Eraserhead(1977 アメリカ)

監督/脚本/製作:デヴィッド・リンチ

ジャック・ナンス、シャーロット・スチュアート

 

 

①意外と笑える?

 

監督デビュー50周年(短編から数えてますね)とのことで、「デヴィッド・リンチの映画」というイベント上映が行われていました。大阪のシネマート心斎橋です。

僕はリンチの大ファンなので片っ端から観たい!ところですがそんな時間もないので、とりあえず劇場で観たことのない「イレイザーヘッド」を観てきました。

1977年公開のリンチの長編デビュー作。全編モノクロでシュールなイメージが全開の、正真正銘のカルト作品です。

 

今回の上映は4Kデジタル復元版とのことで、確かに40年前の作品とは思えない、くっきりクリアーな映像でした。劇場で観ると、やはり音響に圧倒されますね。イレイザーヘッドはほぼ音楽というよりノイズなのですが、お腹に響く強烈なノイズが味わえます。

 

もう一つ、映画館で他のお客さんと一緒に観て意外だったのは、結構みんな笑うんですよね。

ヘンリーが部屋を出て行こうとするたびに赤ん坊が泣いて呼び止められる…というのを2回繰り返すシーンとか、メアリーがベッドの中でヘンリーを蹴飛ばしてくるシーンとか、結構大きな笑い声が起きていました。確かにその辺、リンチはユーモアを込めて撮っていますが、基本全編のイメージはホラー調で陰鬱だし、あまり声を出して笑うというイメージじゃなかったので、意外な感がありました。

 

考えてみれば、このユーモア感覚。のっけからシュールなイメージが展開され、モノクロの陰々とした画面が続き、音楽の代わりにノイズが鳴り続ける映画ですらお客さんを笑わせることのできるユーモア感覚こそが、基本アートであるデヴィッド・リンチの映画が人気作として一般公開されている、その秘密なのかもしれません。

 

②アートとユーモアの絶妙なバランス

 

リンチの映画って、基本的な作りとして「まずアート」だと思います。ドラマ映画を作ってそこにアートの味つけを加えてる…っていうんじゃなくて、初めから映像と音とストーリーの融合によるアート作品を作ることを目指している。自分のイメージするアートを完成させるにあたって、その要素として必要だからドラマを語っている。そんな印象を受けます。

 

しかしそのドラマの部分で、実はとても上手なんですね。非常に堅実な語り口で、ストーリーをわかりやすく語ることができる。シュールで難解と言われることが多いけど、ドラマ部分でわからなくなることはほとんどないと思います。

このイレイザーヘッドでも、主人公ヘンリーが振られたと思っていた元カノのメアリーに呼び出され、奇形の赤ん坊を押しつけられて消耗し、向かいの部屋の女に欲情したあげく、精神が崩壊する……というメインストーリーについては、概ね戸惑うことなく理解できるようになっています。

リンチが時に引用する、ハリウッド黄金時代の様式的な作劇。ドラマ部分ではそれをしっかりと踏襲していて、誰にも伝わるような表現を、誰でも笑えるようなベタなギャグを交えて語っている。

その結果、高度なアートであるものが一方でものすごく見やすく、わかりやすくなっていて、一般の映画館で上映できるものに変身している。

 

こうしてできあがった作品は、独りよがりなアートではなく、通常のドラマ映画にアート風味を足したものでもなく、デヴィッド・リンチにしか作れない唯一の表現になっていると思います。

 

この作り方はデビューの「イレイザーヘッド」から最新作の「インランド・エンパイア」まで一貫しています。バランスがわかりやすさとユーモアの方にぐっと振られると「ツインピークス」のような作品になってお茶の間に浸透し、アートの方向に振られると「インランド・エンパイア」のような作品になるのだということができます。そのそれぞれは決して娯楽作品とアートというような区別をしているわけではなく、その時々に作りたいアートの形の違いなんだろうと思います。

 

③”絵になる”画角

 

デヴィッド・リンチの映画の魅力の一つが、美しい完璧な画角画家でもあるリンチ監督ならではの、そのまま取り出して額に入れたら現代美術の展覧会に飾れるような、アングルの魅力というのがあると思っています。

例えば、ヘンリーが住んでいるアパートの、エレベーターホールの映像。

 

 

これは無人のシーンですが、すごく印象的な構図だと思います。床の模様はツインピークスで再現されていますね。

この後ヘンリーが構図の中に入ってきて、ボタンを押してエレベーターを呼び、ガタガタと扉が開くのを待って、エレベーターに乗り込みます。扉が閉まるのに時間がかかって、妙に間の悪い時間が流れます。そこまでの動きも含めて、なぜか目を惹きつけるシーンだと思います。

 

 

メアリーの家のキッチンで、死んだようにじっと静止しているメアリーの祖母。咥えさせてもらった煙草を吸っています。

このシーンがだから何だと言えば別に何でもないのだけれど、でもやっぱり強く印象に残ります。なぜかドキッとさせられるのです。

 

こういうシーンが次々に出てくるのを観ているだけで、飽きない。カッコ良くて惚れ惚れしてしまうし、物語や意味といったものから離れて心が高ぶる。こうした絵の面白さに気づくかどうかで、リンチの映画の受け止め方はずいぶん違ってくるんじゃないかと思います。

 

④謎について

 

イレイザーヘッドを通して散りばめられたもっとも顕著なイメージは、人の肉体というものへの嫌悪感。特に、人生の中でもっともグチョグチョした肉体性があらわになる瞬間である、分娩・出産というものへの(主人公ヘンリーの)ひどく偏った嫌悪感というものになるだろうと思われます。

 

冒頭の爛れた惑星のシークエンスは、メアリーの出産のメタファーでしょうね。胎盤や胎児を意味するのだろう不気味なへその緒みたいな肉片が宇宙を漂っていき、病気の男がスイッチを入れると暗闇の中で蠢いていた赤ん坊が光を目指して、毛の生えた醜悪な穴を通り抜ける。

これはもちろん、ヘンリーという極めて偏った男の意識を通して見た、ヘンリーの内部にある分娩・出産のイメージであって。

出産というものに対してそのような悪夢的イメージしか持っていないヘンリーは、「悪夢と現実が等価になる」リンチ世界の法則に従って、現実の出産も悪夢的なものとして体験することになります。

ラジエイターの中の少女はヘンリーの理想で、そうした爛れたイメージの出産というものを踏み潰してくれる。彼女はヘンリーの理想ではあるけれど、同時に彼を死と破滅へ誘う存在でもあります。(天国では、すべてが上手くいく)

 

映画はそもそも現実とは微妙に違うあり得ないフィラデルフィアを舞台にしているようで、メアリーの家族の言動もそれぞれ異常です。これは、映画全体がヘンリーの歪んだ自意識というフィルターを通しているからであるように思えます。ちょうどシュールレアリズムの絵画が現実の風景を画家の心象に沿わせて変形して描くように、イレイザーヘッドの世界もヘンリーの自意識によって全体が歪められているように思えます。夢の世界だけでなく、メアリーも、彼女の家族も、アパートの女性も、すべて現実通りではないのだとも考えられます。また、その場合赤ん坊も本当に映画の通りの異常な存在だったのか、疑わしくもなってきます。あの赤ん坊は確かに未熟児だったかもしれないけれど、あれほどまでに不気味な姿で見ていたのは実はヘンリーだけだったかもしれません。

物理的世界と精神的世界に本質的な違いがなく、時に交換も可能であるというのは、リンチの基本的な思想であると思っています。

 

ヘンリーの部屋にある枯れ木の盆栽や、ヘンリーの首が落ちるシーンに出現する枯れ木は、つい最近の「ツインピークス The Return」に登場する進化した腕を思わせるし、自分を嘲笑する声をきっかけに主人公が破滅するエンディングは「マルホランド・ドライブ」を連想します。デビュー作から現在まで、一貫してブレないビジョンをずっと描き続けていると言えます。

 

ジャック・ナンス演じる主人公のヘンリーは、髪型がリンチによく似ていますね。イレイザーヘッドは低予算のため登場人物も少なく、ヘンリー一人にクローズアップした内容になっているので、リンチのパーソナルな心情がもっとも強く出た作品じゃないかとも思います。後の作品ではそれほどリンチ本人になぞらえる登場人物は出てこないので、その意味でもイレイザーヘッドは特別な作品と言えるかもしれません。