The Painted Bird(2019 チェコ、スロバキア、ウクライナ)

監督/脚本/製作:ヴァーツラフ・マルホウル

原作:イェジー・コシンスキ

撮影:ウラジミール・スムットニー

出演:ペトル・コトラール、ウド・キア、レフ・ディブリク、ステラン・スカルスガルド、ハーヴェイ・カイテル、ジュリアン・サンズ、バリー・ペッパー

 

①シビアだけれど力強い東欧映画

「ジョーカー」が金獅子賞をとった2019年のヴェネチア国際映画祭に公式出品された、チェコ・スロバキア・ウクライナ合作映画。

そうか、チェコとスロバキアは別の国なんだよな…なんてことも思いつつ。

 

ヴェネチアでは途中退席者続出、だとか。おお、ラース・フォン・トリアーでよくある惹句。

でも終了後にはスタンディングオベーションが起きたそうです。

 

モノクロで、2時間50分の大作。

ホロコーストをテーマにしていて、迫害を逃れて疎開したユダヤ人の少年が故郷を目指して旅をする途上、いろいろな大人たちに出会い、悪や残酷に直面していく。

 

この少年が行く先々でとことん迫害され、ひどい目にあい続けるので、その辺りが観ていてしんどい、途中退席者続出!ってところかなと思います。

でも、決してトリアー的な、悪趣味を見せつける映画ではなかったですよ。

あくまでも真面目に、差別と偏見による不寛容や暴力を描いていく作品です。

確かに残酷なシーンは多いけれど、不快に感じるような要素はそれほどないと思います。

 

少年が次々と出会っていく人ごとにチャプターが分かれていて、オムニバス的な構成になっています。だから長いけど見やすい

東欧映画だけど、ハーヴェイ・カイテルやステラン・スカルスガルド、ジュリアン・サンズなどハリウッド映画でもおなじみの俳優たちが出ているのもとっつきやすいですね。

非常にシビアで暗く、重苦しい作品ですが、でも気の悪い陰鬱な映画ではないし、ユーモアや美しさを感じる部分もありました。

とにかく見応えのある、パワフルな映画だったことは確かだと思います。

②シュールな悪夢から現実の恐怖へ

前半と後半で、かなり印象の異なる映画でもありました。

前半は非常に、マジック・リアリズム的というか。

 

いつ、どことも定かでないような、どこかSF的な異星の風景にも見えるような、荒寥とした世界から映画は始まります。

風がびゅうびゅう吹きすさぶ、荒野の中の一軒家。そこで老婆と二人きりで暮らす少年。

冒頭で少年が抱いて逃げていて、焼かれてしまう小動物が「何の動物なのかよく分からない」というのも、異世界感を補強しています。

 

老婆が死んで、一人で村へ行った少年は村人たちに、不吉な存在として忌み嫌われ、迫害されます。

少年は悪魔だと告げた魔女のような老婆が少年を引き取り、悪魔払いの助手として同行させることになります。

 

グリム童話の魔女のような不気味な老婆。

疫病もまじないで治療する、中世のような世界。

ポーの詩から出てきたような大鴉

まるでダーク・ファンタジーのような、現実離れした異様な世界です。

第二次大戦の頃の東欧のど田舎の、これがリアルな姿なのかもしれないけど。

チェコとかスロバキアとかウクライナとか、あまりにも遠くて馴染みがなさすぎて、最初から異世界みたいだ…というのもありますけどね。

本作は場所を特定させないために、インタースターヴィクという人工言語が使われているそうで、そんなこだわりも異世界感に貢献していると言えます。

 

この後も、使用人の目玉をくり抜く主人とか、鳥をとって暮らす男とか、全裸で荒野から現れるドワーフかホビットみたいな女とか、異世界的な光景が次々と描かれていきます。

この雰囲気が、中盤以降ちょっとずつ変わっていきます。

ナチスが出てきて、ソ連軍が出てきて。寓話から、より現実的な恐怖へと変わっていくんですね。

 

これはつまり、少年はナチスを逃れて田舎の村へ疎開していたわけなので。

まるで中世のような辺境地帯から、徐々に現代的な都市部へ。

地理的な移動を表すと共に、まるで時間も過去から現代へ移動するような、一種異様な摩訶不思議なロードムービーになっているというわけです。

 

東欧の辺境地帯はまさにうなされて見るシュールな悪夢のようで、これは悪夢の世界から現実へ、少年が帰ってくる物語とも言えますね。

帰ってきた現実も、また悪夢なんだけど。

前半のシュールな悪夢から、よりシリアスで逃げ場のない悪夢へ、恐怖の位相が変わるとも言えます。

 

僕は前半のシュールな雰囲気が好きすぎて、後半ちょっと物足りなく感じてしまった…というところもあるんですが。

そこは意図的な構成なんでね。緻密な狙いのもとに組み立てられた映画だと思います。

 

③異質なものを排除する生き物の性

本作は少年の受難の物語。

少年が旅をしながら、ありとあらゆる理不尽な暴力、残酷、差別に直面していく物語です。

その過程で、人間の持つ様々な悪徳が陳列されていきます。

 

行く先々で、それは様々な形をとります。

田舎の人々が異分子を攻撃し排除する、田舎根性であったり。

共同体がそこに属さない人を排撃する心理であったり。

自分の欲望のために相手を支配下に置こうとする支配者意識であったり。

特定の民族を理由もなく下に見る差別感情であったり。

 

それはでも、少年にとっては、まるっきり理由がわからない。ただ理不尽で不条理な暴力です。

なんで僕をこんな目にあわせるの?という、少年の素朴な疑問が全体を貫いていて、大人の世界に満ちた暴力の無意味さがあぶり出されていく。

 

田舎の人々がよそ者を嫌う心理から、大規模なホロコーストまで。共通するのは、異質なものを憎み排除しようとする人間の生理ですね。

それは、タイトルにもなっている、ペンキを塗られた鳥のエピソードで寓話的に示されています。

 

鳥の羽根にペンキを塗って、仲間の群れの中へ返すと、ペンキを塗られた鳥は寄ってたかって攻撃され、殺されてしまう。

群れに紛れ込んだ異質なものを攻撃するのは、人間のというよりむしろ生物の本能なんですね。

文明を得た人間はそこから脱却すべきなのに、いまだに鳥の群れと変わらない。そんな皮肉が、込められています。

 

少年は殺された鳥を悲しみ、拾い上げていつくしみます。

ただペンキを塗られただけで、鳥の本質は仲間と何も変わらないのに…という思い。

どうしてこんな残酷なことをするんだ…という心からの疑問。

そんな素朴な問いかけが、少年を取り囲む大人たちの世界に投げかけられていきます。

④動物への残酷と人への残酷

本作にはいろんなイメージの繰り返しがあって、強く惹きつけられるんですが、その一つに繰り返し描かれる動物たちの死、があります。

 

冒頭の、理由もなく生きたまま焼かれる小動物。

上記した、ペンキを塗られて仲間に殺される鳥。

足を折ったので、村人によって殺される馬。

少年によって木に吊るされ、首を切られるヤギ。

 

次々と描かれていくのは、要は動物たちへの残酷な虐待行為

家畜として理由のある死もあれば、戯れにただの遊びで殺されるのもある。

目を背けたくなるんですが、本当は日常的に肉食ってる時点でこういう残酷は人ごとじゃないんですけどね。

 

これも根底にあるのは、それらの行為に直面した少年の、「かわいそう」「どうしてそんなことをするの?」という素朴な感情。

それに対して大人は、様々な理由をつけていく。家畜として役に立たないからとか、苦痛を取り除くためだとか、害獣だからとか、怒りのためだとか、面白いからとか、それこそ食うためだとか。

様々な理由や理屈があって、その理屈の中には一般的に妥当とされるものもあればされないものもあるのだけれど、どっちにしろ少年の素直な感情と素朴な疑問に答えているかと言えば、それは疑問だったりします。

 

そしてその関係はそのまま、人間同士の残虐行為にも重ねられていきます。

不吉だからとか、悪魔の子だからとか、ユダヤ人だからとか、ジプシーだからとか、異教徒だからとか、ナチスだからとか、コサックだからとか、共産主義者だからとか。

様々な理由、理屈がつけられるけれど、それは結局のところ「かわいそう」「どうしてそんな残酷なことをするの?」という疑問の答えになるわけじゃない。

 

ホロコーストにしても、戦争での残虐行為にしても、それにはこういう歴史的経緯があって、こういう民族的・宗教的な理由があって…と学問的に理屈をつけられていくわけで。

そしてそんな無意味で悲劇的な行為が、人類の歴史の限り続けられてきた。

それに対して抵抗するには、それこそ理屈以前の、少年の「かわいそう」という感情に立ち返るしかないんじゃないか…なんてことを思いました。

⑤少年の「成長」と、美しいラスト

殺される動物に涙を流していた少年も、過酷な環境で生き延びる中で、生きるための残酷さを身につけていきます。

性的虐待をした男をネズミの穴に叩き込み。

意地悪な女にはヤギの頭を投げつけ。

老人を背後から殴って金を奪い。

ユダヤ人だからと侮辱した男は容赦なく撃ち殺します。

 

この状況で生きるために、それは仕方のないことではあるけれど。

でも、残酷行為に「生きるために仕方ない」という理屈をつけた時点で、少年も晴れて「あっち側」の仲間入りですね。

こうして、誰もが残酷な世界の一部になっていく。

 

虐待されて泣いてばかりいた少年が、生きるための狡猾さを身につける。

それは確かに「成長」だけれども、しかしあまりにも悲劇的な成長ですね。

映画はそんなふうにどこまでもシビアに、残酷な世界を描き切るのですが、最後の最後には救いがあります。

 

父親と再会したけれど口を聞くこともなく、憎しみだけをぶつける少年。

そりゃまあ、親が少年を一人あんな魔境へ追いやったせいで、あれほどの目にあってきたのだから、それも無理もない。

でも最後、故郷へ向かうバスの中で、疲れ切って眠る父親の腕に残る強制収容所の刻印を見た少年は、そこで初めて自分の名前を取り戻します。

 

長い長い悪夢の旅からの、これがようやくの帰還の瞬間ですね。

ずっと魔境をさまよってきた少年が、遂に故郷に、現実に帰れた瞬間。

 

そこで流れ出す音楽のカタルシスと言ったら…!

そう、本作は、これだけシビアで重苦しい作品でありながら、最後の最後はハッピーエンドなんですよね。

 

延々と残酷を見せつけられるので、観るのがしんどい作品ではありますが、最後にたどり着く境地は素晴らしい美しさでした。

一度は観る価値のある作品だと思います。