November(2017 ポーランド・オランダ・エストニア)

監督/脚本:ライナー・サルネ

原作:アンドルー・キビラーク

製作:カトリン・キッサ

撮影:マート・タニエル

美術:ヤーグ・ルーメット、マティス・マエストゥ

編集:ヤロスラフ・カミンスキー

音楽:ミハウ・ヤツァシェク

出演:レア・レスト、ヨルゲン・リイイク、ジェッテ・ローナ・ヘルマーニス、アルボ・ククマギ、ディーター・ラーザー

①エストニア映画!

昔々、エストニアの寒村。貧しい人々は悪魔を騙して手に入れた魂を農機具に宿らせた使い魔「クラット」を使って互いに盗み合い、何とか暮らしていました。11月の死者の日、死者が帰ってきて家族と一緒に食卓を囲み、サウナに入ります。農夫の娘リーナ(レア・レスト)は村の青年ハンス(ヨルゲン・リイイク)に思いを寄せていますが、ハンスはドイツ人男爵(ディーター・ラーザー)の娘に恋をして、悪魔と取り引きしてしまいます…。

 

エストニア映画です。初めて。

エストニア…くっきりとイメージできる人は少ないと思いますが。

バルト三国。旧ソ連でロシアと国境を接してるので東欧ですが、フィンランドと海を挟んでお隣なので北欧でもあります。

歴史的にドイツとのつながりが強く、映画にもドイツ人の貴族に庶民が支配されている様子が出てきていました。

 

首都はタリン。映画「テネット」で中盤のカーチェイスの舞台になっていたのがタリンです。

あれを見ると都会ですね! エストニアはSkypeの故郷で、IT先進国だそうです。

本作は昔々の農村なので、寒々しい荒涼とした風景しか出てきませんが。

 

中世の農村の貧しい生活を、ハイコントラストなモノクロの美しい映像で捉えた作品です。

リアルな世界観ではなく、魔法が生きていて、死者や精霊や悪魔が当たり前のように庶民の生活の中に混じっている、マジックリアリズム

土着的でありつつ詩的でもある、非常に独特な美しいイメージに満ちた映画になっています。

 

②予想のつかないミクスチャー感覚

冒頭いきなり、木の棒を組み合わせて作られた「クラット」ががっしゃんがっしゃん回転しながら歩いてきて、牛を盗んでいく様が描かれます。

自身を回転させてヘリコプターみたいに空を飛び、牛を空中にぶら下げて運んでいく。

ぶっ飛んだ光景に呆気に取られていたら、ロックな書き文字で「NOVEMBER」とタイトルが出ます。

一瞬で引き込まれる、めちゃカッコいいアバンタイトルです。

 

CGでなく、ワイヤーで操られたクラットはリアルな寒村の風景に妙に馴染んでいて、まるでお地蔵さんのように当たり前にそこにあるように見えます。

仕事を求めて、満たされないと主人の顔に唾を吐くクラットは、飯を食いサウナに入る死者たちや、騙されやすい悪魔と同様、どこか漫画的にさえ見えるユーモアで描かれています。

一方で、農民たちの極貧生活を描くドキュメンタリータッチの部分、静謐なアート映画の部分、グロテスクなホラー映画調の部分も共存していて、予想のつかないミクスチャー感覚が本作の特徴であり、魅力になっています。

 

その世界観は、鬼や妖怪が生活の中に入り混じる昔話の世界。

「妖婆 死棺の呪い」なんかも思い出しますね。水木しげる的世界観。

キリスト教の厳密にルールが決められた世界観以前の土着的な世界の見え方は、世界の果てのようなヨーロッパも日本も、変わらないのだと思わされます。

③世界に共通する庶民の死生観

死者の日には、人々はお墓にロウソクを供え、死者たちはそれを目印に帰ってきます。

帰ってきた死者たちはそれぞれの家に迎えられ、食事を共にし、サウナに入ります。

死者が里帰りする風習はまさにお盆ですね。日本のお盆も、かつてはこんな雰囲気だったのかもしれない…。

死者の里帰りは「リメンバー・ミー」でも描かれていたし、タイの「ブンミおじさんの森」にもありました。

こうなると、死者への考え方は世界中みな同じ。むしろ、キリスト教の考え方こそが異端であるようにも思えてきます。

 

一方で、サウナに入った死者たちは、巨大なニワトリの姿になります。

それは、死者たちの本当の姿ということでしょうか。シュールだけど、なんだか意味はわかりません。

リーナの家が常に屈んでないと暮らせないほど天井が低いのも、大事なものを床下にしまってるのも、エストニアの風習なのか、この映画独特のファンタジーなのか、判別がつかない。

異境の世界ならではの、現実と虚構が入り混じる感覚は、東欧のどこかが舞台の「異端の鳥」とも共通しています。

 

十字路で悪魔と出会うのはロバート・ジョンソンのブルースで、クロスロード伝説はアメリカのイメージ。でも、ヨーロッパに古くから存在したんでしょうね。

日本にも四つ辻が魔界に通じる伝承はあります。

木の実を使った悪知恵で悪魔を騙すのも、各地のとんち話でよくあるパターンですね。

常にゲラゲラ笑っている本作の悪魔は明らかに狂っていて、ユーモラスであると同時にとても怖いものになっています。

 

怖いといえば、疫病のイメージ。

昔の人々にとって最悪の凶事だったペストなどの疫病は、本作では人間や山羊の姿になって、人々のもとを訪れます。

それに対抗するのが、「パンツを頭からかぶって尻が二つあるように見せる」というのも強烈ですね。

滑稽な迷信の世界なんだけど、疫病は実際に人々を有無を言わせず殺していくのだから、シリアスな恐怖でもあります。

コロナ禍を思えば、人の恐れるものは今もまだ変わっていないともいえますね。

④中世でも自由を志向する若者たち

そんな世界観の中で、芯となるのはラブストーリー

貧しい娘リーナと、彼女が片思いを寄せるハンス。しかしハンスは男爵の娘に夢中…というすれ違いストーリーが描かれます。

リーナは魔女に頼んで男を振り向かせようとするし、男は愚かにも悪魔に魂を売って、自ら破滅に向かいます。

非常に古典的な、シェイクスピアのような典型的な悲劇。

 

ストーリーは古典的なんだけど、本作にはやはり現代的な感覚があって、それは映画が古めかしい教訓に向かわないから…かもしれません。

リーナもハンスも、封建的な世界の中でそれに従属することなく、自由に生きています。たとえ、それによって破滅するしかないにせよ。

リーナは父の決めた豚のような男と結婚させられそうになるのだけれど、頑として拒んで逃げ出します。

愛のためなら、先祖の宝も平気で売り払う。田舎の村の土着的な因習がどっぷり描かれるからこそ、その中で抗うリーナのワイルドな美しさが際立ちます。

 

ハンスは雪だるまに魂を宿らせて、雪だるまがかつてヴェネチアの運河の水だった頃のロマンチックな物語を聞きます。

ゴンドラの上の悲恋。汚らしく溶けていく雪だるまが語るラブストーリーはこの上なく美しいシーンです。

これ、悪魔に魂まで売り渡してるのに、ハンスにとって実利は何もないんですよね。ただロマンチックな話にうっとりするだけ。

でも、そんなふうに命と時を浪費することが、自由というものなのかもしれない。

 

リーナはたびたび全裸で雪の上を転げまわり、狼と相似形に描かれる。彼女は人狼であるように見えますが、それははっきりとはされていません。

リーナの母親が死者の日に帰ってきても歓迎されない雰囲気なのは、彼女が人外だから…でしょうか。

リーナが人狼であることは、彼女がつがいの相手を狂おしく求めることの根拠であり、メタファーであるように見えます。しかし、ハンスは愚かな人間であり、それをまったく理解しません。

 

滑稽とも言えるような馬鹿なすれ違いの果てに、悲劇を迎えるリーナとハンス。

氷の池にリーナが沈んでいく場面は、ビル・エヴァンスのアルバム「アンダーカレント」のジャケットですね。この上ない美しさ。

死の世界に触れ、宝物と共に帰還するのも、昔話のオチの定番と言えますね。

⑤美しい絵と、触発される映画の記憶

本当にハッとするような、美しい絵に何度も出会える映画でした。

真っ白に飛んでしまうギリギリまで明るく撮影された、雪と氷と水の映像。

流れる水のイメージは、タルコフスキーを思い出させます。

クラットの表現はいろんなところで言われてるけど、東欧の伝統とも言えるシュヴァンクマイエルのモデルアニメーションを連想させますね。

 

月の美しさ。夜の森の美しさ。

不気味でグロテスクな恐怖と、美の共存。

ボロボロの服を着て、歯の抜けた貧乏な老人たちの姿は、醜さの中に逆説的に美を見出すデヴィッド・リンチの作風も思わせます。「イレイザーヘッド」や「エレファントマン」のモノクロ。

モノクロによる醜悪さの強調は、「ライトハウス」も連想しました。ホラーを基調にした構成は、A24的でもあります。

 

そんな様々な映画的連想を触発しつつ、そのどれともまた違う、独自の映像世界を構築しています。

独創性がすごい。観る価値ある映画だと思います。オススメ。

 

連想した映画その1、ウクライナが舞台の妖怪映画。

 

連想した映画その2、東欧のどこかが舞台のダークファンタジー。

 

連想した映画その3、灯台守のむさい男2人の密室劇。

 

 

その4とその5、デヴィッド・リンチの初期モノクロ作たち。

 

 

 

キービジュアルはこれを連想する人が多いんじゃないでしょうか。ジャズの名盤。