正方形の大判の判型。見開きがワイドで、とても見やすいです。
この見やすさを、サスペリアのパンフレット作った人は見習ってほしい。
36ページ、うち8ページだけモノクロ。モノクロ部分は紙質が違っていて、黒い紙に銀の印刷になっています。
ここも、きちんと黒に対して銀の文字が浮き立つので、見やすいです。
的確な紙の選び方。サスペリアのパンフレット作った人は…(以下略)
ストーリー紹介は年表形式になっています。
1961‥愛する娘との別れ
1962‥人類の長年の夢、月旅行へ
1964~65‥訓練&訓練&訓練……
1966‥死を覗き見たドッキング
1967‥アポロ計画最大の悲劇
1969‥”未知”へのカウントダウン
実際の映画、確かにこの通りでしたね。史実に忠実に進んでいく映画でした。
この年表には1968年がないんだけど、実際、映画にもほぼないんですね。アポロ2号から10号までの過程はほぼほぼ省略されています。
そこ、個人的には、もうちょっと描いて欲しかった思いはあります。月を歩かなかった多くの人々の努力があった上に、アポロ11号はあったわけだから。10号なんて月まで行って周りをめぐって着陸船の練習して着陸せずに帰ってるんですよ。
ライアン・ゴズリングのインタビュー。
「デイミアンから出演を打診された時は、まだ脚本も用意されていない状態だった」
クレア・フォイのインタビュー。
「宇宙から地球を見下ろして、『人間はなんてちっぽけなんだ』と感じている時に、愛する人のことを考えないはずはないわ」
ライターの村沢譲氏による月について、アポロ計画についての2本のトリビア記事。
映画に登場したところでは、月の表面がレゴリスという細かな砂で覆われていること、ジェミニ8号のトラブル、アポロ1号の事故、またアームストロングらが帰還後隔離された検疫についてなど、詳しく解説されています。
プロダクション・ノート。
この映画はジェイムズ・R・ハンセンの「ファースト・マン 初めて月に降り立った男」という、ニール・アームストロングの伝記を原作としています。
伝記の執筆を申し込んだハンセンに対して、アームストロングの許可が下りたのは2年後だったとか。本人は私生活を明かすことに対して極めて慎重でした。
むしろ、家族が乗り気だったとか。その辺の感じは、本作にニールの息子たちがカメオ出演していることからも伝わりますね。
ニール・アームストロングは2012年8月25日に亡くなっていますが、原作者のハンセンはその前にニールと深く打ちとけ合い、映画化の許諾も得ていたということです。
撮影中にスタッフたちが繰り返し口にしたのは、「今自分たちのポケットに入っているコンピュータの方が、月面着陸に使用されたコンピュータよりも強力」という言葉でした。
実際、アポロに搭載されたコンピュータは16ビットで、現代のスマホどころかファミコンより性能は劣っていました。
「狂気の沙汰とも思えるほど無謀な計画にとにかく驚いた」とチャゼル。
この頃の宇宙計画の、ソ連に負けてはならないがための無茶なやったれ感、まあなんとかなるだろう感は、本当に見ていてびっくりするしめちゃくちゃ面白いところなんですよね。
製作のゴッドフリーのバズ・オルドリン評。
「バズには短気なところがあって、そのせいで人の神経を逆なでしてしまう。だが、彼はただ桁違いにユニークな人物というだけなんだ。バズが登場するまで、本作に出てくる宇宙飛行士たちは冷静で落ち着いたタイプばかりだったが、そこに個性の強い彼がパワー全開で現れ、均衡を崩すんだ」
確かに。バズ・オルドリン、そんなに多くの出番じゃなかったけど、「月面一番乗りはアームストロングの方だな」と思わせる人物ではありましたね。
宇宙飛行士の山崎直子氏のコラム。こういう映画には、やっぱり宇宙飛行士の視点が欲しいですね。
アームストロングが愛娘を病気で亡くしていたこと、その直後の面接で娘の死の影響を問われ、「影響を与えるだろう」と正直に答えるシーンが、印象に残ったそうです。
山崎直子さんも、宇宙飛行した時、まだ小さい子供達の母親だったんですよね。その辺りから、共感を感じたのかなと思います。
戦史研究家、白石光氏のコラム「宇宙飛行士の光と影〜リアル・アメリカン・ヒーローたちの実像」。
ソ連との政治的な競争の側面と切っても切り離せない、アメリカの宇宙開発の歴史について、テストパイロットが選ばれた経緯、ヒーローとして扱われていった理由など、詳しく解説されています。
「ライトスタッフ」でも描かれているところですね。マーキュリー〜ジェミニ〜アポロはアメリカの栄光でもあり、冷戦時代の喧騒でもあり。
その後、冷戦の終結を経て、民間人を含め宇宙飛行士の形態が多様化していき、現在に至る…というところまで、わかりやすいです。
デイミアン・チャゼルのインタビュー。
宇宙に強い思い入れはなかったから、本作のオファーを受けるのは躊躇したそうです。
ここまでの題材…ジャズ、そしてミュージカルはまさに思い入れバリバリの題材だったはずだから、本作は彼にとっては初めての大きな転換と言えるかもしれませんね。
「ゴズリングはニール役の第一にして唯一の候補だったから、彼がいなかったらこの作品は作れなかった。でも、彼と話していると話が脱線して、いつの間にかジーン・ケリーや『雨に唄えば』についてなど、全く別方向の話になって……それで、『ラ・ラ・ランド』を先に撮ることになったんだ」
…やっぱりなあ…。
「あのシーン(ニールが月へ出発する前夜に子供達と話すシーン)はすべてアドリブで撮影し、何度となく話し合い、改良や進化を遂げている。子供達とニールが握手とハグで終わるところは、ゴズリングの提案によるものだ。ジャネットがニールを説得して子供達に事情を説明させたというのは実際にあったことだが、具体的にどのような会話が交わされたかについてはわからない。ニールの息子のリックとマークにも協力してもらったが、二人とも当時の記憶に違いがあるんだ」
「本作では、視覚効果にはできるだけ頼らず、可能な限り実際に起きたことを撮影する、ということにこだわった。俳優たちは、実物大の宇宙船のレプリカに乗って、窓からLEDスクリーンに映し出される実際の映像を見るんだ。僕たちは16ミリフィルムの超小型カメラで、俳優たちが感じている通りの体験をとらえていく」
「それこそ、僕が宇宙を表現する時に何より念頭に置いていたことだ。俳優たちの視点と完全に一体化させたかった。できるだけ彼らが見ているものだけを映し、見ていないものは映さない。観客には、未知の領域に繰り出す恐怖や、当時の宇宙船の恐ろしいほどの窮屈さや壊れやすさを感じてもらいたい」
町山智浩氏のレビュー「”静かすぎる男”との一体感を生む撮影と音楽」。
これ、まさしく上のチャゼルの狙いを観る側の視点で捉えたレビューになっていました。
「そんな(喜怒哀楽を表に出さない)主人公に観客を感情移入させるため、デイミアン・チャゼル監督はどうしたか。映像によってニールを無理やり体験させたのである」
宇宙飛行シーンだけでなく、ニールの家庭生活シーンも16ミリで、あえてホームムービーのように撮られており、完璧な構図を外し、なんだったらピントも外して撮影されているそうです。よりリアルに、作り物でない映像に見せるため。
また、音楽でもあえて1969年当時のテクノロジーが使われていて、例えば60〜70年代のアナログ・シンセサイザー。
それに、エンディングでも流れるテルミン。宇宙といえば、これですね。
最後に、映画には幼い姿で登場しているニールの二人の息子、リック&マーク・アームストロングのインタビューもあります。
二人とも映画に出演もしていて、マークは管制室の職員として、母ジャネットとの通信を断つ役割を演じていたそうです。
「アポロ11」は、実際のアポロ計画の映像だけで構成されたドキュメンタリーです。これも実物!