唾を呑んで見守る世界中の人々のシーン。

この手の宇宙飛行ものではつきものの、そういったシーンが完全に排除されています。

 

その結果、この映画は更にストイックに、「宇宙飛行そのもの」を生の体験として伝えるものになっています。

名声とか、国の威信とか、そういったものは関係ない。

家族さえもない。ただ、自分自身と、狭いカプセルで隔てられた圧倒的な宇宙があるだけ。

そんなむき出しの「体験」として、宇宙飛行が捉えられているんですね。

 

これ、本当に画期的だし、すごいと思いました。何度も鳥肌が立ちました。

特に終盤。宇宙船が月に近づいて、地上の人は誰も肉眼で見たことのない、「間近で見る月の光景」が小さな窓を埋め尽くす。

月地表への、着陸船の降下、着地。レゴリスと呼ばれる細かな砂塵に覆われた地表。

そしていよいよ、ハッチが開いて。

月の景色が広がるとともに、音が消える。宇宙空間の絶対的無音に包み込まれる、その感覚。

 

そこまで、徹底して狭いカプセルの中に限定して、息苦しい密閉感を強調してきた視界が、ここで一気に開けるんですね。

見渡す限り、どこまでも続く岩と砂の荒野。無人どころか、生命も水も空気もない完全な異世界。

地球の外側にある世界の、人間の感覚を超えた圧倒的な異質さ。そんな世界に身を置くことの、何とも言いようのない不思議な感覚。

そんな、月という異世界に立つことの「感じ」を、ありありと体験させてくれる。まるで本当にそこにいるように。

 

究極の臨場感で、月を体験させること。

「セッション」のラストの演奏シーンや、「ラ・ラ・ランド」のもしも世界のミュージカルに当たるのが、この「体験」なのではないかと思いました。

 

「ファースト・マン」と「宇宙兄弟」のコラボ映像。「宇宙兄弟」も「ライトスタッフ」の影響がありありです。

③あまりにストイックすぎる…?

で、ここなんですよね。この「体験」、僕は本当に最高だったんですけど。

果たして、一般の人にどれくらい伝わるのだろう?って思っちゃったのも事実なんですよね。

 

視点が本人に限定されていて、地上の視点がない、ということは。

ミッションの成功に一喜一憂する、わかりやすい視点もない、ということなんですね。

現場が困難に直面して、皆がドキドキハラハラしながら見守って。

「…こちらフレンドシップ。ミッションコンプリート」ってなったところで、息を呑んで見守っていた地上スタッフたちが一斉に「イエーッ」って喜びを爆発させる。

いちばん盛り上がるのはそういうベタなところだったりするじゃないんですか。この映画のクライマックスには、それがない。

 

だから、「ライトスタッフ」的なわかりやすい盛り上がりというのは、この映画にはあまりない。“アガる映画”ではないんですよね。

いや、アガることはアガるんだけど、すごく静かな…噛みしめるような。

それこそ一人で旅をしていて、ものすごく美しい絶景を目にしたとしても、イエーッとはならずに静かに感動を味わうじゃないですか。そんな感じ。

 

だから…なんていうんだろう、よりストイックで、より本質的な感動を描いていると思うんですよ。

仲間が喜んでるから、世界的な偉業だから、誰かの期待に応えたから、嬉しいわけじゃない。

誰かとの関係性の上にある感動じゃなくて。ただ、体験それ自体のむき出しの感動。

月に立ったこと、ただそれだけの感動を描いているわけだから。

 

そこが良かった!と僕は思ったんですが、わかりやすくはないんですよね。

淡々として、盛り上がらねえなあ!って思われる可能性もあるんじゃなかろうか…と思ってしまったのです。

 

いや、というのは、宇宙開発という分野って「理解してもらう」ってことが結構重要なファクターになっていて。

映画の中でも、宇宙計画がディスられるシーンがありましたよね。「俺たちは食うものにも困ってるのに、白人は月へ行く」とか言って。

「そんな無駄金使うくらいなら、住みよい街づくりに使うべきだ」とかね。

正論ですね。もっともなんだけど…。

 

それに対する一つの回答が、終盤に流れるケネディ大統領の演説なんだけど。

「未踏の地があれば行くんだ、困難だからこそやるんだ」って言う。でも、高邁な理念と目の前の現実というのは、いつの時代にもなかなか折り合わないもので。

だからこそ、宇宙開発は面白いっていうことが、できるだけわかりやすい形で伝わっていくことが大事だと思うんですよね。

そのためには、もうちょっとわかりやすい「イエーッ!」的な盛り上げがあっても、良かったんじゃないかな…という気も少しします。

 

素晴らしさを個人的体験で伝えようとしていることこそがこの映画の独自性だし、画期的なところだと思うんで、杞憂なら全然いいんですが。

④「普通の男」の物語

わかりやすく盛り上がらない大きな要因として、主人公であるニール・アームストロングその人もあります。

この人、真面目なんですよね。喜怒哀楽を表に出さない。ただ黙々と仕事に打ち込み、普段も無口で奥さんや子供ともあまり話さない。

月へ行く前に、「子供たちに何か話して」と奥さんに言われても、気の利いたカッコいいことは言えない。技術的なことを話して、「質問は?」とか言っちゃう。

記者会見でも、ジョーク一つ言わない。くそまじめなことしか言えない。

言っちゃうと、あんまり面白くない人なんですね。

 

彼がそういう物静かな人物なので、彼に寄り添った映画も自然と、物静かで淡々としたものになってしまいます。

理不尽に怒ったり、悲しみに震えたり、わかりやすく愛情を示したり、喜びを爆発させたり、しない。

そういう感情は全部あるんだけど、いかんせん控えめなのでね。物語をドラマチックにはしてくれないんですよね。

 

でも、そういう控えめな性格って、考えてみればごく普通のことですよね。

映画の主人公だからといって、いつもわかりやすく感情を表に出している方が、不自然なことであって。

真面目に仕事をする。当たり前に嬉しいことや悲しいことがあって、当たり前に喜びや悲しみを感じるけれど、それを人前に出すことはあまりない。泣くときは裏で、一人で泣く。

カッコいいことは言えない。ヒーローみたいにも振る舞えない。あくまでも、ごく普通の一人の人間として行動する。

 

人類の歴史に残る、ものすごい偉業を成し遂げた男が、面白くないくらいの普通の男であったということ。そこが今回の映画の、面白いポイントだと思います。

歴史的偉業から、長年の間にくっついた様々な虚飾を剥ぎ取って、一人の普通の男の個人的体験として、観客の一人一人に追体験させる。

それによって、今や歴史の中の虚構じみたできごととなっている「月面着陸」を、もう一度生の体験として捉え直す。そんな狙いを感じます。

 

宇宙へ行く「仕事」と並行して、奥さんとの微妙なすれ違いも描かれていきます。

幼い娘の死があって、仲間の宇宙飛行士たちの相次ぐ事故死があって。いつ夫を失うかわからない生活に、精神的に参っていく奥さん。

「ライトスタッフ」でも描かれていた、「パイロットの妻」の物語なんだけど。でもニールは、「ライトスタッフ」に出てきたパイロットたち以上に寡黙で、静かなんですよね。奥さんのジャネットがイライラしちゃうくらいに。

でもだからと言って、彼が冷血漢であるとか、鈍感であるとかいうわけでもない。ただ不器用で、表面的に飾って調子のいいことを喋ったりできない、というだけのことなんだけど。

彼は彼なりに、奥さんのことを深く思っている。そのことが、セリフのないラストシーンで静かに示されます。

 

宇宙の感動をじっくりと噛みしめるように感じさせるのと同様に、家族への思いや感情も、じっくりと滲み出るものをわからせていく。そんな映画です。

わかりやすくはない映画。しっかりと世界に入り込んで行かないと、感じ取れない映画かもしれません。

でも、そんな映画もヒットしてほしいなあ…と切に思っていて。わかりやすい映画ばっかり観てるとバカになるよ!と小声で言ってみたりして。

⑤映画館で観る価値、大いにあり

過去の「セッション」も「ラ・ラ・ランド」も、決してわかりやすい映画ではありませんでした。特に終盤、セリフで説明するのではなく、映像と音で雄弁に何かを伝えていく。そんな映画になっていました。

だから、本作も確かにデイミアン・チャゼルらしい映画になっていると思います。映画らしい映画。世界に入り込んで、言葉に頼らず感じる映画。

 

そんなわけで、観る前に期待していた「ライトスタッフ」のアガり方とはちょっと違ったのだけど、噛めば噛むほど味の出る、また別の味わいのある映画でした。

とにかく、アポロ11号の月への旅の映像は、たぶんこれ以上ない完璧さなんじゃないでしょうか。

そういえば、アポロ着陸は嘘だった!とかいうアホな陰謀論ってあるじゃないですか。僕はあれが本当に、大嫌いで。

あれが何かっていうと、結局は「想像力の欠如」なんだと思うんですよ。

自分の想像力の範疇にないことは、「そんなことできるわけがない」とか思っちゃう。ただ、自分の想像力が足りていないだけなのに。

でも、世界は、「そんなことできるわけがない」と思わない人たちが、進歩させてきたんですよね。ニール・アームストロングや、他のたくさんのパイロットたち、科学者や技術者たちのように。

本作は、陰謀論を信じちゃう人たちの想像力をも補うだけの迫真性を持っているんじゃないかと思います。

 

とにかく、これまた、映画館で観る価値が大いにある映画だと思います。皆さんぜひとも映画館で観ましょう!

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この映画のパンフレット情報はこちら。

 

 

 

 

 

 

 

アポロ11号のミッションを実際の映像だけで再現したドキュメンタリー映画。

 

 

マーキュリー7の宇宙飛行士からは、ガス・グリソムとディーク・スレイトンが本作にも出てきます。

 

 

同じマーキュリー計画を、裏方の女性の視点から描く映画。宇宙飛行士はジョン・グレンが登場。僕のレビューはこちら。